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読書中に思い出したら、本気の恋なのかもしれない。続・『ジョーカー』考

信じられないの読書量を呼吸するようにこなす知人が薦めてくれた『社会心理学講義』を修士論文執筆のために読んでいる。「社会心理学という学問を俯瞰する教科書ではなく、人間を理解するために、どのような角度からアプローチをするべきか、それを示唆するのが目的だ」と著者が宣言する一冊だ。

その中の「少数派の力」の章、社会の新陳代謝という項目で引用されていたフランスの社会学者デュルケムの犯罪論。

行為が正しいかどうかは社会的・歴史的に決まる。(中略)悪い行為だから非難されるのではない。我々が非難する行為が悪と呼ばれるのです。共同体が成立すれば、規範が生まれる。社会全体が同じ価値観を持つのではない以上、必ず逸脱が感知される。逸脱の一部は独創性として肯定的評価を受け、他の一部は悪と映る。犯罪と創造は多様性の同義語であり、一枚の硬貨の裏表のようなものです。それは食べ物を摂取する側にとっての腐敗と発酵が区別すべき2つの現象であっても、化学的には同じプロセスである事情と似ています。社会で付与される価値は正反対でも既存規範からの逸脱であり、文化的多様性の結果である点は変わらない。

あれ、ジョーカーとバットマンのことが書いてある?

腐敗と発酵‼︎  まさに‼︎

自らが生きる時代の価値観を超えようと夢見る理想主義者の創造的個性が出現するためには、その時代にとって価値のない犯罪者の個性も発現可能でなければならない。前者は後者なしにありえない。

はい、『ダークナイト』でヒース演じるジョーカーは、まさにそんなことを言っていました!

と、『ジョーカー』解説本を読んでいるかのように、本と会話するかのように、大興奮で読み進めてしまう。

気づけば、映画を観た翌日は映画『ジョーカー』の話ばかりをしていた。

自分の中で「んっ?」と思った違和感を全部吐き出しても尚、残る違和感。「これはこれ、それはそれ」で楽しめば良いのだが、どうしても自分の中に思い描いていたジョーカー像と映画『ジョーカー』が描くジョーカーが生まれるまでの背景のズレが消化しきれない。

「だいぶハマッているんだね」と夫に言われる。

「いや、そういうわけではないのだけれど……ブツブツ」。

そう言いながら『ジョーカー』のベースになっているであろう『キング・オブ・コメディ』をNetfixで鑑賞。「なるほどね〜」と感心しあう。

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ルミネの名コピー。

試着室で思い出したら、本気の恋だと思う

なんやかんやブツブツ言っている私だけれど、まったく関係のない読書中に脳内で紐づきだしてしまったら、本気の恋……なのかもしれない。





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