見出し画像

明暦(めいれき)の大火

明暦3年(1657年)1月18日、日本の歴史の中で最も被害の大きかった火事があった日なんだ。この「明暦の大火」はね、火事の炎で焼かれてしまった家が4万8千もあるって記録があるんだよ。この火事で亡くなった人は10万人くらいもいたんだって。大正12年(1923年)に起こった関東大震災と昭和20年(1945年)の東京大空襲くうしゅうとおんなじくらいの被害だったんだって。

ポンと昔。明暦3年の1657年、1月18日のお昼過ぎの2時ごろ江戸本郷丸山(現文京区本郷)の本妙ほんみょう寺が火事になってしまったんだ。この時期は乾燥しているしね。しかも二ヵ月も雨が降っていなかったんだって。江戸時代の家はみな木で出来ていたからね、悪いことにこの日は風が強い日だったんだって。朝からひどい砂ぼこりを立てて風が吹いていたというんだよ。炎は風にあおられて燃え広がっていったんだ。湯島、神田、八丁堀それに石川島までを焼き尽くしていったんだって。次の日、炎の勢いが小さくなったと思っていたら10時ごろからまた北風にあおられて炎はもっと強く燃え広がっていってしまったよ。小石川・伝通院でんづういん前ではね、激しく燃えてね、焼け残っていた小石川辺りを全部焼き尽くしてしまったんだって。その燃え上がる炎はね、もっともっと勢いをつけて飯田橋、九段を焼いてとうとう江戸城まで焼かれていってしまったんだ。炎は本丸、二の丸、三の丸を焼いてしまうとやっとやっと炎は治まったんだよ。ところがね、その日の午後4時ごろさ、今度は麹町から火の手が上がってしまったんだ。炎は今度は江戸城を取り囲んでいた武家屋敷ぶけやしきを焼いて、海に向かって焼き始めたよ。鉄砲洲、芝の海浜にまで燃え広がっていってしまったんだって。

寒い冬だったし大勢の人たちが家も家族も何もかも無くしてしまったよ。火事は怖いよ。みんなで気を付けて行こうよね。

読んでくれてありがとう、ポン!

#日本史 #江戸時代 #明暦の大火 #火事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?