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中庸にたたずむ

今日のレッスンは内容をあまり決めずに行きました。最近はしっかり決めていくこともあれば、決めすぎず生徒さんとのライブを、今日の様子を見つめて動くことも多いです。


そうすると、次はこう動いたらいいよと自然が教えてくれるようになります。良い悪いのジャッジなく、こっちに行くといいよ〜というガイドがあります。今日は素直にそれに従い動いてみたところ、生徒さんにも無理なく十分に動いてもらうことができました。


頭であれこれ決めていくと考えることが多く、あまりうまくいきません。逆に土台になる部分だけ決めておくと、枝葉の動きは自然と見えてきます。マンツーマンならなおのこと鮮明になっていきます。


今朝スタジオへ向かう道すがら富士山がそこにありました。どっしりと腰を据え、こちらを見ていました。飾らずそのまま行ってきなさい、と言われた気がして涙があふれそうになりました。


レッスンを終えて生徒さんが「体を動かして元気になったので、午後から仕事頑張れそうです」とおっしゃっていました。共有した時間が誰かの喜びになって、その波が波紋のように広がっていくといいです。悲しみも分け合って、喜びも分け合っていけばいいなと。


加島祥造さんの著書「タオー老子」に、“醜いがあるから美しいがある”とあります。どちらか一方に片寄ればそのまた一方を責めたり争いが起こったりする。中庸にたたずみ心穏やかに過ごすことで、極端な考えや行いとは距離を保つことができてゆく。


醜さも美しさも引き受けて、それでもなおその中庸にあらんとすれば平和はここにあると気づいていけると感じます。レッスンに臨む自分も生徒さんも、そんな広く大きな穏やかさを共有する自然の一部でありたいと思います。

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