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違和感を大切にする


とある会話をしている中で、とても違和感を感じて。
そして違和感を感じ始めると、その違和感が気になってその後の話が聞こえているのだけどれども受け取れない状態になっている自分に気づいた。
もちろん聞いているから内容は覚えている。
ただ、その内容に共感して受け取ることができなくてなんだか宙に浮いたままの状態。


久しぶりにそんな状態になって、改めて気づいたことがある。


その違和感、そのままでいいんじゃないの?


当たり前のことかもしれない。
でも、その違和感を感じたということを否定する必要も、忘れる必要もないだろうなぁということ。そして向かい合うと見えてくるものも。
違和感って、それまでの様々な経験や自分自身の価値観から言語化できるかどうかは別にして、
「何かちょっと違う気がする」「何かちょっと腑に落ちない気がする」
と感じている状態なのだと思う。
そこにはその人自身の経験と価値観という土台があって、初めて感じるものだと思うのだ。


それが時には、仕事で何かうまくいかない時に感じるようなことだったり。
何かしている時に同じようにやっているはずなのに何かが違うと感じるようなことだったり。
話をしているのだけど本当に思っていることを話しているのか、思っていることを話せていないのではないかと感じるようなことであったり。
基本的にはOKなんだけど、みんながいい!と言っているのだけど、何か物足りなさを感じたり納得できないと感じていることだったり。


違和感って、ちょっとシグナルなのだと思う。
「本当に?それでいいの?それで進めて納得するの?」
って問いかけされている状態ではないか、と。
健在意識では色々納得できる理由を見つけてきているのだけれど、潜在意識では何かしらの理由で納得できていない状態だとも言えるかもしれない。
なーんか、違うんだよなぁって。


そこで、一旦立ち止まってその違和感に向かい合ってみることで、気づくことも発見も再認識することがあるかもしれない。
結果として、自分が受け取れていないだけのことかもしれない。
異なる角度から見てみたら、納得できることだったりするかもしれない。


考える、きちんと腹落ちする、そのためのきっかけを与えてくれているような。


私は、そのプロセスが大切だと思っている。
言われたことをそのまますることも大切なこと。
経験がないことは、とりあえずやってみることも大切なこと。
でも、ただ言われたことをするだけが続くと思考停止の状態になる。
違和感にも、きっと気づけない人になる。


以前、仕事で特に問題は起こっていないのだけれど、報告を受けたその内容になんだか違和感を感じて、改めてかなり突っ込んで詳細を確認していったら、そのまま進めたらとんでもない大きなトラブルに発展する可能性が高かったことがあったり。
とあることについて相談を受けていた時に、なんだか相談している内容はそれはそれで大切なことだったのだけれど、話ぶりに違和感を感じて聞いてみたら、別のことが本当は一番重要でポイントだったり。
違和感を感じたことによって、大切なことに気づくことができた場合もたくさんある。



AIと共存する世界に生きていくことになる私たちは、人にしかないものって何なのさ?という問いとともに生きていくことになるのだろう。
その時に「人らしさ」の一つとしてこの違和感を感じることって大切なことになってくるんじゃないだろうか。AIは過去のデータから正論で回答・提案してくるかもしれない。
その時に何も疑わず、言われたままにそのままそれに従うって、最終的にAIに使われているのと同じことになるよね。


ちょっとした違和感を感じること。その違和感を大切にすること。
過去の経験と価値観からもたらされる、人としての重要な能力なんじゃないか、って感じた出来事でした。


ちなみに。
私が何故違和感を感じたのか、と後で考えてみたら、違和感を感じた理由が自分の中で明確になり、とてもとても腹落ちしてちょっと受け取り方は期待されていたこととは違うのかもしれないけれど納得することができた。
そもそもの前提において認識の異なる点がいくつかあったから。それは、違和感を感じちゃうよね。
そしてその違和感をそのまま否定せずに、向かい合ってみたから納得できたことも。いやはや、書きながら自分でも思ったけれど、こうして書いてみると面倒くさい人だねぇ、私。



写真は満開となった芍薬
この柔らかさと華やかさに癒されます






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