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2023年読書評31 島田荘司とフィリッパピアス

「占星術殺人事件」
島田荘司
だいぶ前に大学の後輩が面白いと勧めてくれたもの。彼は読書家で見る目もあるのだが、私は勧められても、自分のアンテナを信じるので読みたいと思ったら読むけれどそうでなかったら読まないという人。
そして数十年経ち、ネットでもたびたび推薦されているので読むことに。

感想:ネタバレあり

長すぎる。半分でいい。3分の1でもいい。
ラストのトリックが秀逸との評があったが、「別に・・・」という感じ。ネットでおすすめミステリを検索すると必ず出てくるからそんなにすごいのかと思っていたが、そうではなかった。
物語はバラバラ猟奇殺人が40年前に起こって迷宮入りしたものを素人探偵が解決するというもの。

そもそも、バラバラにする意味がない。怨恨ならただ殺せばいい。しかし怨恨といえどそんな連続殺人をするものだろうか。
姉妹の中から自分も殺されたように見せるためだが、そんな手間をかけずに遺体を山中に隠し、自分は隠れればいいのではないか。
いろいろ不満が残る。

ただ探偵の御手洗と友人の軽妙な関係はいい。ただそれだけ。

中でもホームズものの疑問の指摘は面白かった。
身長190くらいある男がおばあさんに変装するなど不可能だとか。~私がドイルの擁護をするなら、ホームズは体をかなりかしげていたのだろう。
「まだらの紐」で蛇をミルクで飼い慣らすなどありえないというのは、~インドではあるのかもしれない。
蛇を金庫に閉じ込めておいたら蛇といえども窒息するだろうというのは、~昔の金庫はそんなに密閉性はないだろうと思う。
蛇が口笛に反応するはずがない、というのは、~インドでは笛で蛇使いが操っているが、たしかに音に反応しているのではないと私も思うが、周波数に反応するのかも知れないとも思える。

いずれにせよ、この小説が評価されているということは
ネットの情報がいかにいい加減かが分かろうというもの。

*この手の「おすすめミステリ」などで検索すると、複数のページで似たような作品がリストになっていること自体、私は不自然だと感じます。
もし私がリストを作ったら全く違うものになります。
ということは、面白いと感じる作品は100人100様であることが自然であり、複数ある紹介記事が似たものになっているということはその記事を書いたライターが、読みもせずに他の記事を参考にしているに過ぎないということであると思うわけです。

ブログの広告収入だけのための似非記事であると思われるのです。

もっと、本当にミステリが好きな人たちが、本当のリストを載せる、そんな機運になってほしいものです。
似非記事ばかりが表面でのさばる。
似非政治がのさばるのに似ています。
人気があるわけではないのに事務所の力で一定のタレントばかりがテレビに出るのと似ています。
上っ面のユーチューブばかり人気になって、仕組まれた再生回数で人々が惑わされているのに似ています。
そんな風に感じます。


「サティン入江のなぞ」
「消えた犬と野原の魔法」を読んだら巻末にフリッパピアスの翻訳リストが載っていたので、未読のものを読んでみたくなりました。というか以前もいろいろ読もうと思ったのですが、あまり食指が動かない感じで、なぜかというと彼女の著作は地味なのです。
でもどうやら著作数は少ないらしく、さらに日本語に翻訳されたものも多くない。
そこで「サティン入江の謎」を読み始めたのですが、物語がつかめないし、あまり面白くない。ということで放棄。
この本はできがよくないように感じます。

「ミノー号の冒険」
そこでこれ。読み始めて数章。どこかで読んだような。というか似ているということでよくよく調べると「ハヤ号セイ川を行く」でした。つまりタイトルを変えた同じ本ということです。
川流れがテーマになっているのでこの著者、たまに似たような作品を書くのだなと思っていたら、以前読んだものと同じとは。
個人的には「ハヤ号セイ川を行く」というタイトルはうまくないと思います。字ずらは見た目にいいけれど、声に出すと呼びづらい。「ミノー号の冒険」の方が発音しやすく、娯楽色が出ます。
ちなみにミノーというのは日本語でハヤという魚のことだそうで、私はどちらにもなじみがありません。


「8つの物語」
これは短編集です。雰囲気的にはかつて読んだ「まよなかのパーティー」に似ています。しかし私は前者の方が好きですが。今作品も印象的ではあります。
詩のような、普通小説のような、児童書のような、そのようなものが混ざった感じです。

本の体裁は児童書ではなく、普通小説を装っています。
読みにくいというわけではないのですが、すらすらと読めるものではなく、またすらすら読むべきものでもないのかも知れません。よって、娯楽色は薄いと言えます。その代わり印象には残るかな、という感じです。

このような小説は言葉では表せない人の感情といったものをうまく表現していると思います。
言葉で表現すると陳腐になり、言葉で表す必要のないもの。しかし、感情としては確かにある。
だから小説にする意味がある、という感じです。
映画にできなくもないけれど、映画だとあまりに起伏がない。やはり小説独特の世界なのかも知れないと思うわけです。



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