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魯迅が見抜いた「中国化した日本」

よくお世話になる『表現者クライテリオン』誌の1月号に、浜崎洋介さんによる私のインタビュー「中国化の先に来た『リストカット化する日本』」が載りました。前後編のうちの前編なので、後編はおそらく次号(来年2月刊)になると思います。

もちろんリストカットというのは比喩で、「自殺」に喩えるほどの本気の自己否定ではないが、日本人が自分たちの社会の価値観(たとえば民主主義)を自ら毀損して楽しむ近日の露悪的な傾向を指すものです。本文では、実名や特定可能な暗喩もたっぷり盛り込んでその問題点を論じていますので、ぜひお楽しみください。

精神科医の斎藤環さんの用語だと「自傷的自己愛」になりますが、浜崎さんとの議論で喩えに出したのは、魯迅の代表作とされる中編「阿Q正伝」でした。1921年の発表で、清末民初の中国社会の閉塞ぶりを鮮烈に描いた同作から、一部引用するとこんな感じです(強調は引用者)。

かれは、敗北をたちまち勝利に変えることができた。かれは右手をふりあげて、自分の横っつらを力いっぱいつづけざまに殴った。飛びあがるように痛かった。だが殴ったあとは気がはれて、殴ったのは自分だが、殴られたのは別の自分のような気がした。そのうちに自分が他人を殴ったような気がして――痛いことはまだ痛かったが――かれは満足し、意気揚々と横になった。
 かれはぐっすり睡った。

岩波文庫版、110頁(竹内好訳)

これだけでも今日の日本の精神状況に通じますが、魯迅が最初に発表した小説「狂人日記」(1918年)もまた、令和のインターネット社会の暗喩として読むことが可能です。

魯迅(1881-1936)
Wikipedia より

「狂人日記」はいま風に言うと、統合失調症で自宅療養していた患者の手記を装った一人称の短編です。主人公(手記の書き手)は、周囲の人間が自分を食べようとしているとの妄想に駆られ、書物に記録された「食人」の実例を次々探しては、自説の論拠に使い始める。

魯迅が卓抜だったのは、そうした姿勢で探し始めるかぎりで、歴史上の史実や道徳的なレトリック(=自己犠牲の喩え)として「食人」が描かれた例は、実際に見つかる点を踏まえていること。つまり単なるファクトチェックでは、主人公の症状は緩和されない。

あるワードで検索を始めた時点で、本人が確認したい「結論」はすでに定まっており、そして現実にそのニーズを満たす結果は(こじつけであれ)見つかってしまうので、決して元の認識は改まることがない。そうした「総検索社会の出口のなさ」を、1世紀前から魯迅は見抜いていました。

かくして自分は食材にされかけていると確信した主人公は、人を食べることは「正しいか?」と、周囲にひたすら同じ質問を繰り返して問い詰めようとする。こういう人もSNSにごろごろ居て、大学の学者なんかも普通に混じっていますよね。

そのポイントのみを争う限りで「自分に有利」な論点や、それだけ繰り返していれば「絶対負けなそう」な聞き方を見つけては、「それで? 私の質問に答えてください」と食い下がる。中身がなくても威勢さえよく見せれば、フォロワーも「こっちが勝ち馬」として応援してくれるし、呆れてブロックされたら「答えられなくて逃げた」と勝利宣言すればOK。

(もっとも、本人の視野に入ってない「検索には引っかからないサイト」から証拠を持って来られると、あっさり負けて自分が黙っちゃうんですけどね)。

「ひたすら繰り返し攻撃」に相手の精神を支配する作用があることは、斎藤環さんがよく言及するヤマギシ会の事例などで、日本ではカルト対策の文脈で知られてきました。しかし魯迅は、同じことが個人という単位でも生じ得ること、その連なりが社会全体の病理をも構成してゆくことに、気づいていたのでしょう。

ですが、自らの社会に対する絶望で閉じられる「阿Q正伝」に対し、「狂人日記」では、魯迅はまだそこから立ち直る希望も示しています。実は「狂人日記」の主人公は、いまは治癒していて、十分元気になったので病気の頃のノートを作者(魯迅)が譲り受けたと、そういう設定になっている。

露悪的な妄想を突き詰めていった主人公は、終幕「そこまでこの社会が食人に満ちているなら、自分自身も実は人を食べたことがあるのでは?」との念に打たれる。その戦慄とともに手記はプツンと途絶えるのですが、逆にいうと、自分もまた加害者ではないのかと気づくとき、強迫的な被害妄想は終わり、回復へのプロセスが始まる。

そう教えてくれる点で、(おそらく)永遠に民主化し得ない中国の作家である魯迅こそが、実は開かれた民主主義をめざす不朽の古典なのかもしれない。『表現者クライテリオン』の取材が、ぜひ、そんな示唆の伝わるインタビューになっていればと思います。

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