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分娩台よ、さようなら



(2022年8月14日 06:45に下書き)
SNSで誰かがおすすめしていて気になった本。

妊娠出産は病気ではない。

賛否両論あるような言葉だけど、それは使い方次第だと思う。私は言葉の通りで病気ではないし自然なことなんだとこの本を読んで改めて思った。
(つわりは病気じゃないとかそんな話ではない)

医療が発達して出産後に生きられる確率が高まった事で、逆に何かあった時に訴えられる事が増え、それが産科にとってのリスクになり、より「医療」とか「安静、入院」を重視せざるを得なくなった。

漠然とある「医者にかかれば何とかしてくれる」というイメージは、ある意味で自分達を苦しめているのかも。(これ気づけて良かった)

現実には医療、医学、病院ではどうしようもないことの方が多くて(基本どんな病気も正確な原因すら分からないし)そこを間違えないように、「予防」が大事だと筆者は考えているようだった。
(医療によって助かるようになった事も沢山あるし感謝とリスペクトは必要♡)

妊娠し出産すること自体は、人類が誕生したころから現代まで繰り返されている営みで、妊娠した人には産む力があると言うことを信じていいと書いてある。母子共に健康で出産に臨むには、毎日の運動+食事に気を遣う必要がある。当たり前だけど一番大事なこと。
それから産む時も、機械的な分娩台で手脚を固定されお腹が痛いのに仰向けになる必要はなくて、自分が思う1番楽な姿勢で産むことが、赤ちゃんにとってもお母さんにとってもいいのだとあった。会陰切開や剃毛など誰もが嫌だと思うこともする必要なし。

私自身、分娩台そのものへの否定の気持ちは無かったが、手足が固定される事は知らず、そうされた時、痛みに耐えながらも「え?」と一瞬気持ち悪かった。会陰切開も剃毛も嫌だったけど、そういうものだし初産だから仕方がないと思っていた。(今となっては、何で初産だから仕方ないと結論づけたか謎)

そういう出産時の小さな不審点?がこの本を読んで、そういうことかと腑に落ちた。
現代では出産が「医療」に近づき過ぎてると思った。

更にコロナ対策という名の下、自然な営みから逆行している現実がある。
何よりも呼吸が大事で酸素を赤ちゃんに送る必要があるのにマスクをして出産だとか、立ち合いが出来ない、面会時間が人数が限られているとか、こういう方針を決めた人達が守りたいものは何なのか、考えるととても恐ろしい。

陣痛はオキシトシンが出る事で強められるらしく、安心できる家族やパートナーが一緒に居てくれたことが何よりも重要だったから、それが叶わない現状は(産科によってはもう違うのかな?)、どれだけお母さんと赤ちゃんに負担を強いるのかなと思う。

筆者の大野さんが開いた助産院は、既に閉院になっており現在どのようにされているのか分からないが、今の産科の状況をどう見ているのだろう。

本にも書いてあったが、病院、産科、医者、国が悪いとかではなく、求める側がいるから成り立っている現状。
メディアや雑誌、妊婦向けの情報は沢山溢れていても一番大事な部分が抜けている事が多いと指摘されていた。(例えばどうして陣痛がくるのか、頭より小さな骨盤をどうくぐり抜けてくるのか、NSTを受ける意味、陣痛の強度を記録する機械について等)
妊婦向けの雑誌も読んだし、出産にまつわる本も読んだ気がするが、実際はいざ産む直前になると知らない事だらけだった。

里帰り中に祖母がよく言っていた「自然がいちばん」の意味も理解できた。
色んな本を読むことで、祖母の伝えたい事の理屈が分かって嬉しい。(祖母は経験から語るだけなので何故それがいいのかの理由がなく、聞いた時はそうなんだーで終わってしまう)


現実には、筆者大野さんの助産院は閉じられてしまっていることから、本の内容通りにいかず、結局は分娩台に頼らざるを得ないのかも知れない。
しかし人々が長年営んできたお産のことを知った上で、ある程度は「自分の力」で産むことがその後の色んな面での自信につながるのではないかと思う。
それを手助けしてくれる産科という位置づけの機関が増え、手助けしてもらおうと考える人が増えたらいいなと思った。



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