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「しょうがない」の呪い:『アルプススタンドのはしの方』を見て

大人こそ見るべき高校生の青春劇

『アルプススタンドのはしの方』
2020年公開
監督:城定秀夫 脚本:奥村徹也
キャスト:小野莉奈、平井亜門、西本まりん 等
ーあらすじ (filmarks引用)ー
高校野球の応援に来ているがルールも知らない2人の演劇部員・安田と田宮。そこに遅れてやってきた元野球部・藤野。そしてぽつんと一人、帰宅部の成績優秀女子・宮下。安田と田宮は、訳あってお互い妙に気を遣っている。宮下は、吹奏楽部部長に成績で学年一位の座を明け渡してしまったばかりだ。時折やって来てはひたすら応援で声を出せという英語教師の厚木先生に3人が辟易としている。やがて、それぞれの想いを抱えたまま、格上チーム相手で戦況不利な野球の試合が終盤に1点を争うスリリングな展開へと突入してゆくが…。

テーマは「しょうがない」との戦い

本作最初のセリフが「しょうがない」である。
そこから劇中何度も登場人物それぞれの「しょうがない」を聞くことになる。
部員の体調不良で夢見た舞台を辞退せざるを得なかった演劇部員の「しょうがない」。
怪我が理由で大好きな部活を辞めざるを得なくなった元野球部員の「しょうがない」。
才能に恵まれなかった選手は試合に出られなくても「しょうがない」。
初恋は実らなくても「しょうがない」。
無名校が強豪校にはいくら頑張っても勝てないのは「しょうがない」。
その「しょうがない」と言う言葉の意味と本心との戦いが本作のテーマである。

いつの間にか私達は限界を意識するようになっていく

私たちは成長の過程で想いを馳せた将来とは違う形になった現実に直面しなくてはいけない時が多々ある。その将来を思う気持ちが強ければ強いほど現実と向き合うのは辛いことだろう。
加えて私達は成長の過程で様々なことを知り、教えられていく。例えば、時間の有限さや、社会的責任と役割を教えられる。さらに努力を教えられながらも、才能と運は別次元にある特権だと刷り込まれる。その過程で子供の時は何にでもなれると思っていた私たちはいつの間にか自身の「限界」を意識するようになってしまう。
誰も「限界」を目視したことなどないはずなのに。

そこから私達はいかに妥当性がある目標を立てるか?を考え、効率を重視した生き方の方程式を解こうとする。いくら頑張っても越えられない壁への挑戦を非効率であり無駄な時間と考え、諦めの良さを正義とする。それを「身の程を知る」と言う。

しかし、私たちの夢に想いを馳せる感情こそ別次元にあるからこそ人は理解に反して諦める苦しみを感じるのである。

「しょうがない」は大人になる為の魔法の言葉

精選版 日本国語大辞典引用
仕様がない(しょうがない)
① なすすべがない。よい方法がない。

意味としてはとても漠然としてるが、
もう何をしても叶わない様を表す言葉である。

諦める苦しみから目を背けるため。
諦めることが正しい判断であると言い聞かせるため。
おそらくここからは道が険しいであろうと思ったとき、
諦めることを拒否する人に諦める妥当性の意味を教えるために私達は「しょうがない」という。

そして諦めたくない気持ちを殺してしまった罪悪感を抱える私達はお互いにまた「しょうがなかった」と言い合い、それぞれが正しい方程式を解くための判断をしたと支え合うのである。それを人は「慰めあい」とは呼ばず、「大人」や「冷静」と自らを呼ぶ。まるで「しょうがない」と言えることが大人になる条件であるかのように。

そして自分達は「諦めた」だけでなく、それを「大人」と呼び誤魔化していることから目を逸らすように諦めを知らない人を「無謀」で「身の程しらず」と批判する。

本当に「しょうがない」のか

ここでいう「限界」とはおそらく成長の上限を達してしまったことを指すのだと思う。「身の程」とは生まれたときに与えられた肩書き、才能や能力に沿って割り当てられた社会的立ち位置を指すのだと思う。

おそらくそれらの判断軸は過去の事例から見た確率論なのだと思う。
しかし、世界に一人として同じ人や同じ境遇はいないという一般的常識を肯定すると、人の成長の上限や、才能の有無、潜在能力値等はどのように測っているのだろうか?
もしそれを測れるのであれば早々に占い師やカウンセラーとしてセミナーを開くか、
スカウトマンになるべきであるのだが、どうやら今のところ人の一生に責任を負えるほどの確度で限界などを見抜く能力を持つ人は存在していないようだ。

要するに、「しょうがない」というのは分母と分子自体が曖昧な確率論であり、結構無責任で漠然とした予想でしかない。
それを「大人」と呼んでいるのはいささか滑稽にも思える。

多分「しょうがなくはない」

成長する過程で上で書いたような矛盾に向き合い、私達は自分なりの答えを出しながら生きてきた。きっと「しょうがない」と諦めたことや、自分を押し込んだことは多々あるであろう。「しょうがない」って思って受け入れないといけないことたくさんあったのではないか。けどきっとそれは全部「しょうがなくはない」のだと思う。
無理ではないし、やり続ければ必ず成功するということでもない。いつまで経ってもそれはやってみないとわからないことばかりである。

あとは自分の気持ちを守るための鍛錬を欠かさず、それを表現し、動き続ける力を蓄え、発揮することだけが必要なのではないかと思う。
もしかしたらあなたと一緒に夢も成長し、形を変えるのかもしれない。

夢に生きる。

本当に怖いのは「しょうがない」を「大人」であると思ったところから戻って来れないことだ。
自らに言い聞かせてきた事を否定して、都合よく「挑戦」のフィールドに戻れるほど人間はうまく出来ていない。継続は力なりとはネガティブなことにも通づるのである。挑戦を否定すればするほど、自分が遠ざかっていってしまう。だから基本自分に嘘はつかない方がいい。
「しょうがない」と言いたくなったときは、そんな曖昧な言葉に人生を任せる危機を感じるといい。そして「やり続ける」ことでしか見えないものがある事を信じた方がいい。夢に敗れても新しい夢を見つければ良い。やり続ける「継続」を意識した方がいい。

夢に生きることは「無謀」でもなく、「身の程しらず」でもない。
私達は夢を見る実感を尊び、達成に向かってやり続けること自体が善い生き方なのであるのではないか。それを念頭に置き、自分は今どう生きているのかを考えてみたい。

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