人生、大凶

病気で働けないから生活保護をもらうという選択肢がリアルなものになってきた。
生活保護をもらい始めたら、友達はわたしのことどう思うだろうかとか、役所の人に「他人のお金で生きるなんて、恥ずかしくないんですか」と責められたりするんじゃないかとか。

病気で働けないのだから恥ずかしいも何も無いし、生きるために必要なら利用すべき社会福祉ではあるけれど、心の根底で「負け組になりたくない」とまだ思っている。

10年前は、みんな同じ高校生だったのに。わたしとあの子の違いは一体なんなのと考える。わたし何か、バチが当たるようなことしたっけ。

してない。バチが当たるとか、罪つくりとか、そういう話ではない、人生は。
ただ、運が悪かっただけ。縁に恵まれなかっただけ。

運が悪かっただけで、わたしは差別されるかもしれない状況に立たされているし、運が悪かっただけで、この人生は辛いものになっている。人生の辛さを初めて知ったときから、もう14年が経った。

死について考えていない時間を、死を渇望する時間が黒く塗りつぶし、ただだらだらと日めくりカレンダーを剥がしていく日々が続く。楽しかった記憶より、実際、辛かった記憶のほうが年数として長いものになってしまった。

生活保護、もらうんだろうか。差別されるんだろうか。わたしという人間が劣っているという証明になってしまうのだろうか。わたしの命に価値はあるのだろうか。わたしが生まれてきたことで良かったことはあったのだろうか。

やまゆり園の事件のことを思い出す。みんな口に出さないだけで、優生思想は根強いものだと思う。みんな口に出さないだけで、みんな行動に移さないだけで。

強者でいるか、鈍感でいるかの2択しか生きる道がない世界、甘くないものにしたのはどこのどいつなんだ?悪ふざけで済まそうとするなよ。こっちは本気で生きてるんだ。

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