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寺山修司の短詩「発狂した母が」

寺山修司の俳句「父を嗅ぐ書斎に犀を幻想し」について調べる過程で、「パオと高床」というサイトで「寺山修司『月蝕書簡』(1)」という記事を見つけた。そこに、犀をモチーフにした寺山のほかの短歌や短詩が掲載されていた。次はその中の一つだ。

発狂した母が
浴槽の中で美しい犀を飼いはじめる

(『続・寺山修司詩集』39頁)

■解釈

短歌ではなく、短詩だ。「発狂」の「は」と「母」の「は」が頭韻を踏んでいるが、2行目は滑らかには読めない。2行目はゆっくりと内容を理解しながら読むのだろう。

ここでの犀は、父親ではなく、愛人のイメージだ。鎧のような皮をまとった、大きくて重々しい犀。犀の迫力ある角は、ファルスの象徴だ。

犀に「美しい」という形容詞がついているのはなぜか? 耽美的なイメージを創出するためだろう。

母の「発狂」。自分の知らない母の「狂気」をかいま見る思春期の少年。美的エロスが匂い立つ。僕には、澁澤龍彦訳のジョルジュ・バタイユの本に挿入された金子國義くによしの絵が思い浮かぶ。

もう少し想像してみよう。浴室のドアが開いている。洋風のバスタブ。体にぴったりした真紅のドレスを着た母。赤い口紅。バスタブの縁に腰かけている。バスタブの中には美しい大きな犀。赤い母、白いバスタブ、暗色の犀の体――色合いが絶秒だ。

母はお湯を手にすくって、それを犀の体にゆっくりとかけている。犀をさもいとおしんでいるかのように。母の目に宿る狂気。のぞき見をする少年の激しい嫉妬。狂気に陥っているのは、少年のほうか――。

う~む、このへんでやめておかねば……。

■おわりに

寺山修司は、浴槽の中で「わに」を飼うという詩も作っている。「友だち」という題の詩だ。

浴槽でわにを飼うことにした
鰐は誰をも愛さない
とびきり下品なぼくにはお似合いの
鰐はドレスアップしたままで浴槽に入る
(以下略)

(『寺山修司少女詩集』108-109頁)

ここでの鰐は男友だちだ。「きらわれもの同志ママ」の「ぼく」と鰐は、「人生の悪口」を言い合い、「恋なんてどうせ大したもんじゃないのさ」と強がっている。すね者同士の友情だ。

書斎の犀、浴槽の犀、浴槽の鰐と、寺山はモチーフを変奏させて何度も使っている。それぞれの雰囲気がまったく違うところがおもしろい。

■参考文献

◆テキスト
『続・寺山修司詩集』思潮社、1992

『寺山修司少女詩集』角川文庫、2005(改版)

◆文献
サイト「パオと高床」:2011/10/12
https://blog.goo.ne.jp/jinyoshi/e/cacaa173985acd279e31fd846f072ac3

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