コンテンツの流行りも消費もはやすぎる
ファストフードのようなコンテンツに慣れすぎて、最近ドラマを観るという“リハビリ”をしている。
「映画は長くて観れない」
なんて声を最初に聞いた時は、他人事のようにびっくりしていた。
ただ、そんな自分も映画を観なくなってから随分と久しい。
映画館から足が遠のいてしまったのはもちろん、サブスクサービスで映画を観ようとする時も、何だか覚悟を決めるかのように自然と深呼吸してしまう。
いよいよ最近は、動画でさえ1.5倍速で観るのが日常になってきている。
一体、自分は何かに追われているのだろうか。時間、仕事の重圧、あいにく思い当たる節がない。
コンテンツの消費がはやすぎる。
瞬間的にバズったコンテンツも早々に忘れられ、入れ替わり立ち替わりで目を引くコンテンツが流れてくる。
そんな流行りに限らず、コンテンツ自体の消費も早い。
倍速で観るとか、そもそもコンテンツ自体の長さが短かったり。
「自分はそれほど流行りや時代の波に乗っていない」
と心のどこかで抗いつつも、しっかり時代に合わせて消費の仕方が変わっている自分が、もはや微笑ましい(潜在的なニーズに訴求し続ける企業努力が各社凄すぎる)。
一消費者として、「こんなんで良いのかな?」という漠然としたモヤモヤはある。
「もし仮に、幼少期から“〇〇3選”みたいなコンテンツに触れ続けていたら、自分は一体どんな人間になっていたのだろう」
「倍速が標準速度の世界に生きていたら、決して倍速再生できない“生きること”をどう捉えていたのだろう」
なんてことをけっこう真面目に考えてしまうくらいには、モヤモヤしている。
一発信者としても、「どんなコンテンツを発信すればいいのか」という悩みは尽きない。
僕のInstagramを覗いてみると、その苦悩がはっきり分かると思う(面白がってやってください)。
プラットフォームに合ったコンテンツを発信していくことの難しさを、毎日ひしひしと痛感している。
自分の書く文章がたまたま誰かの目に留まっているのは、noteというプラットフォームの方のおかげだということを、もちろん分かっていたけれど、明確に実感することとなった。
noteに書く自分の文章が喫茶店風だとしたら、 Instagramで発信しているコンテンツはすっかり“ファストフード風”だ。
それは決して悪いことではないのだけど、漠然としたモヤモヤは晴れない。
結局、僕らはそうやって時代の波に乗るし、乗せられていく、乗らざるを得なくなっていく。
(何よりモヤモヤするのは、Instagramのリアクションが非常に少ないことだけれど、それは胸の内に秘めておこうと思う)
▷▶︎▷ おがたのよはく | Instagram
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