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好奇心を持ち、意識を外に向けること

内側に向く心

ヒルティ(1891年)、アラン(1925年)、ラッセル(1930年)、それぞれの『幸福論』は3大幸福論と呼ばれています。
先日、ふと本棚からラッセルの『幸福論』を手に取ってみました。

バートランド・ラッセル
イギリスの哲学者、論理学者、数学者、社会批評家、政治活動家。
貴族のラッセル伯爵家の当主であり、イギリスの首相を2度務めた初代ラッセル伯ジョン・ラッセルは祖父にあたる。
平和活動に邁進したため、ケンブリッジ大学を追われ6ヶ月も投獄された経験をもつラッセル。それでも決してゆるがない幸福があるというのが彼の信念。思春期には、自殺すら考えたこともあるラッセル。しかし、そんな彼を思いとどまらせたのは、「知へのあくなき情熱」と「自分にとらわれないこと」でした。それは、その後の人生を生きる上での原点であり、どんな苦境にも負けない支えとなった。

ラッセル「幸福論」のキーワードは、一言でいうと、
「外界への興味」「バランス感覚」

人間の特性として、気持ちのベクトルは、どうしても徐々に内側に向いていってしまうように思います。
気付くと、「自分は…、自分は…」というように。
私も最近、少し気持ちが内側に向いていたので目から鱗でした。

幸福な人とは

ラッセルは、幸福な人とは「客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味をもっている人」と結論付けています。

人間は、自分の情熱と興味が外へ向けられている限り、幸福をつかめるはずである。外界に順応しようと努める際にも、自己中心的な情念を避けるとともに、絶えずわがことばかり考えるのを食い止めてくれるような愛情や興味を身に着けるように心掛けなければならない。牢獄にいて幸福だというのは、およそ人間の本性ではない。そして、私たちを自己の殻に閉じ込める情念は、最悪の牢獄のひとつとなる。そういう情念のうち、最もありふれたものをいくつかあげるなら、恐怖、妬み、罪の意識、自己へのあわれみ、および自画自賛である。これらすべてにおいて、私たちの欲望は自分自身に集中している。

ラッセル「幸福論」第十七章

確かに、人は何かに好奇心をもち、何かに夢中になっているときは幸せだと思います。年配の方も、旅行や習い事に夢中になっている人は、とても幸せそうです。また、推し活している人も幸せそう。

さらに、自分のことではなく、誰かのことを思うことも大事な要素です。
例えば、仕事にいくとき、「今日、自分は~をしなければ、~をしよう」と思ってしまいがちですが、意識を外に向け、
「今日自分は、メンバーのために何ができるだろう」
「今日メンバーは、どんな気持ちで会社に来るんだろう」
と意識をメンバー・仲間に向けることで、大きな変化が生まれると思います。

話は変わりますが、先日、北アルプスで悪天候下でのビバーク訓練をしてきました。オープン前の小屋のテント場に、一人ぼっち。そして、夜中からずっと暴風雨。とても、孤独と不安を感じました。
「人は、ひとりでは生きていけない」
と改めて思う瞬間でもあります。

北アルプス裏銀座

意識を外に向けること

そんな雨の中でも、咲いていた高山植物。草花に興味を持ち、意識を外に向けると豪雨の中の山行も、楽しいものになりました。

高山植物(晴天時の別の日)

ラッセルはほかにも「中庸(バランスをとること)」「起きた出来事を宇宙レベルで考えてみること(宇宙の流れからみたら悩みも小さいこと)」を幸福な条件としてあげています。

考えてみると、登山は、ラッセルの幸せの条件が揃っているように思います。
 ①意識を外に向ける  → 山々の景色や花や岩に意識が向いていること
 ②中庸であること   → 誰かと競わずマイペースで登ること
 ③宇宙レベルで考える → 自然の偉大さを知り、自分の小ささを知ること

「幸福論」には、生活をしていく中でいろいろなヒントが隠されています。
アラン、ヒルティの幸福論についても、いつか書きたいと思います。

皆さまの生活が幸せになりますように。

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