『センスの哲学』千葉雅也
お気に入りの数字は4です。それから3です。
というのもアートを考える時、千葉さんの『現代思想入門』まとめが重要だと思うからです。
『現代思想入門』は新書大賞として、2023年のプレゼンター千葉さんは、次の『言語の本質』に全てを託した。
3500文字強。長め。
一番大事なのは、目次より「センスの哲学のまとめ」です。まずご覧ください。
現代思想入門
この場合は、思想のパターンというか攻略チャートが、シンプルに表現されている。
他者性は、他者という一般的な用語とは区別して、常識的な態度の中では、私たちは何を見逃しているのか。サスペンスの探偵もの。それを思考についてまとめた概念です。
他者性は、客観性とは異なるセンスである。
超越論性は、どこまでも続く線路で、ゴールは無いので、目的それは目的地ではない。バベル的。
病院で例えると、ドクターがオペする訳です。オペの次はやはりオペ。その準備が始まる。
極端化と反常識は、似たものという事でまとめる事も出来ます(ここで4は3に、まとまる)。
ここで必要なのは、何らかの意思です。これでいかなければならない。運命づけられているのだ。他ならぬ私は。こういった強い意思を熱烈に主張する訳です。
(これは外部へ向かいます。ギャグ漫画が典型的です。)
ここで、哲学史のノーマルが前提となって、ノーマルじゃないという(独自の)哲学になります。ただし、ここで他者性が意識されないと失敗してしまう。
これは、アートの問題が、現代思想のどこに対応するかという事と関連しているかもしれない。
ひとつ確かなのは、傾向について考えるという戦略です。
センスの哲学のまとめ
まとめます。
現代思想をつくる場合です。まずはサスペンスとしての他者性が探偵されて、バベル的たどり着けない超越論的なゴールが見つかり、問題解決として生成されるものが出来上がる。
浦沢直樹『モンスター』のドクターの葛藤でしょうか。
以上を踏まえて、制作する行為一般、これを制作される作品と対比させたうえで、哲学一般を考えていくのが『センスの哲学』です。
本書は親切な前半のまとめパートが有りがたい。本文と対応させながら読むと分かり易いです。以下の網掛けが引用部分です。
第一章
第二章
センスはリズムを把握するものと定義されて、リズムの考察になっていきます。
リズムは「形」であって「デコボコ」になっている。これは近代の哲学・思想に関連させて読むとわかり易いかもしれません。
第三章
「うねり」は、生成変化のこと。「ビート」は0と1で表現されるような明滅。デジタル。
これが両立して、リズムの形であるデコボコが示されます。これは近代のアート作品を解釈をする上で、基本的な前提があってその複雑さがあるということです。
第四章
センスの考察が意味にも当てはまることを示します。「距離」は暑いと暑くないの関係性に対応する概念です。
これによって、センス(リズム)を生活(意味)に結びついたものとして捉えることができます。アート解釈も、生活における様々な問題も類似する部分が多いということです。
後半はこれを前提として更に深く考察していくので、この前半部分を整理すれば分かり易いと思います。
(注∶これは、カント判断力(芸術)の問題から、独自の哲学(超越論的な哲学)に向かい、その統合によって、倫理を生活の問題としていく。そう考えます。
超越論的な曖昧部分を明らかにするという意図を感じます。
千葉さんの独自性は、倒置によって、ありとあらゆるリズムの解釈と、倫理性(実践理性)を重視するという点でしょうか。
すると、本当の多様性をアートにおける偶然と結びつけて考えられる。)
生活の哲学
ここから前文に接続すると、キーワードは芸術と生活で、芸術のセンスと生活のセンスに分けて考察した上で、一致する部分が多いので、関連性がある。
巻末で言及されるのは、アートの自己啓発本について否定ではなく、次に読むものという位置づけをしています。自己啓発本は具体的なので、本質をじっくり考えた上で、確認すると良く効く。
これで、本書前文のテーゼ、生活と芸術の一致が示されます。
これは批評として、自己啓発本の価値はゼロかイチではないという深い読みではないでしょうか。
ここまで行くという、哲学史の再解釈という点で、芸術と生活が考察された、故に倫理性に関する芸術の問題が生活に波及している。
芸術作品はアート史の中で、伝統的なギリシャ神話や王族達などのモチーフが、大衆のものに変化していきます。
このあたりを、自分の言葉で整理してみます。建前として公共性はある状態(健全化∶管理の問題)よりも、内部に隠された批評性が作品の本当の価値となる。(非健全化:生活の問題)
ここで、芸術解釈が上手く機能すれば、日常生活においても倫理性が機能する条件が整いました。あらゆる物事は、隠された批評部分がメッセージなのです。
問題意識は、軽視されがちな芸術の価値を、生活の問題とする。この他者性が発見されて、これは特に批評の問題(本書では蓮實・浅田・宮台)から捉える。
ここでの批評は、健全化から非健全化が重視される様になったのを、今度は非健全化が常識となってしまう。その状態こそ深い理解をするきっかけが生まれる。
ピカソって何様ですか、これが転じて、ああ私アートがわかる状態から、それで突き抜けると、健全化の重要性がわかってくる。
メイキングオブ餃子の哲学
本書の使い方としては、繰り返して登場する概念や、突然発生する違和感のある語句に注意して吟味する。
ここで吟味するのは餃子です。それは絵画の構成をめぐる偶然について、ラー油のような赤の必然性が言及されていますが、ここポイントです。
餃子とはフロイト図式の比喩である。この意図が表明されている。(形とデコボコの問題です。)
構成要素として、皮と具材それから調味料が、完全に一致はしないのですが自我、超自我、エスを表します。ここからセンスの問題は、5感プラスとでもいうような複雑さがあります。
その有機的な形状から、色ツヤから、餃子が崇高なものであるのは明らかです。
近代以降の思想の複雑さを、端的に示している。例えばモダニズムに関する説明が、歴史の中でどのように変化してきたのか。
話しは変わって、多重録音の例え(DAWの音楽ソフト)は、非常に興味深いのですが、これは2種類あります。
まず、マイクによる録音=空間による音響の問題。次に、デジタルによるいわゆる打ち込みは、音楽データ(周波数ヘルツ)と太鼓をドンドン叩くときの拍の長さで構成されて、テンポ(bpm)と一緒になって成立します。
この2種類の異なるものが合成される。エジソンの唄を録音するレコード(ギザギザの波形)と、シュミレーションされた楽譜のようなもの(チャートのような記号)では、異なるバージョンになりますよね。
言い換えると、カラオケのマイクから録音されたものと、オルゴールの内部機構は当然に同じものではない。この異なるものの複合が多重録音です。
2種類の異なるもの、これは素材ですが生成する事で音楽が誕生する。料理と似ているかもしれません。この仕組みは、生成AIでは違うプロセスをとるのでしょう。
テンポの一致によって形成されるジャンルは、ダンスフロアで曲をスムーズにつなぐための機能です。
漫画とんかつDJの用法を使えばメイキングオブ餃子の哲学で、これは調理過程の事です。フロアーでのダンスにいざなうリズムが、過程に表現されている。アゲという語句に注目した哲学ですね。
そこからの発展として、唐突に現れる餃子の非現実、包まれたアンが意味するものは、外部から隠されたものです。
結:アンチセンスを超えて
映画のテーマ(他者性に対する一般化)が、世界に直接結びついた上で消費や広告といった媒介によって、決定されるような感じもあるが、それだけでは何だかリアルなものではない。そうも思える。
言語からグラフィックという順序があると仮定する。その複雑さは、グラフィックの欲動はフィルム(アニメーション)に刻まれたら動き出して際立つかもしれない。
デジタルでも同じ。
音楽が流れると、世代においてループされるものはブルートゥースかカセットテープかの選択で、どこかぎこちないプラスチックの様な何かは共通する。
しかし、この同期性は、アートの経済原理のみ役立つのだろうか。
ヒット曲のパラダイムシフト的な新しさは、常に忘れていた何かで、すでに音楽はファッションでは無いかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
感想∶この文章は2024年の2月4日、つまり本書発売のちょうど2か月前から書き始めました。刊行後には答え合わせという事で、私のアートなるものが試されました。語句やモチーフは共通する部分も多いけど、何か違う。
あらゆる情報は、必然的な未来学者を生み出し、それって偽や嘘であることも多い。
しかしAIから生成されるような物は、部分的に正である。私は当初想定していた文章を、起承転結の真ん中部分を全て書き換えました。これで、アートから哲学へ向かうセンスの哲学は、ライティングの哲学になります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?