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自己肯定感が高い人は自己肯定感を考えたりしない

わたしは自己肯定感が低い。

なんとなくネガティブに考えてしまうことや、なんとなく生きづらいなぁと思うことがずっと続いていたけれど、ここ数年聞くようになった「自己肯定感」という言葉。
なるほど、これか、と腑に落ちた。

「仕事も恋愛も自己肯定感が大事」なんて聞くけれど、自己肯定感を気にするのって低いからこそなんだと思う。
自分のことがだいすきで違和感がなければ、「嫌悪感 生きづらさ」なんて夜な夜な検索したりしないだろう。

今でもきっと自己肯定感は低くて、自己紹介をするにしても自信満々に「これができます!」と言い切れることはない。

だけど、最近はそこも含めて自分だなぁと自己受容ができるようになってきたように思う。

そもそも、「体が弱い」「行動が遅い」「自己肯定感が低い」など、弱い遅い低いだけではないけれど、なんとなくネガティブに捉えられてしまうことって多すぎる気がする。

弱いよりは強い方がいいかもしれないし、遅いよりは速い方がいいかもしれない。
低いよりは高い方がいいかもしれないけれど、世間一般のより良さばかりを求めても、標準に近づくだけでなのではないかと思う。

弱さも遅さも低さも基準値があるからこそ、それ以下だった時に使われる言葉なのだけど、その基準値は誰が決めたの?と最近はちょっと反抗的な気持ちにもなっている。

自己肯定感が高い方が生きやすいかもしれないけれど、こんな生きにくさもわたしの個性でオリジナルの悩みなのだ。
それのなにが悪いのか。
そんな気持ち。

弱さも遅さも低さも、それはそれとして存在するけれど、別に「悪さ」ではない。

生きづらさは自分でどうにか向き合いながらやっていくしかないけれど、誰かのために強くなったり早くなったり高くなったりする必要はない。
だってこれは自分の人生だから。

大切な人を大切にするために迷惑はかけないようになど、配慮はするけれど無理をする必要はどこにもないはず。

わたしは私のために、強くなったり早くなったり高くなったりしたい。


メモ:
自分の苦手は、悪さではなく個性であり特徴。
足りない部分を平均値に近づけなくても大丈夫。

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