映画感想『カモン・カモン』――ブラー、ブラー、ブラー
※今日もエックスに流すとながぁ~いスレッドになるしかない感想文をこっちへシュゥゥゥーッ!!!! 今日は配信作品。
※ネタバレなしですが純粋に感想文で、既視聴者向けの“解釈”記事です。まったく私見を並べてるだけで解説ではないので、ながぁ~いジト目で見るだけでご容赦くださいっ!(;.ˬ.);,
☆劇中では「Blah-blah-blah」というフレーズ。「ペラペラ(薄っぺらい)」と訳されていました(字幕版)。
微妙に紹介しつつのド感想
ラジオで子供にインタビューするのが仕事の男が、妹夫婦から一時的に預かった甥っ子と取材旅行に行く話。風変わりな9歳は忖度ゼロの質問モンスター。付き合い方を模索するうち、男は傷ついてきた自分の人生と向き合うことになる。全編モノクロ。なのにすべてが鮮やかで胸にしみる。
思えば人は(特に大人は)、自分の身に起きた悪いことにフタをしがちだ。
劇中の言葉を借りれば、人生には「妙なクソ状態」の時期がある。過ぎた気がしても全然大丈夫じゃない、なのに大丈夫だと言う。いろんな言葉でうまく逸らしてかわして時間を稼ぐ。子供の容赦ない質問をはぐらかすみたいに。ブラーブラー。そしていつか言い訳が底をつくのを気にしている。
根本的に折り合いをつけるには、なにごとも向き合うしかない。この作品が示しているのは、向き合い方とそれを得るためのプロセスなのでは。甥っ子ジェシーはおじさんにこんなメッセージを残す。
それにしても主演ホアキン・フェニックスがすばらしい。なぜ彼がジョーカーになれたかがよくわかる。役の男性、ジョニーは過去に傷がありながらもうまくやろうとしていて、無垢な優しさを繋ぎとめても自問の落とし処を見つけられずにいる。クシャッとした笑顔一つでその複雑なキャラクターが丸ごと伝わってくるんだから、見事としか。
子供との理想的な向き合い方を描いたものという触れ込みをよく見る。どうだろう。自分は専門家ではないし、世の親御さん方は本当にそういったことで悩んでるだろうから無責任なことは言えない。
ジェシーは特別に変わった子で、参考にはなりづらそうにも思える。病気とかそういうのは差し置いても、付き合い方の難しい子だ。友だちもいないらしい。
でもそれは、子供ですら忖度や自尊心で100%は人に見せない、彼らに共通する自分自身をさらけ出す子だからかもしれないとも思う。そしてその表現力に才能を持つ。他人のことはわからないので他人の側から教えてほしいものだけれど、たいていの子供は自分を表現しきれないので大人もわかってあげられない。だからジェシーはヒントになりうるかもしれない。大人が拾い切れない子供の“本当”に、モノクロの彼が色を付けてくれるかもしれない。
日の下を走っていく子供のうしろ姿を静かに眺めたことがあるだろうか? 我々より先の未来へ進んでいく存在を感じて眩しさを覚える。この作品にはジェシーだけでなく、ジョニーの仕事である子供へのインタビューがたくさん出てくる。多くは未来について尋ねるけれど、現実をまだ知らない彼らの回答もまた容赦がない。体面を気にする子もいるが、それも含めジェシーひとりでは示し尽くせない彼らの“本当”なのだろう。目を見て受けとめる用意があるだろうか。あるとすれば、自分のことについても同じようにできるのではないだろうか。人は内面と向き合うことを悲観し、諦観を成長と錯覚しやすい。だが、起きると思うことは起きない、考えもしないようなことが起きるのだから、と。
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