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父の料理の思い出

私が25歳の時、父が病気により63歳で他界した父について印象に残っている料理のエピソード。

父は私が小学校に入る頃から専門学校入学した頃まで、ずっと山梨県で単身赴任をしていて、月に数回帰って来る程度。単身赴任が長くなり、一時期から料理好きになったらしく、帰ってくるたびに料理を作って来てくれるようになった。煮物などの料理やおにぎり。

おにぎりは、ご飯を炊く時に昆布を入れたりと、こだわって作っていたようで美味しくて、作ってきてくれるのも楽しみだった。
形が三角でもなく、俵型でもなく円盤型・・・どら焼きを分厚くしたような形。

どうしたら、この形になるのかの方が謎だったが、本人いわく作りやすい形だからとの事で、形にはこだわらない個性的なおにぎりを作る父。


父が久しぶりに単身赴任から帰ってきた時に、お昼を自分で作っている姿を見る事があったが、ラーメンにキャベツを入れただけで、鍋のまま食べていた。男の人はそういうものだと思っていた。

noteで料理好きの男の人たちの作る料理を見るようになり、うちの父とは比べものにならないほどのレベル高いの料理をされる方ばかりで、父の料理好きはそこまで好きとは言えなかったんだと思った。


父の料理エピソードでなかなかの出来事があり・・・。くだらないギャグを言い笑わす事が好きだった天国の父も、これを書いても笑って許してくれるだろうなと。

単身赴任で帰って来ていた父、確か私が高校生の時の土曜日で早く家に帰ってきた、夏の暑い日の出来事。

父がテーブルに食器を並べていて、

「素麺たべるか?」と聞いて来たので
「たべる♪」と答え

クルッと背を向け、素麺を茹で始める父・・・


私:(;゚Д゚)

「ねぇ・・・

なんでパンツ一丁にエプロン姿なの⁈」

父「暑いからねっ!」

と、当たり前のような一言が返ってきた。

私:・・・。
(そうか・・・。単身赴任で普段家に父はいないけれど、世の中のお父さんたちはパンツにエプロン姿・・・夏のキッチンでよく見かけるの光景なのかもしれない・・・うん、きっとそうなんだ。)と

半ばそう自分を納得させ、部屋へ行き制服を着替えていた。


母が買い物から帰って来たようで


母「なんて格好してんのよっ!! 気持ち悪い!!!!!」

との叫び声にも似た声が聞こえてきた。


私:やっぱり・・・。普通ではなかったようだ

と納得。


普段父は単身赴任で一人だったので、もしかしたら家ではパンツ一丁で過ごしていたのかもしれない、聞いた事はないので分からないけれど。

一応家族のいる前ではエプロンぐらいはしておこうと、父親なりの配慮だったのかもしれない。どこかズレているけれど。

お昼は服を着てきた父と母と3人で素麺を食べた。


最後まで読んで頂きありがとうございます。

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