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『カメラを止めるな!』とAKB

『カメラを止めるな!』という映画はご存知ですか?

もし”知らない”としたらあなたは流行に取り残されていますよ!

この映画はもともと今年の6月23日に上映館2館でスタートしたインディペンデントのゾンビ映画です。
低予算マイナー映画と言ったほうが分かりやすいでしょうか。
どれくらい低予算かというと、だいたいニンテンドースイッチ100台分くらいです。
そんな予算なので出演者には小栗旬も新垣結衣もいません。もちろんトム・クルーズもです。
監督も出演者も無名無名、無名のオンパレード。

でもこの映画、今、すごく人気なんです。

その証拠に、公開から2か月たった現在も上映館を拡大し続けているという快進撃で、その広がり方はゾンビ映画という題材さながら「感染」と称されています。

この「感染」の流れが非常に今っぽいし、営業の参考になることも多いと思いコラムの題材に取り上げたわけです。

「感染」は次のようなルートをたどり現在進行形で広がりを見せています。

6月23日上映開始
⇒ 映画マニアや評論家、芸能人、インフルエンサーなどが鑑賞
⇒ 絶賛
⇒ SNSや口コミで拡散
⇒ 一般的な映画ファンや情報感度が高い層が鑑賞
⇒ 絶賛
⇒ SNSや口コミで拡散
⇒ 連日劇場が満席でチケットが取れなくなり噂が噂を呼ぶ
⇒ TVや雑誌など大手メディアも扱うように
⇒ とにかくみんな絶賛
⇒ 一般層に徐々に知られはじめる
⇒ 全国規模で上映館を拡大していく
⇒ 2度3度と繰り返し鑑賞するリピーターが続出
⇒ 8月現在全国190館で上映中
⇒ それまで無名だった監督や出演者が連日メディアに引っ張りだこ
⇒ 週間興行収入TOP10入りする大ヒット
⇒ 脚本の盗作疑惑が噴出  ← 今ここ

という風に情報が山から谷へ、谷から川へ、川から海へと段階を追って流れていく様子がハッキリと見て取れます。
大作映画のようにお金をかけて川や海に自分たちの都合の良い情報をじゃぶじゃぶ流したわけではなく、実際に映画を見たファンが率先して身近な人に勧めていった結果がこのムーブメントを生んだという図式です。

この現象はもうしばらくは続くでしょう。
これから色んな映画賞を受賞したり、小説化、TVドラマ化などが進められたりすれば、ブームはさらに延長されるはず。
もちろんDVDも発売され、それもたくさん売れるでしょう。

『カメラを止めるな!』を語れる範囲で要約すると(これから見る方もいると思うのでネタバレは控えます)、
脚本や演出が秀逸であることはもちろん、ゾンビ映画という体裁を持ちながらもホラーというよりもコメディー映画であり、ファミリー映画であり、社会派映画であり、そして何より映画製作者の映画への愛情がふんだんに詰まった映画、という感じです。

”そもそも面白い映画(=商品として優秀)”であり、なおかつ見た人が製作者サイドの”モノづくりに対する情熱や映画愛(=商品にまつわる人間物語)に共感”できることが注目ポイント。
このことが『カメラを止めるな!』を体験した人を”この映画を誰かに勧めたい”、”この映画を作った人たちを応援したい”という衝動に走らせる「感染」の要因となっています。
上映当初国民の99.9%が知らないし興味もなかったものがここまで認知を高めたのは、関係した人の心を打つ物語が根底にあるからと言えるでしょう。

この現象を見ていてわたしはかつてのAKBが人気を獲得するまでのストーリーを思い出しました。

AKBは秋元康プロデュースのもと、10数年前に秋葉原にある小劇場から20名ほどのメンバーでスタートしました。
「会いに行けるアイドル」というコンセプトのもと、在籍するメンバーのひとりひとりはアイドルとして飛び抜けた才能を持っていたわけではありませんでした。
彼女たちは「アイドルになりたい」という情熱と目標に向かうひたむきさだけが取り柄でした(違ってたらスイマセン)。
そんな等身大の彼女たちが成長していく姿を熱狂的なマニアたちが支えていました。
そうして彼女たちはこれまでのアイドル業界の常識をことごとく破壊し、ほどなくして一躍スターダムにのし上がります。その後の活躍は説明するまでもないでしょう。

AKBの場合は秋元康という稀代の名プロデューサーが図ったメディア戦略的な要素が大きいので一概に『カメラを止めるな!』と同列には比較できませんが、特別ではない普通の人間が行う過剰な情熱によるモノ作りと、それを支えるマニアの熱狂が発端となって、その熱が同心円状に増幅していくというプロセスは似通っています。
AKBを例えに上げましたが、同類のケースは枚挙にいとまがないはずです。

これらのケースをもとに、わたしたち普通の人間がいかにして何がしかのブームを巻き起こす、あるいは周囲を巻き込んで大きなものに仕上げていくかという方法論を検討すると、そもそも「クオリティーが高い作品を作る」こと、そして「傾ける熱量が高い」ことが必要で、それが共感へと繋がるのではないかという確度の高い仮説にたどり着きます。どちらも兼ね合わさっていれば最高ですが、最初のうちからクオリティーを求めるのは至難のわざですから「熱量が高い」ことに先ずはフルコミットすべきでしょう。
その前提がなかったら、どれだけ情報の拡散や操作に工夫を凝らしても、情報の真偽の担保が主催者側にある以上、相手の目には嘘くさく映ってしまうし、ノれない空気が生まれるだけです。

基本的に世の中には受け身の人が多いというのが実情です。だから大半の人たちは、誰かといっしょに熱狂したいとか、まっすぐな人の努力や気持ちに共感し「応援したい」という気持ちを潜在的に持っています。高校野球はその図式の典型と言えるでしょう。
だからあえて反対の少数派に回り、積極的かつ熱量高く行動しさえすれば、飛躍的に可能性は広がることは間違いありません。

一度も打席に立たなければ絶対にヒットは打てません。
でも100回打席に立てばまぐれでも1回くらいはバットに球は当たるでしょう。



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