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2024年読書評3 三毛猫ホームズ 

「三毛猫ホームズの傾向と対策」
22作 1992年

27作目の「世紀末」からさかのぼって読んでいますが、26を飛ばして22作目。
24はかつて文庫で読みました。23と25は短編集で23は読んでいます。ややこしいですが、今回は22作目を。
つまり27作から14作くらいまでの間を読んでいるわけです。

私見では後期の作品は初期のものと変わってしまっているので、中間=読んでいない作品のどこかで変わってしまったと分析しているわけです。

本の解説によると当時、92年頃、赤川次郎は玉川大学で教えていたそうです。ということなのか、この本の舞台も大学。
大学で教授の連続殺人がある。
私は基本、新書で読んでいるのですが、イラストがあります。この20年くらいずっと同じ女性が描いているのですが、この本では違います。27から22のどこかで交代するのでしょう。
私はこの女性のイラストレーター、いい絵だと思うのですが、長すぎます。初期の頃はイラストレーターがコロコロ変わって、そういう楽しさもあったのですが、イラストはマンネリしていると思います。実に90年代から2020年代現在まですからね。

作者の赤川さんも初心に帰り、イラストも代わって、心機一転した方がこのシリーズ良いと思います。

さて作品自体は、初期のテイストがあります。つまり、この頃はまだ「三毛猫ホームズ」なのです。
28作くらいから以降「三毛猫ホームズ」ではなくなります。
イラストもマンネリ化した女性のものではないし、章区切りが違います。初期のタイプ、~1から4章くらいまであり、それぞれの章のなかで段落があるという感じです。後期のものになるとこの、大きな小区切りがなく、1~30ほどの区切りになっています。
イラストはもっと漫画チックで、作品自体も冗談にあふれていて、片山も従来の片山のキャラクターになっています。
後期のものは片山の話ではなく、ホームズも付け足しで、ユーモアがなく、そして何より読みにくくなります。
本作は読みやすいです。つまり、話が整理されているし、登場人物も分る。後期のものは人物がごちゃごちゃしていて、何を読んでいるのか分からなくなる。
それは、読者の力量の問題ではなく、著者の力が落ちているから。芸術家というのは年を取ると力量が落ちるようです。
特に若い頃から第一線でやっていた人ほどそう。

ということで
赤川さんは執筆量を減らし、1つ1つの作品に力を入れた方がいいでしょう。
そして本作は出来は良いと思います。でも一般書籍全般から見るとそれほどでもないと言っておかねばならないでしょう。


「三毛猫ホームズのフーガ」
21作目 1991年作。

私は音楽用語をあまり知らないのでフーガというのが何か調べると、同じ旋律が違う各章に出て来て、似たようなフレーズを繰り返すとか、良く分かりませんがそんなものであるようです。
その雰囲気を小説で再現しようというのでしょう。

物語:
片山刑事と妹がレストランで食事していると銃声が、そして近くにいる男性が殺されていた。しかし彼は撃たれたのではなく毒殺だった。彼はなぜか古い女性の写真を持っていたが、それは過去の事件の被害者だった。被害者の宅を調べると女性刑事とでくわす。共に捜査。一方、片山の上司の絵の展覧会に行くと刺殺事件が。しかしそこにレストラン事件の毒が。

というもの。

本作もシリーズ初期の雰囲気を残すもので、片山刑事が主人公で、ユーモアがある。
イラストも雑だけれど、個性のあるもの。
そして読みやすい。

私見では27作以降、イラストが変わり、以来ずっと20年くらいその人が担当。小説も章区切りが変わり、主人公が片山ではなくなる。シリアスになり、ユーモアがなくなる。
これは編集者が変わったからではないか。新しい編集者はこれまでの三毛猫ホームズの路線を意図的に変えようとしたのではないか。
少々漫画チックで子供っぽいものを大人風にしようとしたのかも知れません。
しかしもしそうだとしたら路線変更の失敗です。
あるいは、ただ単に作者の力量が落ちただけかも知れませんが。

この小説自体は、個人的には前半は読みやすかったけれど、後半になってレイプ事件が浮き彫りになると重く、小説として楽しいとは思えませんでした。たしかに話のつじつまはミステリとして成り立ち、犯人像も意外ではありますが。


「三毛猫ホームズの心中海岸」
24作 1993年
章区切りは4章区切りではなく、20くらいの区切りになっている。
イラストも後期の20年続ける江原利子さんではない。

この作品は文庫で読んだのですが、オリジナルの新書はどうかと思って借りて眺めてみました
覚えている限り、この作品は片山刑事中心で、本来の三毛猫ホームズです。

そして本作はもう少しで片山が結婚するところまで行く稀有な作品です。
そしてもしかしたら、赤川次郎は本作で、シリーズを終わりにしようとしたのではないでしょうか。
だから作者は片山を結婚させようとした。ところが編集部が許さない。

というわけで、以降、作者はいやいやながら続けることになる。
結果、本来のシリーズとは違うシリアスなものになってしまった、というのが私の分析です。

もし次作が本来のものではなかったらその推理が当たっているのかも。

ちなみに、映画の寅さんシリーズ。
私はずっと興味がなくて、見たことがなかったのですが、(というのも、家庭ドラマだからだ。怒鳴ったり喧嘩をするドラマなど見たくない)近年、見てみたのです。そして全て見た結果、
このシリーズもやはり後半、甚だしく面白くなくなるのです。もはやコメディではなく、つまらないシリアスドラマに成り下がるのです。
その理由は俳優の渥美清が病気になったから。かつてのような陽気な演技が出来なくなっています。

そして思うのですが、この作品も真ん中あたり(大地喜和子の回)で、寅さんが結婚する暗示で終わる回があるのです。
いつも寅さんが失恋して終わるのですがこの作品だけ違うのです。

ということは本来、寅さんシリーズもその作品で終わっても良かったのではなかったか、ということです。
それを松竹が許さなかったのではないか、というのが私の分析です。

三毛猫ホームズシリーズもきっとそんな経緯があったのでしょう。


「三毛猫ホームズの安息日」
26作だけど短編を挟んで長編としては心中海岸の次の作品
1994年 章区切りは20章になり、イラストも江原利子さんに代わっている。この作品からだ。

物語は:
片山刑事は乗り込んだバスで指名手配犯を見つける、妹の晴美はスーパーで強盗犯の仲間に間違えられて一味に加わるはめに、後輩刑事の石津はモデルハウスで殺人事件に遭遇、猫のホームズは心中しようとしている家族に連れられて行く。
というもので、
これらの話が平行して交錯しながら物語は進んで行きます。

シリーズ後期になるとこのスタイルが多く、しかしシリーズキャラクターではない第三者の話になるので、誰が誰だか読んでいて分からなくなり、話がいくつも交錯するのでわかりづらく、おまけにユーモアが欠如するので、もはや三毛猫ホームズではなくなるわけです。
この作品は丁度その過渡期にあるものです。

この作品にはユーモアも健在で、お馴染みの人々が活躍するので安心できます。
物語も分かりやすく、おすすめするなら本作以前のシリーズということになるかも知れません。



ココナラ
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