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『舞妓さんちのまかないさん』─────手から手へ 食は人の心を繋ぐ

Netflixのドラマ『舞妓さんちのまかないさん』がとても良かった。とてもとても良かった。その余韻に吊られている。

是枝裕和監督初のNetflix作品で、元々は小山愛子が『週刊少年サンデー』にて連載していた同タイトルの漫画が原作。是枝監督の作品は好きなので基本的にすべて観るようにしている。人から人への手渡されるバトン、心の繋ぎ方などを会話に映さずとも「見える」描写の丁寧な作りと豊さが好きなのだ。今作は是枝裕和が総合演出に回り、津野愛奥山大史佐藤快磨砂田麻美の4人を監督または脚本に迎えて制作された。


京都の屋形を舞台に、屋形で「まかないさん」として賄いを作ることになるキヨ(森七菜)と、100年に1人の逸材と言われ舞妓を目指すすーちゃん(出口夏希)の2人の幼馴染を中心に、屋形での「家族」としての共同生活を描く物語。脇を固めるキャストまで全てが豪華でありながら主張がなく、その世界を生きている「役」へと溶け込むように京都の花街の日常に染まっている。特にその中でも主人公のキヨを演じる森七菜のキヨとしての生き様が凄い。「演じている」というよりも、キヨとして生きていると言いたくなるような、そんな雰囲気を持っている。キヨが何かを引き起こしたり、物語を起承転結させることはほとんどないが、この物語の主人公として森七菜がこの世界を生きているおかげで、脚本や映像が呼吸をして、脇を固める全てのキャストまで血液が循環しているような作品としての魅力をグググっと引き上げる演技だった。初めて森七菜の主演作を見たけど、とても好きになった。

©小山愛子・小学館/STORY inc.


物語は"何もないようでいてそれぞれに何かある"、まさしく日々の生活を丁寧に写している作品なので、人から人への言葉の渡し方、繊細な人の表情、全てに愛情や温かみを感じて、この世界を羨ましく感じた。是枝監督が作る世界というのは、人が互いに関心を持っているということが前提として描かれる。だからこそ互いに信頼関係が生まれる。それが何よりも美しいと感じる。それと同時に、ただユートピア的に花街を描くのではなくドラマオリジナルのストーリーとして、女性として生きていくことで生じる理不尽や、芸能の慣習に対する憤りや葛藤を写している。これまで花街で生きる舞妓さんの暮らしのことを考えたこともなかったけど、この作品が映し出す彼女たちの生活の目線を通して、ニュースで見ていたようなセクハラなどの犯罪の被害に遭わせてはいけないと感じた。もっと幸せの形が増えて欲しいと考えながら願うばかりだ。

©小山愛子・小学館/STORY inc.


原作では中心に描かれていたキヨの作る賄い。食事はドラマでは物語の中に、生活の中に、そっと描かれる。料理を作るシーンは繊細に。是枝監督作品はいつもご飯が美味しそうで、映し方がとても丁寧だ。フードスタイリストはこれまで是枝監督作品にも数多く参加している飯島奈美。大好きな映画である『南極料理人』にも参加している。好きな映画を尋ねられた時には「ご飯が美味しそうな映画が好き」と答えているが、それは「生活や生きることを丁寧に描いている作品が好き」ということと同義なのだろうと思う。

食事というのは人と人を繋いでくれる。誰かのために作ること、"いただきます"、"ごちそうさま"、それから"美味しかった"と伝えること、伝え合うこと。美味しい匂いや楽しそうな声に吊られてキヨの料理する台所に人が集まってくるシーンはとても愛おしい。毎日楽しく食卓を囲えばそれはもう家族なのだ、そう考える。誰かが作ったご飯を食べる、それは当たり前のことかもしれないが、そこには少なからず「信頼」が必要になる。そのキヨの手が作る「信頼」や「愛」の形が食事として、手渡される。今一度食事のありがたみを考え直す作品になった。美味しいご飯は人を繋ぐのだ。

©小山愛子・小学館/STORY inc.


最後に問題の8話『おばけ』。衝撃のゾンビ回だ。この回が最高に愉快だった。百子(橋本愛)が熱烈なゾンビオタクで、『マイコ・オブ・ザ・リビングデッド』なる出し物を屋形の舞妓総出で制作するというもの。嬉しそうに出演する吉乃(松岡茉優)の存在も相まって『桐島、部活やめるってよ』のオマージュであることに気付く。特にジョージ・A・ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を力説する橋本愛の姿は『桐島、部活やめるってよ』好きには堪らない名シーンになっている。

©小山愛子・小学館/STORY inc.


みんなで文化祭のように出し物を作るシーンは愛おしさで胸がいっぱいになる。みんなでひとつの物を作るというのはすごく楽しい。この作品中どれだけ「愛おしい」という感情に出会っただろうか、数える暇もないほどだ。完成シーンに流れるこのドラマのために作られたオリジナルサウンドトラックの"Maiko of The Living Dead"が最高の楽曲で、思わずガッツポーズして何度も巻き戻して観てしまった。ELOの"Mr.Blue Sky"風というか、思えばこういうジャンルの楽曲ってなんて呼ぶのだろう。パワーポップ? このドラマを彩る菅野よう子の繊細な劇伴は、もう言うまでもなく素晴らしい。その場面で伝えたい言葉や演技の方向性を台詞に落とし込まない場合にはサウンドトラックが頼りになることは多々あり、そのニュアンスを引き出す音楽の塩梅がこれしかないなと何度も感じた。


各エピソードに散りばめられた誰かの生きることを軽くするメッセージ、毎日を楽しく生きる彼女たちの姿には羨ましさもありながら、同時に"自分もこうやって日々を生きることができるのではないか?"というヒントが隠されている。ちょっと疲れてしまった時、自分にウンザリしてしまった時、花街で暮らす彼女たちの日常を覗いてみてはどうだろうか。


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