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戦争を考える時に、かならず見ておきたい戦争映画25本

2012年から始めた映画レビューアプリ『Filmarks(フィルマークス)』。地道に映画鑑賞記録としてレビューを書き溜めた結果、1,200本の映画レビューが蓄積されました。

実際には、もう少し映画を観ていますが、観た映画すべてのレビューを書いている訳ではないので、ここに記録した映画は、何かしら心に響いた作品となっています。

この1,200本の中から、心に残った戦争映画についてまとめてみたいと思います。日本では8月15日が終戦の日です。1年に一度、私達は戦争という悲劇と真正面から向き合わなければなりません。そんな中で、ぞれぞれが戦争を考える一助となるよう、一度は鑑賞したい戦争映画25本を紹介します。

※掲載順はお気に入りの順ではありません。

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リダクテッド 真実の価値

【リダクテッド】=都合の悪い情報を削除すること。2006年にイラクで起こった、米軍兵士による少女レイプ及びその一家惨殺事件を題材にした、事実に基づくフィクション。ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。

ラストシーンの兵士の告白のシーンが印象的。涙目で、妻の頬にキスをしながら真実の告白をするアメリカに無事帰国した兵士。普通は、ここでは感動させるところだろうが、監督はあえてそうしなかった。その告白の軽さに、絶望と怒りさえ覚える社会派作品。

野火

第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。レイテ島の戦いは、日本軍とアメリカ軍の地上戦。日本軍は補給の見通しが甘く多くの餓死者を出した。約2ヶ月の戦闘でレイテ島の日本軍は敗北。大半の将兵が戦死した。

本作は、大岡昇平の『野火』を塚本晋也監督が2015年に映画化したもの。

まるで戦場にいるかのようなリアリティに、スクリーンに引き込まれてしまうような錯覚に陥る衝撃作。争いの本質を知ること、人間の本質を知ること、そして、相手の理解と対話を諦めないこと。一人ひとりが、今すぐにもできることだと改めて実感させられる良作。

ハクソー・リッジ

第二次世界大戦の沖縄戦を舞台にした、あるアメリカ兵の実話を元にしたお話であったが、公開当時は、あまり日本ではメディアにもとりあげられず日本人の興味・関心が薄すぎると感じた。この映画の中での沖縄戦は、それはもう激しいものがある。日本映画では決して表現できないであろう。

本作は、武器を持つことを拒否し、衛生兵として負傷兵を救った伝説のアメリカ兵のお話だ。

平和な私達のこの世界の中で、誰からも攻めこまれず、誰をも攻めこまない。武器はもたない、持ち込ませないという思想はゆるぎのないものだ。

しかしその反面で、果たして、攻撃をしない(非武装)に徹するには、だれの手も汚さず成し遂げることが可能なのか。この部分こそ、私達が向き合わなければならないのではないかと考えさせられる作品。

戦場のメリークリスマス

『人は、この映画のテーマを、西洋と東洋の文化の違いを認め合うことと言っているが、実はそうではなく、人は人に惹かれあうということかも知れない』と故大島渚監督は言ったという。

衝撃的なシーンが多く、残酷な戦場を心から否定したくなる。しかし、あのラストシーンを見せられると、あの時、あの時代の理解が根底から変わっていまい混乱する。

演技ド素人のビートたけしさんは、驚くほどの演技をする。その存在感がものすごい。

最近でも多くの戦争映画があるが、若い役者さんの眉毛が細く整えられてたり、軍服が綺麗だったり、立ち姿にリアリティがなく引いてしまうことがある。

本作の映像は、とてもリアリティに溢れ、あの時代にタイムスリップしたようだ。ラストシーンの美しさや存在感は、ビートたけしさんなしでは描けなかった。だから名作なんだろう。

フランス組曲

戦争の悲劇というのは、血が流れ人が死に、あらゆるものを破壊し破壊されるという事だけではない。むしろ、それよりも辛く受け入れがたいものが、もう一つの側面にある。それが国民の主権を脅かされること。

(仏対独)戦争により進軍してきたナチス・ドイツ将校と現地フランス人女性とのお話。ナチス・ドイツ将校と、現地のフランス人女性との禁じられた愛の物語というテーマになっているが、元々はアウシュヴィッツで生き延びた女性が書いた日記をノベライズした作品が元になっているそうだ。

主権を脅かす側と脅かされる側の立場の男女の恋なので、当然のごとく禁じてではあるが、とてもしっとりと品のある感じに仕上がっていて良かった。

善と悪も正義も、なにもかもが入り乱れた中で、取り残された2人の気持ちだけが、ほんのり美しい。

ある戦争

アフガニスタンの平和維持のために駐留するデンマーク軍の部隊長が、パトロール中にタリバンの襲撃を受け、仲間と自分を守るため、敵が発砲していると思われる地区の空爆命令を行った。しかし、そこにいたのは民間人だった。

本作の監督は、極力、過度な演出は行わず、手ブレカメラで自然な映像で後世することで、やはりアフガン戦争を追体験させるような構成にしている。非常にリアリティを感じさせる映画。

あの判断は、正義なのか国際法違反なのか。映画の中で迎えた結末だけでは語れない。観る人に、いつまでも考えさせる映画。映画らしい映画。

地獄の黙示録

『地獄の黙示録:APOCALYPSE NOW 』完全版。

実に、3時間22分という長さ。しかし、それに耐えうるコッポラ作品の戦争という名の狂気。CGを使わず表現された戦場描写がすごい。

徹底的に人の心理描写をなぞって進んでいく物語構成。知恵と理性をもつ人間だけ特別。そんな風に語ることが滑稽に見える。人間はやはりただの『動物』なのだ。しかも、愚かな知恵と感情を持つ。

サウルの息子

冒頭15分くらいで、『もうやめてくれ….』と思ってしまった。

アウシュビッツ強制収容所で、同胞(ユダヤ人)の死体処理という特別任務につく、ゾンダーコマンドのサウルの2日間の物語。ゾンダーコマンドは、同胞をガス室に送った上に、灰にするまでの一連の作業をやらされ、4ヶ月後には口封じに殺害される。

実に、息苦しい。
愚かさと危うさをはらんだ未熟な存在。それが人間であることを自覚して謙虚に生きるべきであると、刃物を突きつけられたような作品。人類が直視すべき物語。

最愛の大地

ボスニア・ヘルツゴビナの内戦で引き裂かれた男女を通して、内戦で起こった悲惨な情景を綴った作品。アンジェリーナ・ジョリー初監督作品。

アンジーが、約10年前に国連難民高等弁務官(UNHCR)の特使として初めてボスニアを訪問した際、難民キャンプに収容されていた被害女性から直接聞いた話が基になっている。

この内戦で、7万人の女性がレイブ被害にあい、世界で始めて人道的罪として認められ裁かれた。つい20年前の出来事に、そのリアリティに感情移入させられ、問題提起の札を投げかけられるような作品。

ドローンオブザウォー

近代の戦争は、戦地ではなく地球の半周分離れた一室でクリック一つでミサイルを発射して空軍兵が闘う。

戦地で恐怖も味合わなければ命を失うこともない。リモートコントロールでミサイルを打つ兵士の、戦地での闘いとは異なる苦悩を描いた社会派の戦争映画である。

TVゲームの画面に向かうように、ミサイルを打つのもクリックのみである。ただひたすらクリックをする、空軍兵役のイーサン・ホークの表情が悲しい。

ドローンでミサイルを発射すると、血が流れているのに、その血液の色や温度を感じない。まさに、俯瞰で戦争を見ることの、例えようのない恐怖である。『戦争を俯瞰(ふかん)で見る。』その一言に尽きる静かな映画。

アメリカン・スナイパー

米軍史上最多160人を射殺した、伝説のスナイパーの半生を描いた、衝撃の実話。ブラッドリー・クーパーがスナイパーの役を演じている。監督はクリント・イーストウッド。

クリント・イーストウッド監督は、『戦争を美しく語るものを信用するな。 彼らは決まって戦場に行かなかった者なのだから。』と語っていた事を思い出しながら観ると、本作で監督が表現したかった戦争の輪郭が見えてくる。

戦場で、沢山の相手兵を射殺したスナイパーはヒーローなのか?

全編通して、その「HERO(ヒーロー)」という言葉は虚しく辛く、主人公である帰還兵を苦しめていく。国を守るために闘った兵士たちには深い敬意を払いつつも、デリケートなテーマを繊細に扱い、分かりやすく描いた良作。

不屈の男 アンブロークン

本作、『アンブロークン』(アンジェリーナ・ジョリー監督)は、米国公開当時、半日映画だというレッテルを貼られ、日本公開を反対する署名運動が行われたため、日本では劇場公開できなかった作品であった。しかし、米国では逆に、『アメリカを美化しすぎだ』とマイナスの評価をうけてしまい、名だたる賞レースにほとんどノミネートされなかったようだ。

物語は、第二次世界大戦中に様々な困難に出くわしながらも生き抜いた、陸上のオリンピック選手のお話。ひたすら過激な描写が続くが、監督であるアンジーには、ある一定の配慮が見られた。

戦争という非人道的な行為の中で、敵を倒すため兵士は血や汗を流す。結果を上げている兵士の姿をみて、国民は感謝もするし賞賛もするだろう。ならば、戦場ではなく捕虜となった兵士が流す血や汗はどう見えるのだろう。

恐らく、それらは人びとの記憶にさほど残らず、多くを語り継がれる事はない。どの国にとっても恥部であるからである。しかし、その矛盾とあいまいさに光をあえることこそ、絶対に戦争はしたくないという完全なる反戦映画となる。

ジョニーは戦場へ行った

強烈な反戦メッセージ。

作品の肌触りも後味も強烈に悪く、なんとも言えない気持ち悪さにさいなまれる。残酷なシーンも過激なシーンも全く無いのに、人間としての存在を脅かされるような恐怖感。

戦争で負傷し両腕と両足、顔面を失ったが、意識だけが清明なジョーの意識下の物語。

負傷した現在をモノクロで。
回想シーンと想像シーンをカラーで。
20歳のジョーが、あどけない表情であればあるほど残酷。

ローン・サバイバー

ネイビー・シールズの『レッド・ウィング作戦』(実話)を描いた、米軍とタリバンとの戦争映画。「ブラックホーク・ダウン」や「プライベート・ライアン」等と同じくらいの迫力が感じられる。

ネイビーシールズの隊員4名が、ある出来事がきっかけで、タリバン陣内で窮地にさらされる。岩から滑落しながらの銃撃戦のリアリティがすごい。

4名の隊員が孤立無援になってしまうキッカケになった出来事や、最後に、運良く助けだされる隊員の命運を分けた出来事には、戦争を回避することのできる唯一のメッセージが含まれている。平和というのは、努力しないと手に入れることのできないものなのだ、と身ぶるいするほどの恐怖も感じてしまう。

プライベート・ライアン

もう15年も前の映画なのか….と驚くほどに、その映画の品質は鮮やか。170分という長い映画なのに、シナリオが飽きさせないのと、冒頭30分をはじめ戦闘シーンのリアルさがすごすぎる。さすが、スピルバーグ監督作品。

人を殺すのも辛い、人を殺さないのも辛い。何のために闘っているのかさえ分からない。戦争のその先に、何があるのかさえも見失う。それが戦争なのだが、本作品はシナリオ全体が、押し付けがましくなく戦争を描いている作品で、何度も何度も繰り返し見てしまう映画の1本。

顔のないヒトラーたち

ヒトラー率いるナチスによるホロコースト(ジェノサイド)。
本作は、ドイツという国の恥部とも言えるだろう、暗い歴史に真っ向から向き合った、若き検事たちの実話を基にした社会派作品。

戦争を知らない20代の若き検事が、アウシュビッツで蛮行を行った人達を、改めて裁きにかけるため奔走していくお話。

自国の闇は自国で裁く。

一度は線を引いた歴史の賠償に、新たにメスを入れるとは、勇気がいったろう。しかし、それを成し遂げたからこそ、今の信頼されるドイツがあるのだろう。これもまた、歴史を作るという事の一つ。

ヒトラーの忘れもの

物語は、終戦直後のデンマーク。海岸沿いに埋められた無数の地雷の撤去作業に、敗残ドイツ軍の少年兵が動員される。ナチスドイツがデンマークから撤退した後に残った、砂浜一杯の地雷。それをドイツ人の少年兵に撤去させる、というお話。

『自国が蒔いた兵器なんだから、その国民が責任を持って回収しろ。それがたとえ、幼い少年であっても関係ない。』という事だ。

そういった状況下で、『善』と『悪』が複雑に混ざり合い、観る側を混乱させる戦争のお話。実話を元にされていて、実際に地雷を撤去した少年兵の数と、その作業で亡くなった少年の数を知り、背筋が凍る。

地雷の撤去シーンの緊迫感、少年とデンマークの軍曹の距離感、ナショナリズムと反戦へのメッセージ。全てのバランスのとれた良作。

夜と霧

ナチスによるホロコーストの舞台となったアウシュヴィッツの収容所。

ここで実際に起きていたことは、今を生きる私たちは、歴史の一幕として、活字などの記録でしか知るすべはない。たとえそれらが、目を覆うような残酷なものであったとしても、『昔あった記録』として頭が処理し、現実と非現実の間を漂うくらいしか、我々には受け入れがたいのかもしれない。

しかし、ドキュメンタリー映画『夜と霧』は、それを許さない。『映像は、そこであったことを伝えきれるか』という点では、真正面から向き合った30分間のドキュメンタリー映像であろう。

正直、中盤くらいから、気分が悪くなってしまった。

そこで起きていることが、フィクションではないという衝撃に、心がついていけない。ブルトーザーで押し出される死体の山を、実際に起こったこととして受け入れきれないのである。目をそむけられない、その映像に、私たちがこれから伝えるべき、考えるべき事が、全てつまったドキュメンタリー映画。

ダンケルク

戦争映画は数々あれど、様々なメッセージ性があるものから、その場の臨場感をひたすら追体験するようなものまで、幅広い作品がこの世に出ている昨今。

この時代に、実話をベースにしたクリストファー・ノーラン作品が醸し出す作品の質感は、想定されていたとしても、素晴らしいものがある。

『ダンケルク』は、1940年、フランス北端の海辺の町ダンケルクに追いつめられた英仏40万の兵士たちが、祖国である英国に帰還するという実話を基にした映画。とかく、戦争映画となると反戦メッセージを含んだ作品になりがちだが、本作は、あえて、そういったメッセージよりも、『ダンケルク』で起きた兵士達の帰還へのサバイバル描写を優先し、臨場感溢れる映画手法で、見事に表現したもの。

クロッシング・ウォー 決断の瞬間

ドイツ連邦軍によるアフガニスタン駐留の戦争ドラマ。

地元の自警団と共に、人々をタリバンから守るという目的でアフガニスタンに向かったドイツ人兵士のさまざまな現実や自身の限界を描いた映画。

民族や文化の違い、価値観の違い、思想・哲学の違い。自警団と共に村を守るドイツ兵の苦悩が、よく伝わってくる。

なんとも虚しさの残るラストではあるが、安保法制などで混乱した日本国内。私たち日本人も、観て考えさせられる映画だと思う。

サラの鍵

ナチス占領下のパリで行われたユダヤ人迫害、ヴェルディヴ事件を題材にした映画。レビューサイトでも高い評価だったが、実際に、とてもいい映画だった。

ユダヤ人の迫害、アウシュビッツ、残酷な歴史を、過去と現在で行き来しながら、主人公がユダヤ人の少女「サラ」の生涯を追っていく姿が、無理なく自然で、すごく感情移入できる。

子役の少女の演技がすばらしく、クローゼットに鍵をかけ、隠して収容された後で、弟を探しに行ったところは鳥肌が立った。

映画冒頭の、強制収容されるシーンの臨場感や迫力が、映画の最後まで余韻として残る。だからこそ、ラストシーンが生きてくる感じ。「運命」とか「時代」とか、そういう言葉だけでは、折り合いがつかない虚しさと切なさ。少女たちが生きた時代を知ること、そして繋いでいくために、残されたものがしなければならないこと、そんな事を悶々と考えさせられる。
ホロコースト映画としては、観やすい良作だと思う。

キリング・フィールド

ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞した記者の体験に基づく実話。

カンボジアの内戦からポル・ポト率いるクメール・ルージュの大量虐殺。

帰る家のない死体の山と、自分の体とおなじくらいの大きさの銃を構える幼子。画面から伝わるキリングフィールド(虐殺の野)に心底考えさせられる。「幸せ」という言葉の意味を知るためには「不幸」を知らなければならない。なんと残酷な事だろうか。

今もこの瞬間も繰り返されている世界の戦闘に無関心に平和を享受している事への罪悪感を感じてしまう。最後に流れるイマジンは、胸を熱くさせる。

フルメタル・ジャケット

スタンリー・キューブリック監督作品。とにかくセリフから漂う極限状態に圧倒される。前半部分と後半部分では、場面は違ってもどちらも同じ狂気を感じる。場面の迫力と音楽の被せ方が、なんか残像として残る。

何と戦っているのか見失いながらも戦場で生きていく。

説教くささもなく、陰湿な暗さもなかったが、目をそらしていきたい部分を赤裸々に突きつけられた感があり、全てに圧倒される。

灰の記憶

アウシュビッツを扱った作品としては、『夜と霧』、『ショア』、『サウルの息子』と並んで、必ず観たほうが作品。

アウシュビッツ収容所の話を観るたびに思うが、この歴史の一つに、何かを語ろうとすると、全て薄っぺらくなってしまう。

だから、あれこれ、何かを語ろうとも思わないし、何かを語るべきだとも思わない。ただ、ここで起こった悲劇は、わたしたちと同じ人間が刻んだ歴史であることと、時代を生きる人間の価値観や概念は、その時代を生きる人々が作っていくのだということだ。

傲慢に生きることなく、歴史から学び取る努力をしなければならない。

プラトーン

ベトナム戦争での自身の経験に基づいた、オリヴァー・ストーン監督の戦争映画。劇場で観たことが無いが、劇場で観たら、生々しい緊迫した戦争描写におそらく吐き気がしそうな気がする。

誰と闘っているのか解らない戦争自体の虚しさと、アメリカの恥部とも言える残虐な行為も、つまびらかに表現しているところは、すごいものがある。全体通して自虐的な印象さえ感じてしまう。

ひたすら、その場で起こった生々しい惨事に感情を移入させ、観ている側が、その虚しさまでもシェアできるような徹底した戦争描写にこだわった所が素晴らしい。とことん自虐的で、ただただ、胸に銃を突きつけられた気分になる、シンプルなのに吐き気がするほど残酷なベトナム戦争の真実。


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