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テレキューを知らない幼少期

8才の頃、1クラスしかない教室内は、前日に放送されたテレビ番組の話で持ちきりだった。
クラスメイトとたった数キロしか変わらないはずの実家は、TVQ九州放送(テレキュー)の電波が届かず、たまに買ってもらう漫画本から流行りのアニメ情報を得た。(今でもアニメより紙の本が好きな理由は、当時の習慣かも知れない。)

話題についていけない休み時間には、漫画本で見た絵を思い出しながら模写して描いていた。すると、みんなが物珍しそうに寄ってたかってくる。


「すごーい!そっくり!」「ねぇねぇ、これも描いて!」

そのとき、絵は最強のコミュニケーションツールなんだと学んだ。(図工しか得意な科目がなくて、気づいた時はとても誇らしかった)

自分の場合たまたま描くことが好きだったわけで、それが文章や歌の場合もあると思う。作日見た共通の番組で盛り上がれないとか、もうどうでも良くなった。

電波が届かないとか、このご時世にとっては便利ではなのかもしれない。だけど、過ごせないわけではない。時に田舎を不便だと感じることもあるが、山でのびのび育ててもらった日々を誇りに思う。「わざわざ」行動しないといけなかったりする、その不便さが、良い。苦労して手に入れたものは尊く、いっそう大切にする。

便利って、とても楽、役に立つ。だけど、いつの日か当たり前になる。「在ること」が尊く感じなくなったりする。


きっと田舎には、なんにもないけど、なんでもある。

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