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父との関係についての大誤算

父に対し、ずっと複雑な感情を持ちながら生きてきたのだなぁとつくづく思う。


3年前、一度きちんと父と対峙せねばと思い、思い切って実家に住んでみた。そして、4ヶ月でギブアップした。

「このままいたら気が狂う。」

マジで精神崩壊の危機を感じた。


たった4ヶ月だったが、子どもの頃に感じていた感情を、大人の私の中に戻すには十分な時間だった。


大人になってすら、4ヶ月で精神崩壊の危機を感じるぐらいの中で、子どもの私は生きてきていたのか。


もっと言うと、父がなかなかな人間だということは、夫婦である母もなかなかな人間であり、同居している父の母である祖母もなかなかな人間だったということ。


子どもの私、よく生きてきたなぁ。


なぜ、私がもう一度実家で暮らそうと思ったかというと、父との関係にきちんとケジメがつけたかったから(母は離婚して今はもう実家に住んでいない。)。


子どもの頃は、何度話をしようとしても、父は私と向き合おうとしなかった。

「そんなこと、今話をすることじゃない。」
「俺は疲れている。」

そう言って、いつも私と話をすることを避けてきた。
そして何度も「話がしたい。」と言い続けると、逆ギレして物に八つ当たりしたり、どこかに出かけて逃げたりするような父だった。


だから、あれから何年も経って、別々の暮らしをして、それぞれがそれぞれの経験をしてきた今なら、きっと建設的な話ができるだろうと思っていたが、全然変わっていなかった。

自分が気にくわないと、キレて暴れる父はそのままだった。


おそらく私は、子どもの頃の私を実家に置きっ放しにして生きてきたような気がして、どうにかその子を引き受けに行きたかったんだと思う。


大人になった私なら、それができるのでは?と思っていたし、今の私なら、あれだけ苦しかった家族の問題をもう一度振り返ったとしても乗り越えられるだろうと高をくくっていた。

…全然だったね。


4ヶ月実家の生活をギブアップしてそこから出たはいいが、その後の3年間、私の中で、子どもの頃の傷が開きまくってしまった上に、大人の私自身もその期間で十分な傷を受け、闇の中を彷徨っているような状態が続いていた。


まさかここまでボロボロになるなんて大誤算。

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