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プリキュアの喪失感について考える。

今シーズンのプリキュア、「デリシャスパーティ・プリキュア」が
1月末で終了との告知があった。

うーん。寂しい。

そして、新たなシリーズが2月からスタート。

「ひろがるスカイ」だけに、スカイツリーとコラボ、とかありそう。

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で、今日は何の話かというと…

「アニメやドラマが終わってしまうことの寂しさ」について。

しんちゃんさんの記事が面白かったので、便乗しました。

コンテンツにはいずれ必ず終わりが訪れる。そのコンテンツが終わったときに、私はたまらなく寂しい気持ちを感じてしまうのである。
これは自分の日常の中に溶け込んだコンテンツが突然止まってしまうことに対する寂しさなのであろう。

しんちゃんさん記事より

そう、日常に溶け込むんですよね。
だから寂しいのかーと納得。

ですが、一緒に見ていた娘、全く寂しそうな様子がない。

新しいプリキュアの予告を見た瞬間から、心はそちらに全集中。
タブレットで情報を調べ、キラキラと目を輝かせている。

この違い、何なのか?

✅喪失感と好奇心のバランス


娘に聞いてみました。

私「〇〇ちゃんはさ、デパプリ(今のプリキュア)が終わること、寂しくないの?」

娘「うん、寂しいけど…新しいプリキュアが楽しみな気持ちの方が大きい。」

…だそうです。

そうか。
寂しいけど、楽しみな気持ちの方が大きい。

喪失感<好奇心 の様子。

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あくまでも想像ですが…

私たち大人は
喪失感>好奇心 or  喪失感=好奇心 

という傾向が強いのかもしれません。

だから、ドラマが終わると「〇〇ロス」になる大人が多いのでしょうか。

「〇〇ロス」になった子ども…ってあまり聞いたことがないような気がします。

✅大人になると、喪失感の比重が高くなる理由

子ども 喪失感<好奇心
大人  喪失感>好奇心

という仮説、で考えてみます。
(もちろん好奇心が勝る大人、たくさんいるとは思いますが。)

この傾向の原因は、脳のメモリの問題なのかな?と想像しました。

※脳について、全く詳しくありません。イメージだけで書いてます。

子どもは、大人に比べて知識や経験が少ない。
スポンジのように物事を吸収する、というのはよく聞きますよね。
脳のメモリ容量がたくさん空いているから、新しいものを抵抗なく受け入れられるのかなと。
スマホに例えると、新しいアプリをサクサク入れられる感じ。

一方大人は、それなりの知識や経験がある。
脳のメモリ容量が、人によってはもう満タンだったり。
スマホのアプリを入れすぎて、新しいアプリをDLする容量がないようなイメージ?
だから、新しいものを手放しで受け入れられないのかも?

そうしてメモリ容量が満タンになり、一切新しいものを受け入れられず、頑固になっていくのでしょうか?

あれ…?
ちょっと怖くなってきました。

おわりに

アニメやドラマなどのコンテンツが終わってしまう寂しさは、子どもと大人とで、感じ方が違うのかも?という話でした。

どちらが良い悪いではなく、素直に感情を受け入れればいいのかな~と。

うん、やっぱり寂しいなぁ。
でも、新シリーズも楽しみ。

ではまた!

<あとがき>
「プリキュアは1年で終わる」と分かっていても、いつも寂しい気持ちになります。そして次回予告を見て「え、これなの?前のプリキュアの方が可愛い…」などと受け入れを拒んでしまうのですが、いざ見始めると毎回ハマっている自分がいます。この気持ちはなんだろう?
今日もありがとうございました。

▼「この気持ちはなんだろう?」はこちら。


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