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天才とSNSとナルシシズムと。『カニエ・ウェスト論』

修士論文と向き合うはずが集中力を欠いた三連休。息抜きに、と家にあった夫の本を小脇に抱え、近所の喫茶店へ。

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お騒がせセレブのカニエ

その本の名は『カニエ・ウエスト論』。カニエのアルバムはすべて聴いてきているけれどファンと言うにはおこがましいレベル。どちらかと言えば、ブッシュ元大統領やテイラー・スウィフトに対してとった行動に顰蹙を買うようなお騒がせセレブとしての、またはデザイナーとしての、または、(こちらもお騒がせセレブ)キム・ダーカシアンの夫としてのカニエの方が親近感が湧くレベル。つまり、私はアーティスト、カニエのことをほとんど知らない。

翻訳もされた(ブラックミュージック解説と言えばの)池城美菜子さんが解説でも書いているように、この本は政治、アート、歴史、文学と引き合いに出される事柄が多岐にわたっている。それがすこぶるおもしろい(ちなみに解説が12000字あり、セレブになる前のカニエを知る池城さんの当時の冷静レポートが貴重、かつ、おもしろい)。SNSを駆使し、そして、時に暴発するカニエを通して垣間見れる現代人のナルシシズム分析がおもしろい。カニエの美的感覚に対する圧倒的な自信とヴィジョナリー、翻って、ゆえの不器用さ。その天才の奇天烈バランスがおもしろい。

カニエはSNSとヒップホップの間にできた子供

カニエ論と見せかけて、メディア論であり、世代論であり、ポップカルチャー論であり、アメリカ論であり……縦横無尽にカニエ論を炸裂させる筆者。その博識により、私たち読み手次第でいかようにも解釈ができる。

けれども、私は勢いのままに筆を走らせたであろう筆者のカニエ愛こそがこの本の骨頂であると断言。公開ラブレターですね、かなり長文の、ハイ。

ボブ・ディランら60年代のアーティストが創作をおこなう際の根本的な基準が、婉曲的な哲学思考や社会に対する意義のある意見といった「何か言うべきことがある」であったのに対し、現代の命題は単純で、言葉通り「とにかく話し続けろ」だ。(本文より)

読み始めるまでは、カニエの名盤とされる『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』について、一冊書かれた本っぽいな。それくらいの気軽さで手に取った私だが(そもそも気分転換に読もうとしたのだからにして)……おもしろすぎて、一気に読んでしまった。その後に、カニエのアルバムをデビューアルバム『The College Dropout』から聴き直ししてしまった。ミイラ取りがミイラになった気分(苦笑)。

だれもが自分をよく見せたい、賞賛を浴びたいともがいてるSNSの時代に、恐ろしいほどの音楽の才能と美的感覚をもち、何もしなくてもよく見え、賞賛を浴びる立場にいるのにジタバタするカニエ。(解説より)

カニエの音楽は好きだが、カニエ自身は嫌い(あるいは、あまり関心がない)。そういう私のような人にも、是非読んでもらいたい。

【補足】ジャケットのアートワーク変遷も掘り下げられていて、おもしろい!

シカゴ州立大学中退で音楽の世界に専念したカニエの初期クマ三部作🐻。

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母親を亡くした際に発表されたアルバム『808s & Heartbreak』。

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この書籍のテーマになっている『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』、9枚のジョージ・コンドのアートワーク。

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猥褻だと、モザイクかけさせられた(なんでも、物議を醸すような作品をカニエは要求していたそうな)!

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「ニルヴァーナのが猥褻なのに!」と怒るカニエ(ここまで想定済みでしたでしょうな!)

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複雑な男、カニエ自身……など、など。

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