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1996年、wwwとの出会い。

note歴、3日目。

完璧を期すとかえって失敗する質ではあるのだけど、続けて投稿して3日目でそれを欠くのが少々気持ち悪く、でもそんなときに限ってネタが浮かばない…。

よし!ここは早速、「お題」を活用してみよう。(いやあ、noteって便利だね)

では、 #はじめてのインターネット 行きます!

1996年、初夏

それは、1996年の確か初夏。23年とちょっと前のこと。
その年は、記念受験から滑り止めまで、きれいさっぱり全滅した春を経て、郷里の茨城県笠間市から水戸市の智森学舎予備校(現存せず)に通う、さえない予備校生をやっていました。

母校の同級生でこの新設の予備校に通う者はおらず、人見知りな私はまだ友達も満足にできず、人生で一番孤独だった時期。
夜は、進学して都内や各地に散っていった友人たちに長電話してばかりで、1ヶ月の電話代が3万円にもなったっけ...。

そう、その時分は、ようやく講師の先生と雑談ができるようになってきた頃でした。
国語と古典と小論文を受け持っていた、私の人生における文章の師・中川昇先生。進学後に何回か遊びには行ったものの、学んだのは予備校の1年間のみ。でも、穏やかだけど熱のこもった授業を今でも強烈に覚えています。

インターネットがやってきた!

そんな寂しさMAXの私の前に登場したのが、インターネット。(World Wide Web:www)
しかしながら、当時はもちろん「ハマった!」と言えるような時間を投じられるほど身近なものではなく、「ちょこっと触れた」が適切なくらい。

当時、水戸駅の南口にあった智森学舎予備校。
ちょうど昼休みにうろうろできるくらいの距離に、カトーデンキ(現・ケーズデンキ)の当時の本店がありました。

そのパソコンコーナーに、なんとインターネットカフェが登場したのです。

インターネットカフェといっても、個室でもなんでもない。
パソコン売り場のフロアにPC机が2つ置いてあって、そこにネットに繋がっているパソコンが置いてあっただけ。

価格はもう完全に忘れていますが、15分500円だったか、30分500円だったか、、、。

高校~予備校時代の私は、Newsweek日本版を定期購読していたような背伸び少年。インターネットについての記事は何度も目にしながら、実際に触れたことがないという状態でした。
(実は、持っていたPCでちょっとだけパソコン通信に挑戦したことはあったものの、周りに誰も師匠がいない状態で、結局訳わからずという状態…)

「知識では知っているものの、見たことはない」ものが、とうとう身近にやってきたというわくわく感。
今では味わえないものが、そこにはありました。

リンクにただただ感動

Windows95のPCの画面上で、世界とつながる入り口「Netscape」を開くと、まだ日本で始まったばかりのYahoo!が待っていました。

当時は、下のリンク先にあるように、検索して何かをさがすというよりも、ディレクトリから必要な情報に下りていくという感じ。
https://nelog.jp/yahoo-top-pages-1966-2014#1996

テキストリンクを開くと新しい選択肢が出てきて、そこからさらに選択肢が枝分かれしていく。開いたサイトも、ほぼテキストでできていて、文中のリンクをクリックすると、さらに新しい情報を提示してくれる。

どこまでもどこまでも果てしないリンクの世界に、「どんどんインターネット上に増えていく情報を、果たして人間は整理しきれるのでしょうか?」とアホみたいな質問を、予備校に帰って中川先生に投げかけたのを今でも覚えています。

むすびに

その後、大学に入り、「ダイヤルアップ接続」「テレホーダイ」「Infoseek」「ICQ」なんて懐かしい単語に囲まれる学生生活が始まるわけですが、それはまた、別のお話。

それにしても、自分の属する世代、PCやネットとの距離感、それらの可能性についての知見などを改めて振り返ると…
この、はじめてのインターネットにおいて、たんに情報獲得のための新しいツールとして「感動」するのではなく、「これをどうモノにするか」「どうやって発信する側に回るか」って企んでいたら、今頃まったく違う人生を歩んでいたのでしょうね(笑)

というわけで、0時を回ってはしまいましたが、note3日目!でした。
ちなみに、写真は、まだ「智森学舎」の看板が残っていた、2013年12月の水戸駅南口です。

#はじめてのインターネット #毎日note #コラム #エッセイ #予備校時代 #水戸 #智森学舎 #カトーデンキ #ケーズデンキ

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