異国の宣教師たち

“あたかも、居場所を求めてきた魂が、はるか遠くの地でようやく肉体を得たかのようだ。”
月と6ペンスより                          サマセット・モーム
金原 瑞人訳

 2月24日、アメリカ生まれの日本文学の評論家ドナルドキーンさんが亡くなったことを知りました。

 日本文学に惚れ込んで、そして日本で亡くなった。“日私が日本人になった理由―日本語に魅せられて (PHP研究所, 2013)”や“日本の魅力 対談集 (中央公論社, 1979)”などなど複数の著書を残しています。氏の活動によって、日本文学は世界に発信されそして日本人にとっても日本文学の新しい価値を気付かされたでしょう。
 世界には少なからず、異国の地の文化や芸術の美しさに気づき陶酔してしまう人たちがいます。
 画家のゴーギャンやルドンは南国でたくさんのその土地の絵を描いているし、ジョージハリスンがインドの音楽を取り入れたことでビートルズの後期の音楽はアジアンテイストなものが多く作られています。
 宣教師は自分たちの教えをその地に広めようと伝えにやってきますが、彼らはその土地の美しさを表現し伝えてくれます。

 その姿が月と6ペンスのチャールズ・ストリックランドの姿に重なりました。
 亡くなってからその才能や作品が認められたストリックランド、今に名を残している多くの芸術家の姿とも言えます
 私もその姿に共感します。私も日本ではない国に惹かれてやまない国があります。
いくつか理由はあげられますが形容しがたい何かをその場所に感じているからです。

 そんなストリックランドの姿をサマセットモームは
生まれた場所が故郷とは限らない。
と表現しています。


 もし、自分の生まれた国ではない場所に惹かれているのならもしかしたらその人の故郷は別の場所にある子かもしれない。
 また、自分の居場所に違和感を感じている人も世界のどこか別の場所が故郷なのかもしれない。それは自分探しとは少しちがって、それを求めて旅に出ることで生まれ故郷に出会うことができるかもしれない。
 
 アメリカに生まれたドナルドキーンさんの故郷は日本にあったかもしれません。


世界をもっと知りたい。自分の故郷に出会える日まで。

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