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くだらないの中に?失敗できないソフトクリーム。

先日、家族でビュッフェに行った。

そのビュッフェ、コロナ前はソフトクリームマシンがあった。
レバーを引くとソフトクリームがうねうねと出てきて、好きな量をカップに入れるというもの。
これが大人も結構楽しかったのだ。

しかしコロナ禍になり、衛生上の管理が難しいのかソフトクリームマシンはなくなってしまった。
うう…残念。


ところが昨年末にその店を再訪したところ、
なんとソフトクリームマシンが復活。

「あ、ソフトクリームがある!!」
子どもたちも嬉しそう。
私もやりたい。ワクワク。

早速ソフトクリームコーナーへ向かうと、どうやら以前のマシンとは何か違う。

まず、マシンの隣に置かれたミニ冷蔵庫から、スーパーカップのような専用のカップを取り出す。

カップの蓋をあけて、マシンにセット。
下には、受け皿としてのクリアグラスを置く。
そしてスタートボタンを「ピッ」。

するとどうでしょう。
マシンがウイーンと動き出し、自動でソフトクリームを巻いている。
その様子を見ていると、あっという間にキレイなソフトクリームの完成。
TOP画像のような、実にキレイなソフトクリームである。



そういえば、周りの人もみんな美しいソフトクリームを持っていた。
そうか、マシンが上手に巻いてくれていたからだったのか。

「…」

誰でもキレイに作れるソフトクリーム。
キレイに作れて素晴らしいのだけど、何か物足りなさを感じた。

冒頭にも書いたとおり、以前はレバーを引いたらソフトクリームが出てきて、それを自分で巻くというスタイルだった。

そのマシン、レバーを止めてもすぐ止まるわけではなく、数秒出続ける。
その為、加減が分からずモリモリのソフトクリームが出来上がっている人が多かった。
もちろん私もその一人。

その為か、マシンの周りはいつも笑っている人が多かった気がする。
思うようにならないからである。
それゆえ、他人同士ではあるが、ふと目があって思わず笑いあった記憶もある。

そして、他の人の様子を見て
「そうか、止めたいタイミングより少し前でレバーを止めたらいいんだな」
と気づき、自分でも実践していたような気がする。


なんだろう…
そういう不自由さの中にある楽しさというか、自由度というか
くだらないの中の愛というか。

そんなものが(どんなだよ)、新しいマシンにはないような気がした。

完璧に作り上げてしまうマシン。
それは
「私、失敗しないので」(キリッ)
みたいな、米倉涼子的なそれを感じたのだ。
(米倉涼子を否定しているわけではない)



とはいえ、
ソフトクリームを巻きすぎて食べきれない、倒れてしまう、などのトラブルは防げる。
子どもや不器用な人でも上手に作れる。

ソフトクリーム屋でもこれを導入していれば、当日入ったアルバイトでも簡単に作ることができるだろう。すごい発明である。



マシンが巻いてくれたソフトクリームも、もちろんおいしかった。

でも、もう一度手動で巻いてみたいんだよなぁ。

<あとがき>
下手だなあって笑いあえる空間も含めて楽しかったのかもしれません。
ちなみにソフトクリームは、ミニストップのヤツが好きです。あれおいしいんだよなあ。
今日もありがとうございました。

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