見出し画像

成木街道(石灰の道、白粉道), 上成木〜笹仁田峠ルート

※冒頭の写真は、石灰を江戸城に運ぶ人達が通った千賀村峠から岩蔵に至る古道です。日本武尊も通りました。

成木地区は石灰の生産が盛んで、古くは北条氏照の八王子城、家康江戸入府後は江戸城の外壁に使われました。

上成木村 風土記 産物の記載:

石灰
この村からも出せり。昔北条氏照が家臣佐藤助十郎、木崎平次郎、川口弥太郎など言える人の親ども、天正18年八王子落城の折から討ち死にせしにその子孫ここに住みし初めてかの石灰を焼く業をなせしよし。佐藤は北小曽木村に住みせし故その村の條にも出せり。木崎、川口が子孫は当村の里正なりと言う。

この石灰を、成木地区から江戸城へと運ぶ道を、成木街道と言います。

風土記 多摩郡における成木街道の記述:

田無より小川へ至り、凡そ十里余りを経て箱根ヶ崎へ出て、四里許にして成木へ至る是を成木街道と唱える。

今回は、この、成木街道の上成木から笹仁田峠を経由するルートを逆向きにexploreします。


羽村駅まで輪行、箱根ヶ崎に向かいます。箱根ヶ崎から岩蔵街道で岩蔵へ。

街道沿いの庚申塔

笹仁田峠の上り口からは富士山が。こいつは縁起が良い。

富士山

そして、実にあっさりと笹仁田峠です。

こちらからのアプローチはかなり楽です。

笹仁田峠を越えるとガラッと雰囲気が変わりました。山間の集落に来た、そういう感じがしました。

笹仁田峠を下って、青木燃料店の所に石塔群があって、その中に庚申塔道標があります。

左 上成木 黒澤 道、正にこれから行く道筋です。

道標に従い先を行きましょう、新岩蔵大橋の丁字路の手前で右に入るのが旧道です。

そのままT28を突っ切り御嶽神社を訪れます。

御嶽神社

日本武尊東征の折り、武具をここの岩蔵に納めたのが、"武蔵" の由来との伝承が残ります。

この伝承から、御嶽神社はこちらが本家、という話もあるようです。

その岩蔵です。

画角に入り切ってませんが、この右側にも大きく岩があります。ものスゴイ大きさです。そりゃあ神格化されるなぁ、と、思います。

本来なら道はこのまま先に続き、千賀村峠に至るんですが、完全に廃道化していて進めません。戻って新道を行きます。

今昔マップより、千賀村峠に十字マークを置きました。左の1894〜の古地図では、片実線片点線の村道が千賀村峠から東へ折れて、切れてしまってますが岩蔵に至ります。右の1928〜の古地図を見ると、今のT194に当たる道が一本実線荷車道で新たに出来ています。また、1894〜の古地図で村道だった道が、千賀村峠からは一点線徒歩道に格下げしていますね。
新道の千賀村峠

峠を少し下った所に国蔵寺があって、"御用白土石灰伝馬街道 千賀村峠の碑" がありました。

千賀村峠の碑

この碑には、千賀村峠→岩蔵→赤坂峠→木野下→新町→一望千里武蔵野を横断→中野村→内藤新宿という道筋が書かれています。

千賀村峠→岩藏というのは先程の消失した道ですね。

また、今来たのは笹仁田峠ですが、もう一本、赤坂峠ルートもあったということですね。そして、そちらの方は伝馬街道と呼ばれていたということになります。

さて峠を下って今度は逆側から千賀村峠にアクセスしてみます。

まず、曲がり角には道標が。

成木道から千賀村峠を越え、岩蔵、笹仁田峠、江戸へ向かう道の分岐点、という説明があります。左の道が千賀村峠への道、右が成木道です。

上記写真の左の道を行きますが、、、

やはり完全に廃道です。本来なら向うに見える堰堤辺りで左に向かいます。

ということで戻って、少し行くと成木熊野神社です。

成木熊野神社

1571年、冒頭の風土記に記載があった木崎平次郎が創建、そうした事もあってか、この神社は、石灰生産の窯元など、近隣住民の信仰篤く、175段ある石段は、地元生産の石灰石を角柱に切って作られだということです。

その石段、白っぽいのが石灰石と思われます。

1571年というと八王子城落城の19年前ですから、風土記にある、落城後、というよりは、元々、ここに土着していた可能性が高いですね。

先を行きましょう、北小木曽川が成木川に合流する成木5丁目のY字路に道標がありました。

従是右ハなぐり ちゝふ道
左ハみたけ につはら道

ここは吹上峠ルートが開かれるまでの継立所でした。

上成木から江戸城へ石灰が運ばれたルートは、当初、上成木→八子谷→天指→大蔵野→古武士→小布市→笹仁田峠→藤橋→長岡→箱崎という笹仁田峠ルートでしたが、一説には寛文(1661 - 72)の頃から、もう一説には文政11年1828, 北小曽木村の名主野崎嘉右衛門が、石灰の積み出しを容易にするため、吹上峠を開削して以降、吹上峠ルートとなりました。

吹上峠ルートが開かれる前までの継立所が、ここだったということになります。

先を行きまして、柏木神社です。

柏木神社

風土記に記載があった木崎家の木崎六右衛門が開いています。

先を行きましょう、新福寺です。

新福寺

風土記に記載があった川口弥太郎が1580年に開きました。八王子城落城の10年前です。川口家も八王子城落城の少し前からこの地区に入り込んでいたんですね。

先を行きましょう、久道橋です。

久道橋

甞て、石灰焼きが行われ、吹上峠ルート以降には、継立が行われていたということです。

先程の成木川と北小曾木川が合流する地点が継立所だったのは、吹上峠ルート前でしたが、こちら久道橋はその後ということですね。

先を行きましょう、慈眼院です。

慈眼院

ここには風土記に記載があった木崎家の墓があります。

伝木崎家墓

また、成木石灰所久保遺跡もあります。

この石垣の前で石灰焼きを実施していました。

この辺りが上成木の石灰生産の中心地でしょうかね。

ということでここをゴールとしましょう。


青梅街道 成立

で、検索すると1606年に江戸城築城の為、石灰を運ぶのに整備された、と、出てきます。

ということは、青梅街道の最初のルートは、正に今回走ったこのルートだということになりますね。青梅街道が今のルートになったのは、吹上峠ルートが開いてからということになります。

それにしても新緑の中のサイクリングは楽しかったです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?