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寺山修司の短歌「外套を着れば失う」

外套を着れば失うなにかあり豆煮るなどに照らされてゆく

『空には本』(『寺山修司全歌集』151頁)

『空には本』では「冬の斧」一連の歌の一首。

■解釈

冬。もう暗くなった時間。「われ」は外套を着て外出する。通り過ぎる近所の家からは、豆を煮る匂いがただよってくる。あたたかな家庭の明かりが見える。穏やかな庶民の生活だ。

しかし、外套を着て出かける自分はそのようなくつろぎをふり払って、これから世間に対峙していく。ちょうどいくさに出かけるときの心情だ。外套は鎧なのだ。

「失うなにか」とは、安らかな日常の中で、強がる必要もなくさらけ出せる、自分の中の弱い部分だ。

家を出てから、外套が自分にとっての鎧と認識され、世の中と対峙できるように気持ちが張りつめてくるまでの短い間に感じる微妙な心情を表現している。繊細だ。

ここで思い出すのは、

マッチるつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

という有名な歌だ。

この歌の「われ」はきっと外套を着ている。いつもトレンチコート(レインコート?)を着ていた寺山自身と同じく。ここでの「われ」は寺山にとって理想的な「男」であり、そうありたい自分だ。

しかし、今回扱っている歌には、「マッチ擦る」の歌に見られるような、カッコつけの寺山とはまた別の寺山がいる。カッコつけもいいが、弱さを素直に出すのもいい。

■おわりに

あまりぱっとしない歌か。言及している人はいないようだ。

「マッチ擦る」の歌とはあまりにも違うが、対比させてみるとおもしろい。

「マッチ擦る」の方は、読者をぐいっと惹きつけるところがあるが、気取りやてらい(まあ、そこがいいんだろうが)がちょっと気になる。この歌を読むと、寺山の人間味を感じる。

■参考文献

『寺山修司全歌集』講談社学術文庫、2011


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