<「かわいそうランキング」が世界を支配する>を考える


●「かわいそうランキング」が何か知りたい人はこのページを読んでください。

●先行研究や他の問題との関係や違いを知りたい人も、読んでください。

●「かわいそうランキング」を知ると、社会問題の捉え方が変わります。

キーワード

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※およそ1万4千字あります。

※2017年8月6日に公開しました。

※8月7日に誤字脱字を直しました。また、一部の表現を変えました。

※8月15日に「4章テーマE 選んだ/選ばない論争、先天的/後天的論争、自己責任、生まれたことを罰するということ」を追加しました。また、第3回おぎの稔×白饅頭トークイベントの情報を追加しました。他にも表現を変えた部分があります。

※9月17日に誤字を直しました。また、一部の表現を変えました。

目次

1章 ご来場ありがとうございます。

2章 かわいそうランキングとは

3章 「かわいそうランキング」の意義

4章 かわいそうランキングは、先行研究や他の用語・概念・着眼点と何が違うのか、どんな関係にあるのか

4章テーマA 「キモくて金のないオッサン」

4章テーマB 秋葉原事件の加藤智大被告と「黒子のバスケ」脅迫事件の渡邊博史(わたなべ ひろふみ)被告

4章テーマC 動機の純粋性と空気

4章テーマD ポリティカル・コレクトネス

4章テーマE 選んだ/選ばない論争、先天的/後天的論争、自己責任、生まれたことを罰するということ

4章テーマF 「理想の弱者」「幻想の弱者」「きれいな弱者」

4章テーマG 「サバルタン」と「代弁」と「マイノリティ憑依」

第5章 かわいそうランキングのパラドックス

第6章 かわいそうランキングの今後の展望

第7章 このnoteの今後の展望


1章 ご来場ありがとうございます。

 初めまして。街河ヒカリです。

 「街河ヒカリって誰だよ!」と思っている人もいると思いますが、私の年齢や職業や学歴や、出身地や血液型といったものはこの文章と関係ありませんし、ましてや子供のときに飼っていたペットの名前、きのこ派か・たけのこ派か、そんなことは誰も知りたいと思っていないはずなので、書きません。

 こからは気を引き締めるため、文体を変えることにする。

 私は2011年から継続的にTwitterでテラケイさんの投稿を読んでいたうえ、テラケイさんがパーソナリティを務めるニコ生ラジオ「アキバ通信」も聴いたし、2017年5月27日と8月12日に開催されたトークイベントにも参加した。今までにテラケイさんから公開されたすべてのnoteに購読料を払って読んだ。

 このページでは、私が今までに読んだことや学んだことを活かし、かわいそうランキングについての情報を整理すると共に、先行研究や他の問題との関係や違いについても書いている。

 かわいそうランキングについてのまとめサイトが既にあるかもしれないし、これから増加するかもしれない。Wikipediaに「かわいそうランキング」のページが作られるかもしれない。その一方で誰かがかわいそうランキングについて自分の意見を論じるページを作ったり、論文を書いたりすることもあるだろう。しかし、私(街河ヒカリ)のnoteでは次の3点を重視したい。1点目に、まとめサイトやWikipediaよりも考察に厚みを持たせること。2点目に、私が独自の意見を主張するというよりは、俯瞰的な視点から書き、地図のように「かわいそうランキング」の位置づけを示すこと。3点目に、俯瞰的な視点を重視しながらも、私の主観やあいまいな仮説も随所に盛り込み、たとえ粗削りであっても文章化すること。

 つまり、私がこのページに載せる文章は、まとめサイト的でなく、Wikipedia的でもなく、評論文やエッセーでもなく、教科書的でもない。タイトルの通り、<「かわいそうランキング」が世界を支配する>を考える文章である。

 全体を通して、およそ1万4千字の大ボリュームである。

 「かわいそうランキング」のことをまったく知らなかった方がこれを読んで「かわいそうランキング」に興味を抱いてくれたら私は嬉しいし、「かわいそうランキング」をすでに知っていた方が「こんな歴史的背景があったのか!あの社会問題にこんな仕組みがあったのか!」と視野を広げてくれたら、さらに嬉しい。

 内容が不足している部分もあるし、間違っている部分もあるだろう。今後も読者の皆様からのコメントを反映させ、加筆する予定だ。私へのご意見・ご感想はnoteのコメント欄か、私のメールアドレスに送っていただきたい。

 なお、テラケイさんご本人は近年「白饅頭」という名前を使っているが、アカウント名は @terrakei07 であり、「テラケイさん」という呼び名が既に定着している。しかも白饅頭で検索すると食品のほうの白饅頭がヒットしてしまうので、このページがヒットする精度を上げるためにも、「テラケイさん」と書かせていただく。


2章 かわいそうランキングとは

 「かわいそうランキング」という言葉がTwitterなどのネットで話題だ。

 2017年2月3日に白饅頭さん( テラケイ さん、 terrakei07 さん)がnoteに「「かわいそうランキング」が世界を支配する」と題した文章を公開し、その後テラケイさんはTwitterでも社会問題について言及する際に「かわいそうランキング」という言葉を多用している。

 かわいそうランキングを知りたい方は、まずテラケイさんのnoteを読んでほしい。

「かわいそうランキング」が世界を支配する

 私がここで内容を詳細に書くとテラケイさんのnoteの価値を奪ってしまうため、おおまかな説明にとどめる。テラケイさんのnoteで使われている語句を活かしつつ、私なりに「かわいそうランキング」の定義を書くとこうなる。

 「かわいそうランキングとは、弱者救済の優先順位や弱者救済にかける質量が決定されるときに使われる序列であり、人から「かわいそう」という感情を抱かれる弱者ほど上位に置かれ、「かわいそう」という感情を抱かれない弱者ほど下位に置かれる。また、かわいそうランキングには人の認知バイアスが伴う。」

 「かわいそうランキング」の提唱者のテラケイさんは、ある人物から別の人物への「かわいそう」という感情は、対象となる人物の容姿、性、生死、国、職業、そして本人の行動や感情など、複数の要因から惹起される、と考えている。

 かわいそうランキングは社会問題を語る文脈で使われており、2017年以降、主にネットで徐々にこの言葉が普及している。

 話が脱線するが、ある言葉について説明するとき、説明文にその言葉を使ってはならない。たとえば「東京大学はどこにあるんですか?」という質問に「東京にあります」と答えたら、説明になっていない。同じ言葉を繰り返しているだけだ。同様に「かわいそうランキング」の定義を書くとき、説明文の中に「かわいそう」という言葉を使ってはならない。しかし私は「かわいそう」をどう説明すればよいか分からなかったので、「かわいそうランキング」の定義の中に「かわいそう」という言葉を使ってしまった。さらに適切な定義があれば教えていただきたい。

 読者の方に注意してほしいことが3点ある。

 1点目である。
 かわいそうランキングという言葉を最初に作ったのはテラケイさんであるが、テラケイさんは「かわいそうという感情で他人をランキングにすること」を最初にしたわけではない。

 注意してほしいことの2点目である。
 テラケイさんはかわいそうランキングを否定的な意味で使っているということに注意してほしい。テラケイさんは、
「人から『かわいそうだ』と思ってもらえると得をするから、『かわいそうだ』と思ってもらえるように努力してかわいそうランキングを上げよう」
などということは述べていない。ただしテラケイさんが皮肉を込めて嫌味として「かわいそうランキングを上げよう」と述べることはあるかもしれないが。

 最後にもう1点、注意してほしいことがある。
 「かわいそうという感情で他人をランキングにすること」

「かわいそうランキングという着眼点で社会問題を考えること」
の二つを混同しないでほしい。ただ単に「かわいそうランキングを使う」と述べるだけでは、その二つのどちらなのか分かりづらいので、この私の文章では二つを区別するために、しつこいくらい丁寧な説明をする。


3章 「かわいそうランキング」の意義

 ここで私が述べるのは、「かわいそうという感情で他人をランキングにすることの意義」ではない。つまり「『あの女の子はかわいそうだから助けよう。でもあのオッサンはキモいから助けない』と思う意義」ではない。概念としてのメタ的な「かわいそうランキング」を考えたい。

意義1 有用性がある

 かわいそうランキングは、言葉として優れている。文字数が少ないうえ、インパクトが強く、覚えやすい。「かわいそう」と「ランキング」はどちらもありふれた簡単なことばであるが、2語の組み合わせが的確である。

意義2 発展性と普遍性がある

 かわいそうランキングは、時間的にも空間的にも広い領域に活用できる概念である。「今までバラバラに見えていたたくさんの問題の共通性や関係性」を再発見できる。下位概念を上位概念にまとめ上げることができる。異なる分野の人々が共に考える機会を作ることができる。問題の可視化を進めることができる。

意義3 新規性と独自性がある。

 従来から多数の人々によって考えられていた複数の事柄を、2017年の社会情勢と合致した構造へと練り直し、<「かわいそうランキング」が世界を支配する>というワンフレーズの命題にまとめ上げることができた。従来の概念や命題では説明不可能なことを説明可能にしている。その後、現在も「かわいそうランキング」という言葉の拡散が進んでいる。

 余談だが、このような文章では「理論」「概念」「命題」をどのように使い分けるべきなのだろうか。どなたか、教えていただきたい。


4章 かわいそうランキングは、先行研究や他の用語・概念・着眼点と何が違うのか、どんな関係にあるのか

 テラケイさん本人も認めているが、かわいそうランキングとよく似たことが、別の人物によって過去に問題提起されたことがあった。その一部をここに解説する。

 まず初めに、テラケイさんのTwitterを引用する。

【2018年12月31日に追記】ところで、noteではTwitterのURLを載せると自動的にリンクが作られ、noteのページでTwitterが閲覧可能になるという機能があります。私もこのページにテラケイさんのTwitterを掲載していましたが、2018年12月にテラケイさん(白饅頭さん)が過去のツイートのほとんどを削除しました。そのため今ではリンクが切れています。そこで代わりにテラケイさんのTwitterのスクリーンショットを載せました。私はテラケイさんのTwitterアカウントが削除される前にスクリーンショットを保存していたからです。

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ツイッターでも何度も言っていることではありますが「かわいそうランキング」の着想自体は、赤木さんが昔著書で触れていることなので、赤木さんにはぜひnoteでかわいそうランキング問題をより深めた記事を書いてほしいという勝手な期待が。
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4章テーマA 「キモくて金のないオッサン」

 最初に「キモくて金のないオッサン」という言葉を考えた人物を明確に特定することはできないが、おそらく、一柳良悟さん @1yagiryow5 だと思われる。間違っていたら私に教えてほしい。

 また、Twitterで「キモくて金のないオッサン」という言葉を広めた人物と「かわいそうランキング」という言葉を広めた人物は重複している。

 かわいそうランキングと「キモくて金のないオッサン」の問題は、セットで考える必要がある。「キモくて金のないオッサン」はかわいそうランキングの下位にいるし、かわいそうランキングが「キモくて金のないオッサンに関する問題」を深刻にしているのである。

 一柳良悟さんのTwitterを引用する。

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最初の弱者男性論は赤木智弘さんで、いわばキモくない金のないオッサンが、(ネオ)リベラルな主張をしたもの。それに反対してソーシャル(ファシズム)から弱者男性論を展開したのが一柳。対立する二つを上手につないだのが白饅頭かわいそうランキング論。
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ところで、Internet Exploreではnoteに挿入したツイートを見ることができないという不具合があります。それ以外の、Google Chrome、Firefox、Microsoft Edgeなら、ツイートを見ることができます。この上に一柳良悟さんのTwitterが見えない人は、他のブラウザを使ってください。見えた人はそのまま読み続けてください。


4章テーマB 秋葉原事件の加藤智大被告と「黒子のバスケ」脅迫事件の渡邊博史(わたなべ ひろふみ)被告

 「黒子のバスケ」脅迫事件の渡邊博史(わたなべ ひろふみ)被告は、2014年3月13日の法廷での冒頭意見陳述で、最後にこう叫んだ。

「こんなクソみたいな人生やってられないから、とっとと死なせろ!」

 ちなみに彼がノートに書いた原文では「こんなクソみたいな人生やってられるか! とっとと死なせろ!」と書いてあったので、発言と原文に違いがあったらしい。(渡邊博史『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』創出版、2014年、172ページ)

 テラケイさんは秋葉原事件の加藤智大被告と「黒子のバスケ」脅迫事件の渡邊博史被告についてもTwitterに何度か書いたことがあった。

 かわいそうランキングについて考えるとき、この二つの事件を忘れるわけにはいかないが、今の私にはかわいそうランキングと事件の関係を整理して記述する力がないので、これ以上は書かないことにする。その代わり参考文献を載せておく。

 渡邊博史被告の意見陳述と獄中手記は月刊『創』2014年5・6月号から何度も掲載されている。2014年9月に出版された『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』ではそれらの意見陳述や手記に加え、事件までの経緯を書いた文章も掲載されている。

 創の篠田博之編集長が渡邊博史被告の近況を下記のURLに随時掲載してくださっているので、皆様も読んでいただきたい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/

 渡邊博史被告は2014年7月18日公判の最終意見陳述の中で、秋葉原事件の加藤智大被告についても言及していた。さらに秋葉原事件の加藤智大被告は渡邊博史被告の最終意見陳述を読んだあと、「犯罪経験者にのみ理解可能な犯罪者心理のささやかな解説」と題した文章を執筆し、渡邊博史被告の心理について解説した。その文章は『創』2014年11月号(2014年10月7日発行)に掲載された。


4章テーマC 動機の純粋性と空気

 さて、次に池田信夫氏の文献を参照したい。

 私は池田信夫氏にアンチがいることも知っているし、このnoteをご覧の皆様が「えー、ヒカリっていう人は、そっち系なの?」とがっかりしているかもしれない。しかし池田信夫氏の著書『「空気」の構造』は、有名ではないが、私は良書だと思っている。

 池田信夫氏は2013年に著書『「空気」の構造』の中で、山本七平や丸山眞男らの文献を参照しつつ、日本と西洋を比較し、日本の「空気」の歴史を考察した。そこで私はかわいそうランキングと関連がありそうな部分を引用する。

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山本は日本軍の体験を詳細に記録しているが、その中から軍の非合理的な行動に共通点があることを発見した。それは目的のために最適の方法を考えるのではなく、その場の「空気」を読んで人々の合意の得やすい方向に意思決定が行われることだ。
(池田信夫『「空気」の構造』白水社、2013年、62ページ)
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 また山本七平は空気の支配が日本に特有の現象であり、日本古来のアニミズムに因るものとしている。

 さらに山本七平は、日本人が価値判断や意思決定において基準としていたのは、可能・不可能でなく、目的や結果でもなく、「動機が純粋か」(動機の純粋性)だったと指摘した。

 同様に丸山眞男も日本人が動機の純粋性を重視していた点を指摘したが、丸山眞男は他にも「ヨキココロ」と「キタナキココロ」という言葉も使っている。「ヨキココロ」と「キタナキココロ」という言葉は古事記で使われた表現に由来している。

 テラケイさんはかわいそうランキングには認知バイアスがあることを指摘したが、山本七平や丸山眞男は日本人の意思決定に非合理性がある点を指摘しており、考えに共通点がある。

 これはテラケイさんが述べたことではないが、「空気を読む行為」の一例に「かわいそうランキングに基づく判断」を位置づけることができるだろう。同様に「動機が純粋な人はかわいそうランキングの上位に行き、動機が純粋でない人は下位に行く」と判断してよいだろう。

 しかしテラケイさんは『「かわいそうランキング」が世界を支配する』というタイトルの通り、かわいそうランキングが日本に特有だとは考えていないようであり、その点は山本七平や丸山眞男らと異なっている。

 また貧困問題や社会運動の分野ではもはや耳にタコができるほど聞かされている話だが、「日本人は権利意識がない。権利でなく好き嫌いで判断する」「生存権はすべての人に無条件で保障されるものである」「権利は生ぬるいものではない。闘争して獲得するものだ」などとということは、従来から多数の人によって述べられてきた。


4章テーマD ポリティカル・コレクトネス

 テラケイさんもポリコレ(PC)とバックラッシュについては何度も論じていたが、ここであえて話を脱線させ、私なりの解釈を書いてみよう。たんなる仮説に過ぎないし、エビデンスはない。

 前述の山本七平や丸山眞男らが論じたように、かわいそうランキングと似たような現象は昔からあっただろうが、2017年の現在に顕在化し可視化された理由は2点あると私は考えている。

 1点目の理由は、古い身分制度や伝統が縮小し、社会が液状化したからだと私は推測している。

 昔は生まれた国や家によって将来がほとんど決まっていた。大人になったら半強制的に結婚させられていた。職場でも性別や年齢によって役割が決まっていた。公私の両方で「こんなコミュニケーションを取るべきだ」という慣習が人々を支配していた。つまり社会が固体的であり(個体的ではない)、人は明瞭な力で支配されており、枠にはめられていた。個人の意思で自己決定することはできなかった。

 しかし現代は教育の機会の平等が目指され(平等が実現したかは別として)、自由恋愛が広まり、性別や年齢にとらわれない役割分担が広まった。コミュニケーションの方法も多様化した。これらの身分制度や伝統の縮小は、経済優先と表裏一体だろう。人々を押し込める古い枠は、非効率的で利益を生まないものとして捨てられた。社会は流体的になり液状化し、人々はフワフワした存在の個人となり、自由な自己決定の機会を与えられた。本当に自由と呼べるかは別として。

 こうして新しい行動の指針が必要となり、採用された(ように見えた)のがポリティカル・コレクトネスであった。差別に反対し政治的に正しい行動をしましょうと。「人々が主観や好き嫌いを排し、合理性・平等・権利・多様性を重視している」ように見えるが、その人々には認知バイアスがあり、何がポリティカル・コレクトネスなのかを決める基準は恣意的であったし、自分たちにとって気持ちのいい選択をしていた。そのようなゆがみが徐々に浮かび上がった。

 さらに注意深く観察すると、ポリティカル・コレクトネスが新たな行動の指針となったののではなく、かわいそうランキングこそが行動の指針だったと判明した。「かわいそうランキング」は昔からあったものの、2017年の現代では人の認知バイアスを隠し切れなくなり、社会のゆがみが巨大化し、かわいそうランキングの顕在化と可視化が進んだのだ。しかし本人たちは自分の意思決定プロセスをモニタリングできていないし、自分の中にかわいそうランキングがあることを自覚できていない。

 現代の人々は一見自由なようだが、実際は山本七平、丸山眞男、池田信夫氏らが指摘したように、人々は空気に支配されている。テラケイ氏のように「かわいそうランキング」が世界を支配すると言い換えることもできる。

 自由は不自由で、不自由は自由なのだ。

 以上が1点目の理由だ。

 かわいそうランキングについて考えるとき、社会哲学者のホネットが論じた社会的承認や、ドイツの社会学者のベックやイギリスの社会学者のバウマンが論じた個人化や、同じくバウマンが論じた液状化が、重要な視点を与えてくれるだろう。

 しかし私はホネット、ベック、バウマンらの議論を深くは知らないので、ここには書かないでおく。

 次に2点目を述べる。

 かわいそうランキングが2017年の現在に顕在化し可視化された2点目の理由は、インターネットとSNSだろう。

 そもそもテラケイさんがnoteとTwitterでかわいそうランキングを提唱したため、当たり前のことではあるが。

 インターネット空間であれば空気を読まない発言ができ、今までバラバラだったマイノリティの人々が連帯することができた。かわいそうランキングの下位の人々と上位の人々がパソコンやスマホの画面上に並んでしまい、社会のゆがみとしてとらえられた。

 以上が2点目の理由だ。

 バックラッシュについては省略する。

 ところで、ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)つまり政治的正しさという言葉が普及したが、日本なら「世間的に正しい」「世間的正しさ」という言葉のほうが適切なのではと私は考えているが、これについてはこのnoteの本題から外れてしまうので、これ以上書かないことにする。

 以上、ここまでが私の仮説だ。


4章テーマE 選んだ/選ばない論争、先天的/後天的論争、自己責任、生まれたことを罰するということ

 まず、テラケイさんのTwitterを引用する。

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「後天的な努力ではどうすることもできない属性によって被る不利益を差別とする」という定義は一理あるけど、行動遺伝学や発達科学の研究によれば、頭の良さどころか、根気の有無、キレやすさ、性衝動の強さ、注意力等、多くの人が遠慮なくボコボコにしてるタイプの人が持つ属性も先天的なものなんだ。
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ぶっちゃけ差別かそうではないかは、先天的要因とか後天的要因で分けることはまず不可能であり、むしろ「かわいそうランキング」のほうがより説明できるのである。
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同性愛者の告白を晒すと人権蹂躙のバイブスを多くの人が感じる一方、不細工なキモオタが告白したLINEを晒されても誰もそう思わないというのも不思議ですね。不細工であることなんかは、生まれつき顔面のパーツや筋肉の配列が悪かったということで十分先天的だと思うんですが、なぜなんでしょうね。
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小学生のころ、『時計じかけのオレンジ』の読書感想文で「社会にはナチュラルボーン犯罪者として生まれる人もいるんじゃないか。そんな人を罰するのは、生まれたことを罰するのに等しいのではないか(要約)」みたいなのを書いたらちょっとした物議を醸した嫌な思い出がある。
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 他にもテラケイさんは受刑者のIQが全体平均を下回っていることや、軽度知的障害者が受刑者となる(犯罪をする)傾向にあることを何度も指摘している。自己責任か否かの基準についても述べている。

 テラケイさんの意見を3点に分けて整理しよう。

 まず1点目。「先天的なことを差別してはいけないが、後天的なことや自分で選んだことは自己責任」という判断基準を使う人がいる。しかしその人たちが「後天的」「自分で選ぶことができる」とみなしていることの中には、先天的な要因や自分では選べない要因もある。「先天的か後天的か」、「自分で選んだか、選ばなかったか」を区別することはできないため、それらを判断基準にするべきではない。

 次に2点目。「先天的なことを差別してはいけないが、後天的なことや自分で選んだことは自己責任」という判断基準を使う人がいるが、その人たちが実際に使っている判断基準は「かわいそうランキング」である。ここにバイアスがある。その人たちの言動は一見すると奇妙だが、「かわいそうランキング」の観点から考えると説明できる。

 最後に3点目。先天的な要因で犯罪をした人を罰することは、生まれたことを罰するのに等しいのではないか

 私(街河ヒカリ)は特に「生まれたことを罰する」というフレーズにゾッとした。今の私はこの「ゾッとする想い」を説明できない。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるが・・・・。

 もちろん、生まれつきの病気で苦しむ人や、生まれた地域の戦争が原因で苦しむ人、親から虐待を受けている子供は世界中に何千万人もいるだろう。いや、何億人か?しかしそのよう理由で苦しむ人たちの問題と、テラケイさんが指摘した問題は違う。「生まれたことを罰する」とは・・・・私は考えを整理できないでいる。

 ちなみに私があとで参照する佐々木俊尚氏は「被害者であるがゆえに加害者である」という社会構造があるのだと論じているので、詳しく知りたい方は佐々木俊尚の著作『「当事者」の時代』(光文社新書、2012年)を読んでほしい。

 このnoteにたどり着いた読者の皆様はある程度の知識があるはずなので、すでにご存じだと思うが、教育や知的障害や発達障害などを論じる分野では、「人の行動や性格を決めるのは、遺伝的要因か?環境要因か?」という論争が繰り返されている。これもポリコレに関係している。膨大な量の先行研究があり、複雑すぎて私には整理できないので、これ以上は書かないことにする。


4章テーマF 「理想の弱者」「幻想の弱者」「きれいな弱者」

 「理想の弱者」「幻想の弱者」「きれいな弱者」の三つはどれもメディアの問題や貧困問題や社会運動などについて考えるときに使われる言葉だ。これらは弱者のあるべき姿を弱者に求めることや、メディアによって描かれた、現実からは乖離した弱者を指す言葉である。もちろんかわいそうランキングと関係がある。

  テラケイさんもnoteで「きれいな弱者」について論じているが、ただし「理想の弱者」「幻想の弱者」「きれいな弱者」という言葉を最初に使った人物を特定することはできない。これらはどうやらずいぶんと昔から使われていたようだ。

 たとえば、事件や戦争が起きたときには、メディアは視聴者や読者から「かわいそうだ」と感じてもらえるような弱者を選んで報道する傾向にある。

 また、困難な状況にある人に対して、周囲の人々が明るく元気に振舞う態度を期待することもあるだろう。「明るく元気になりましょう」と言葉にはしなくても。

 生活保護受給者に対して「贅沢をするな」「生活保護を恥ずかしいことだと思うべきだ」と考える人もいる。ただし思っていても本人には言わないこともあるだろうが。

 生活保護の支給要件・受給要件について考えるとき、「本当に困っている人のために支給するべきだ。本当に困っているわけではない人には支給してはいけない」という意見もある。しかし、その発言者の「本当に」とはどのような意味で、どのような方法で「本当に」を判断するのだろうか。「困っていることが他人から見ても明らかで、清廉潔白な、かわいそうな人」という意味なのではないか。つまり発言者のあいまいで恣意的な感情を基準にしている。「本当に困っている人」とは、発言者にとっての「かわいそうランキング上位の人」という意味だ。

 これらの現象によって作られる弱者を、「理想の弱者」「幻想の弱者」「きれいな弱者」と呼ぶ。

 つまり「理想の弱者」「幻想の弱者」「きれいな弱者」は、「かわいそうランキングが上位の人」と重複するが、同じではない。場合によっては「幻想の弱者」が「かわいそうランキングが下位の人」と重複することもあるだろう。理由は後述する。


4章テーマG 「サバルタン」と「代弁」と「マイノリティ憑依」

 まずサバルタンという言葉を説明したい。長くなるが、本から引用する。

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 「みずからを語ることができないマイノリティ」という存在は、人類学の用語で「サバルタン」と呼ばれる。サバルタンはもともとは社会の支配階級に服従する底辺層を指す言葉だった。つねに歴史は支配階級によって書かれ、社会に受け入れられていくのに対し、底辺層サバルタンの歴史はいつも断片的で挿話的なものにしかならず、つまりサバルタンはみずからの力でみずからの歴史を紡ぐことを許されていない。つまりサバルタンの歴史は、つねに自分たちを抑圧する支配階級によってのみ語られ、書かれてしまうという矛盾した構造をはらんでいるのだ。
(中略)
 サバルタンの側から見ても、他者に勝手に憑依され、勝手に語られることによって、自分たちと「語られるサバルタン」は乖離していってしまう。
(佐々木俊尚『「当事者」の時代』光文社新書、2012年、305ページ)
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 貧困問題や社会運動の分野では「弱者を代弁することは正しいことなのか」という問題が何十年も前から繰り返し問われてきた。

 この古い問いを新しい問いへと練り直した人物がいた。佐々木俊尚氏だ。

 佐々木俊尚氏は2012年の著書『「当事者」の時代』の中で、幻想の弱者、サバルタン、日本の社会運動の歴史、そして2011年の東日本大震災の問題を再考したうえで、「マイノリティ憑依」という独自の言葉を提唱し、問題提起した。「マイノリティ憑依」は日本のメディア空間についての文脈で使われる言葉だ。

 『「当事者」の時代』という本はかなり複雑で、議論が紆余曲折しており、この本への批判もある。しかし私はこの本を非常に高く評価している。

 「マイノリティ憑依」の意味を説明することも難しいが、無理矢理短くまとめると、「マイノリティ憑依」とは、メディアが弱者や少数派の人々を勝手に代弁する現象であり、かつ、マイノリティ憑依によって描かれる人々は、幻想の弱者だ。しかし佐々木俊尚氏は、弱者のことを伝えることがマイノリティ憑依というわけではない、と述べているので注意してほしい。

 さて、かわいそうランキングと代弁とマイノリティ憑依の関係について考察する。テラケイさんは代弁とサバルタンの問題について発言したことがあるが、これ以降はテラケイさんの発言を活かしつつ、主に私の考察を書くことにする。

 たとえばメディアがマイノリティ憑依によって「こんなにかわいそうな人がいる」という幻想の弱者や理想の弱者を描いた結果、その人のかわいそうランキングが上がることもあるだろう。多数の人々からの注目を集め、問題が解決に向かったこともある(本当に解決したかは別として)。個人の物語は大きな力を持つのだ。近年のニュースを思い出してほしい。

 逆にメディアがマイノリティ憑依によって「こんなに醜い人が、こんなに頭がおかしい人がいるんだ」という、(理想とは正反対の)幻想の人(弱者とは限らない。強者のこともある)を描き、読者や視聴者の怒りを煽り、その人のかわいそうランキングが下がるケースもあるだろう。

 どちらにしても、本人たちのリアルとはかけ離れた幻想が描かれている。本人が置き去りにされ、本人が自分の力で語ることができていない。サバルタンがサバルタンのままである。メディア、マイノリティの人々、読者や視聴者、この3者が互いに切り離されており、マイノリティの人々が「ネタ」として消費されていく。しかし「ネタ」はいずれ飽きられてしまう

 説明すると長くなるので省略するが、佐々木俊尚氏は『「当事者」の時代』の中で、マイノリティ憑依と被害者と加害者の複雑な関係を考察している。

 かわいそうランキングの下位にいる本人が自分の状況や問題を自分で語ることができれば一番良いが、中には自分の状況や問題を認識できない人もいる。社会的立場・経済的立場が原因で自らを語ることができない人もいるだろうし、精神疾患や知的障害や発達障害を抱えるがゆえに自らを語ることができない人もいるだろう。それ以前に、死んだ人もいる。死んだら何も語れない。

 街の中でホームレス生活をしている人に、「生活保護制度を利用すれば家賃を払えますよ。だからあなたはアパート生活に変われるんですよ」と言っても「ホームレスのままでいいよ」と断れらることもある。ただしすべての人がそのようなケースだというわけではないが。

 だれかが問題を語らなければ、問題はますます不可視化され、ますます解決が難しくなる。本人が自らを語れないからには、媒介者が必要になる。ここであえて代弁者ではなく媒介者と書くことにする。

 私はこれまでテラケイさんたちがマイノリティの人々の問題を可視化してきたことについて、心から敬意を表したいと思う。私は「テラケイさんたちの行為は、マイノリティ憑依だ」とは考えていない。繰り返すが、佐々木俊尚氏はこう述べているので注意してほしい。

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弱者のことを伝えることがマイノリティ憑依なんじゃなくて、「弱者の立場を知ってるから俺は最強なんだ」と思い込むことがマイノリティ憑依。弱者のことは伝えたい、でもその位置と自分の位置との間に絶望的な距離があるってことを知るのが必要。そして伝える。
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 だからかわいそうランキングという言葉を広めることには危うさもあるだろう。その危うさとは、だれかが「かわいそうランキングという着眼点で社会問題を考えること」を進めた結果、かわいそうランキングの下位の人々に憑依し、「他の人よりも私のほうが弱者のことをよく知っているんだ」と思い込み、「ランキングが下位の人々は、こんなに苦しんでいるんだ」と勝手に代弁し、その代弁によって幻想の人々が描かれてしまう、という危うさだ。

 これを書いている私も、マイノリティ憑依をしているのだろうか?

 マイノリティ憑依に陥ることなく、リアルな問題の可視化を進め、解決につなげるためにはどうしたらよいのだろう。もちろん客観的な数値のデータも必要だが、私のこのnoteでは人々が作る物語の力に注目したい。

 佐々木俊尚氏は『当事者の時代』の中で、マイノリティ憑依によって作られたメディア空間では、そこで描かれる問題を読者が自分の問題として受けとめることができない、と批判している。一方で佐々木俊尚氏は、東日本大震災以降の河北新報の記者たちは心に響く記事を書き続けている、と強く肯定している。心に響く理由をこう考察している。

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記者たちは<マイノリティ憑依>するのではなく、被災者と同じ視点、同じ立ち位置から無数の物語を背負い、その物語をおたがいに共有している。そうやって記事を生み出しているのだ。(前掲書454ページ)
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 さらに論点がずれるが、近年は統合失調症の人々の治療法として、オープンダイアローグが注目されている。詳しく述べないが、オープンダイアローグは、患者本人、家族、医療従事者らによるミーティングにおける「思想」と「行動」である。

 オープンダイアローグの開発者であるヤーコ・セイックラ氏らが述べているのだが、オープンダイアローグはポストモダン思想を具体化したものだ。

 オープンダイアローグの7つの原則のうち、7番目は「多声性(ポリフォニー)」の重視である。ナラティブ・セラピーにおいては、ナラティブの作者は患者自身だが、オープンダイアローグにおいては、患者や家族や医療従事者らの対話によって物語が共同制作される

 詳細は省略するが、「オープンダイアローグ」は「当事者研究」とも共通点がある。

 このような情報量が少なすぎる私の文章では、オープンダイアローグと当事者研究が何なのか読者の皆様にほとんど伝わらないと思うが、「多声性」を初めとするオープンダイアローグの哲学は、マイノリティ憑依とかわいそうランキングを考えるうえで重要なヒントになると私は考えている。興味を持たれた方はオープンダイアローグと当事者研究について調べていただきたい。


第5章 かわいそうランキングのパラドックス

 予め断っておくが、ここから先で論じることは、すべての人に当てはまるわけではない。

 どうやら「かわいそうランキング」という言葉を広めようとしているテラケイさんたちに対して、こんなことを考えている人がいるようだ。

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「テラケイたちは弱者男性の声を代弁するヒーローにでもなったつもりで、いい気分に浸っているんだろう。」
「テラケイたちは他人を批判してばかりで解決をする気がないんだ。」
「彼らは不幸自慢をして、他人の足を引っ張っている。弱者同士の対立を煽っている。若くてかわいい女の子の苦しみはどうでもいいと言うのか?」
「そんなテラケイたちは、他人から嫌われて当然だし、救済されないんだ。」
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 ちなみにテラケイさんはTwitterに「言うだけでなく政策レベルの問題に現場からコミットしてます」と書いていた。もちろん、私はテラケイさんたちに対して上記の例のようなことは考えていないが、私はネットで上記のような投稿を読んだことがある。ここに引用はしないが。

 しかし、もしそんなことを考えている人がいるなら、立ち止まって自分の考えを振り返ってほしい。

 そうやってテラケイさんたちを嫌うことこそが、「かわいそうランキング」なのだ

 つまり、「『かわいそうランキングという着眼点で社会問題を考えようとしている人たち』はかわいそうに見えない」と感じている人は、「かわいそう」という感情で他人をランキングにしている。テラケイさんたちを批判するつもりが、逆にむしろテラケイさんたちの正しさを示しているのだ。そのような人が考えている「かわいそうな人」は、先に私が述べたように、理想の弱者・幻想の弱者・きれいな弱者なのだ。

 正反対の現象もあるだろう。ある人物が「キモくて金のないオッサンはかわいそう。若い女の子が苦しむのはかわいそうではない」という、別のかわいそうランキングを、無意識のうちに使っているのかもしれない。つまり、他人のかわいそうランキングを批判することで、その人の中に「上下が逆転した別のかわいそうランキング」が作られるのかもしれない。「『かわいそうと思われている人』はかわいそうではないが、『かわいそうではないと思われている人』はかわいそう」と。それもまた理想の弱者・幻想の弱者・きれいな弱者であり、マイノリティ憑依なのだ。

 そしてあなたは私のこの文章を読んでいる今も、「これを書いているヒカリという人は、かわいそうに見えない/かわいそうに見える」と感じているかもしれない。あなたに自覚がなくても。

 例えるなら「『私は嘘つきです』という嘘をつく」「貼り紙禁止という貼り紙」のようなパラドックス(逆説)がある。

 「かわいそうランキング」のパラドックスをまとめるとこうなる。

 ある人が、「かわいそうランキングという着眼点で社会問題を考える人たち」をかわいそうランキングの下位だと感じた結果、「かわいそうランキングという着眼点で社会問題を考えること」の必要性が示されるのかもしれない。

 また別の人が、「かわいそうランキングの下位の人はかわいそうで、上位の人はかわいそうではない」という感情を抱いた結果、「上位と下位が逆転したかわいそうランキング」が作られ、「かわいそうランキングによる支配」が維持されるのかもしれない。

 以上。


第6章 かわいそうランキングの今後の展望

 かつて「草食系男子」という言葉が考案者の意図とはかけ離れた意味に変わってしまったように、もしかしたら「かわいそうランキング」の意味も変化していくのかもしれない。

※2017年8月15日に下記の部分を補足しました。

 テラケイさん(白饅頭さん)の次回のトークイベントのテーマが「かわいそうランキング」に決まりました。私も参加します。楽しみにしています。2017年10月14日(土)に開催され、ゲストは借金玉さんと角間惇一郎さんです。イベントページのURLはこちらです。

http://twipla.jp/events/272137


第7章 このnoteの今後の展望

今後も加筆修正する予定である。


以上です。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

そしてテラケイさん、白饅頭さん、ありがとうございました。

 ご意見・ご感想をお待ちしています。メールでもnoteのコメント欄でも、どちらでも構いません。私のメールアドレスはhikarimachikawa2017アットマークジーメールドットコムです(迷惑メール対策でカタカナにしています)。

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街河ヒカリ

街河ヒカリのまとめ

街河ヒカリが書いたnoteのうち、特にお薦めしたいものや長文のものをマガジンにまとめています。「街河ヒカリの対話と社会」と重複しません。

コメント3件

このページを8月25日の朝に佐々木俊尚さんがTwitterで紹介してくださり、閲覧数が急増しました。驚いています。
24時間テレビの「言い訳」ツイートが炎上しているようですが、そんなときこそ「理想の・幻想の弱者」と「かわいそうランキング」について考えましょう。
TwitterやFacebookで「かわいそうランキング」を検索すると、この文章をシェアしている人の投稿がヒットします。私がまったく考えていなかったことを読者の皆様が考えてくれているので、興味深く読ませてもらっています。
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