整った知につまらなさを感じた

視覚情報だけじゃ物足りない!


私は、長野県で田舎生活をしています。
引っ越してきて2ヶ月くらい経ちました。
月に一度、仕事で地元の東京に帰ります。
今回も約1ヶ月ぶりの帰宅でした。

田舎の生活では、
なかなか美術館に行けなかったので、
今回の帰京では「絶対にいこう」と楽しみにしていました。
大学時代は建築学を専攻していたこともあり、
東京現代美術館で開催中の「ジャン・プルーヴェ展」に行きました。

ジャン・プルーヴェは戦後活躍した建築家、家具デザイナーです。
多くの建築家と異なる点は、自身の工場を経営していたことです。
アルミニウムなど当時は家具に使われることのなかった素材を、
建築や家具に用いたり、大量生産を前提に美しい家具を作ることで、
一般の家庭にも普及することを目指していました。
家具や小屋など比較的小さいものから、
高層ビルまで、その活躍の幅は広いです。

作品集でしか見ることのできなかった家具たちが、
モーターショーように一同に顔を揃えていました。

今まで、美術館に行くと
その人の思想と作品を前にして、
思考が刺激されアイディアが噴き出してきました。

もちろんジャンルとか、
展示の内容も関係すると思うのですが、
今回はいつものと違った感覚でした。

展示から得られるものがあまりにも「整いすぎていた」と感じました。
それは美術館の変化ではなく、受け手である私の変化です。
なんというか、視覚からのみ得られる情報では物足りないのです。

田舎での生活はいつもフィジカルに直結していました。
畑を耕すと水を含んだ土の重さを感じたり、植物の成長の多様さを知ることができます。
また、水気の多い土地では畝を作って水分量を調節したり、
トマトは雨に当たると割れてしまうのでカバーをかけたりと
人の知恵を知ることができました。

全く新しい学びというよりは、既に知識として知っていることや理由も知らずに眺めていたものを、実体験していく感じ。
歴史とか、原点について知ることが好きな私にとって、毎日心地の良い体験ばかりです。
そんな1ヶ月を過ごした後の美術館での体験は、
どうも遠い世界を眺めているような感じがしました。


今求めているのは「森の生活」

似たような経験がいくつかありました。
最近、集中して本を読むことを難しく感じていました。
図書館で借りた本も、ほぼ読まずに返していました。笑

それでも、とある本は夢中になって読めています。


ソロー著の「森の生活」

ウォールデンという泉のほとりでの自給自足の生活を語った本です。

1人でひっそり暮らす生活での思索が綴られています。
まだ読み途中なので、感想は後ほどシェアします。

本屋に行った時も、
今までは建築のコーナーに行って建築家の著作物や作品集を探していたものの、
今回はセルフビルドやDIYの本をついつい探していました。

そしてこれらのテーマの本はとても少ないことも発見でした。

今求めていることが、
整理整頓された知識ではなく、
体験して習得していくことなのだと思いました。


将来やりたいことに、インスピレーションを得た旅だった

東京がつまらなかったというより、
私が何をやりたいのかについて改めて感じる旅でもありました。

東京に帰る前に、軽井沢によってきたのですが、
そこで小さい本屋さんで開催されたイベントに参加しました。

小さい街角の本屋さんなのに、
岩波文庫や新潮文庫など、新書の全集が揃っていて、
その光景をすごく気に入ってしまいました。

その本屋さんに行った後に、
「手作りのアジール」
という本を読みました。

奈良県東吉野村で、施設図書館を営んでいるご夫婦の本で、
その図書館の在り方がとても素敵でした。

「私もこんなことやりたいな」

そんなインスピレーションを受けました。

地方移住、田舎暮らしというのがここしばらくのやりたいことで、
ここ最近はその生活を実現しつつあります。

しばらく、今の生活を楽しむことに満足していて
次に何をやりたいかとか、全く考えることがなかったのですが、
今回の帰宅を経て、また日常とは違った刺激を受けたことで、
次にやりたいことが見えてきました。

私も小さいアジールを、手作りで気づいていこう。


いただいたサポートは、花と民芸の表現の追求にあてさせていただきます。