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寺山修司の短歌「跳躍の選手高飛ぶ」

跳躍の選手高飛ぶつかのまを炎天の影いきなりさみし

『われに五月を』および『空には本』(『寺山修司全歌集』168頁)

『われに五月を』は、1957年1月1日出版。寺山修司は21歳、ネフローゼで入院中だった。この歌は、「真夏の死」という小題の中にある。

『空には本』は、1958年6月出版。寺山修司22歳で、退院する一か月前だった。この本では「熱い茎」という小題の中に収められている。

(細かいところが気になって、だらだらと長くなってしまった。手っ取り早く歌の解釈を知りたい人は、「解釈」の「歌の内容」を読んでください。)


■語句

跳躍の選手――走り高跳びの選手。

炎天――夏の焼けつくような空。「炎天」や「炎天下」は俳句では夏の季語。

■解釈

◆走り高跳び? 棒高跳び?
跳躍って、どんな跳躍なんだろう。

最初は単純に、走り高跳びだろうと思った。でも、走り高跳びでは滞空時間が短く、影がちゃんと見えないのではないか。

とすれば、棒高跳びか。棒高跳びなら飛んでいる間、選手の体はスローモーションのようにゆっくり動く。それに一瞬体が縦になるので、影は小さく丸まるだろう。また、地面と距離があるので小さくもなる。「いきなりさみし」にぴったりのような気がする。

でも、棒高跳びでは厚いマットレスを使う。YouTubeで跳んでいる映像を見ると、マットレスに映った影は歪んでいてよく見えない。

もう少し調べてみる。1960年頃の棒高跳びの写真や映像を見てみると、マットレスはなく、砂場のようなところに着地している。これなら地面に落ちた影ははっきり見える。

しかし、歌には「棒」など出てこないのだから、やはり走り高跳びと考えるのが自然か。

◆どんな跳び方?
走り高跳びには、はさみ跳び、ベリーロール、背面跳びがある。どんな跳び方なのか。

背面跳びは、1968年のメキシコオリンピックで知れわたり、一気に世界に広まったようだ。寺山はこの歌を1957年出版の『われに五月を』に載せているので、背面跳びはありえない。

ではベリーロールか。ベリーロールは1930年代に考案され、1936年のベルリン大会でも跳ばれた。これは寺山の時代にもあった跳び方だ。だが、跳んだ後、肩や背中から落ちる。マットレスを使わないと痛そうだ。

マットレスを使ったのなら、やはり影は見えにくくなる。

調べてみると、マットレスが使われたのは、1968年のメキシコオリンピック以降だ。それ以前は砂場だったようだ。つまり、ベリーロールでも砂場に落ちていたということだ。

ということで、はさみ跳びかベリーロールのいずれかと推定できる。

ちなみに寺山より20年以上後に生まれた僕は、中学校の体育の時間に高跳びを習った。そのときは「はさみ跳び」(こんな名前だった?)で跳んだ。マットレスなんてそんなぜいたくなものは昭和の校庭にはなかったと思う。だから、砂場だった気がする。

ベリーロールの方が新しい跳び方だということで、やってみたがる生徒がいたが、体育の先生からは、危険だとして禁じられていた。

話がそれたが、次のような結論になる。寺山が見ている高跳びは、マットレスなし、砂場に着地。そして跳び方は、はさみ跳びかベリーロール。

寺山が少年の頃の自分の体育の時間のことを思い出して詠んでいるのであれば、はさみ跳び。大学生になった寺山が競技大会などで選手の高跳びを見ているのであれば、ベリーロール。

歌で「選手」と言っているので後者か。ベリーロールならふわっと舞い上がる感じがあるので、影もゆっくり見えるのではないか。

ちなみに1957年当時はようやくテレビが普及し始めた頃。貧しい寺山はもちろん持っていなかっただろう。だから競技大会の高跳びなら、寺山は自分の目で見ているはずだ。

◆歌の内容
夏の炎天下のグラウンド。高跳びの選手が、跳躍を行っている。選手が空中に浮かび上がった瞬間、地面に映った影が体と離れる。本体から切り離され、地面に見捨てられていく影が不意に孤独になったように思われる。

炎天下で躍動する選手の熱い汗と、瞬間的にとり残される影のひんやりした孤独が対比されている。

歌自体が、助走と跳躍の瞬間を文字で表わしているようにも思える。「跳躍の選手高飛ぶ」が助走で、「つかのまを」が跳躍の瞬間。平仮名なので一文字一文字ゆっくり読むことになる。それが空中にふわっと浮かんでいるようすを表わしている……。

まあ、考えすぎかも。有名な「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」のように、寺山はいつも「つかのま」と平仮名だからね。

でもやっぱり計算しているようにも思える。「マッチ擦る」の歌の場合は、「つかのま海に」と「つかのま」がすぐ「海に」につながっているが、この歌では「つかのまを」で切れているからだ。

「いきなりさみし」という口語的な表現が独特だ。跳躍、選手、高飛ぶ、つかのま、炎天などの硬い言葉による客観的な描写の後に、「いきなりさみし」がくる。すべて平仮名だ。「われ」が気づいたことが思わず口をついて出たような感じだ。表現の落差がおもしろい。

■他の人のコメント

◆本林勝夫:1994

炎天下のフィールドでハイジャンプの選手の姿が一瞬空をよぎった。バーを斜めにつかの間黒い影が視野をさえぎったとき、ふっと言い難い寂しさが私の胸に影を落としたのだった。(20頁)

本林は「炎天の影」を、逆光で見た選手の体だと見ている! う~む、まったく思ってもみなかった。

跳躍したときにちょうど選手の体が太陽の光を遮る。選手の体が一瞬だけ真っ黒になる。そしてそれが見えたとき、「われ」の胸にも寂しさの影が生まれるというのだ。

人気のない炎天下のグラウンドというものは、妙に寂しい。作者はそこでひとしきりに跳躍を試みている孤独な選手の姿を想像し、一瞬にすべてを賭けるもののさびしさを感じとっているのではあるまいか。(20頁)

う~む、なるほど……。

表現については、次のように述べている。

「いきなり」と口語を用いたところが絶秒であろう。(20頁)

これにはまったく同感。

ところで、本林は「ハイジャンプ」という言葉を使っている。これは走り高跳びのことだ。

「跳躍」とは走り幅跳びや三段跳びではあるまい。「選手高飛ぶ」とあるから棒高跳びとも考えられるが、それではスローモーションめいた感があって「つかのま」にふさわしくない。ここはやはりハイジャンプでなければならぬところだろう。

本林は「スローモーションめいた感があって」と棒高跳びを否定しているが、僕は逆にスローモーションのようにゆっくりバーを越えていくところがあるから、棒高跳びだと思ったのだった。影がはっきり見えるのは選手がふわっとバーを越えていくからではないか。スローモーションのようであっても、全体としてみれば「つかのま」のことだ。

◆梅内美華子:2014
寺山の歌を、春日井建の「火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて飛ぶ」と並べ、次のようにコメントしている。

「炎天の影」「夕陽」を通して走り高飛びの選手の肉体が死の影を帯びている。生と死が表裏一体であることを高飛びをする選手に見ているのだ。

『NHK短歌』2014年3月号、46頁

夕陽に照らされて赤くなった青年と同じように見ているのだろうから、寺山の「炎天の影」は黒く翳った選手自体と捉えているのだろう。本林と同じだ。

梅内は寺山の歌に「死の影」を感じ取っているが、ここで思い出すのは、『われに五月を』ではこの歌が「真夏の死」という小題の中の一首であったことだ。また、寺山がネフローゼで入院しており、生死の境をさまよっていたことだ。(まあ、厳密にはこの歌がいつ頃制作されたのかを確定する必要があるが。)

◆工藤吉生:2014

選手が高く飛べば影は小さくなる。いつもは人に寄り添っている影が離れたのがさみしいと。ポツンと小さく置き去りにされた影。/「いきなり」に跳躍の勢いをみる。

ネット「存在しない何かへの憧れ」

「影」を僕と同じように捉えている。よかった。

「『いきなり』に跳躍の勢いをみる」は、勢いよく踏み切ったので、影も「いきなり」さみしくなったということ。

それにしても、僕は長々と駄文を書き連ねてきたのに、工藤はこんなにあっさりと、的確にまとめている……。

■おわりに

「影」について二つの見方があることに驚いた。

読者はそれぞれで受け取ればいいのだろうけど、選手の肉体が逆光で黒くなるというのは、スポーツ写真やスポーツを描いた絵画によくありそうな構図に思える。

それに対して、跳んでいる選手ではなく、地面に映った影に注目したのは珍しい。

ひょっとしたら、これまでも影に注意を向けた人はいたかもしれない。しかし、「いきなりさみし」という感じ方をしたのは寺山が初めてだろう。

■参考文献

『寺山修司全歌集』講談社学術文庫、2011

梅内美華子「探索うたことば」、『NHK短歌』2014年3月号、NHK出版

本林勝夫「〈評釈〉寺山修司の短歌20首」、『国文学 解釈と教材の研究』学燈社、1994年2月号、20頁

ネット「存在しない何かへの憧れ──工藤吉生ブログ」:2014年03月04日
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52090058.html

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