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文章とカメラ位置

文章のうまい人はカメラ位置の設定がうまい。

文章なのに「カメラ位置」というのはおかしいが、「視点の設定」と書くと誤解されてしまうので、ここでは「カメラ位置」と書くことにする。

作っているゲームのプレゼンを学生がやると、カメラ位置がへたくそだ。へたくそというより意識してないのだ。

自分の名前とゲームタイトルを言うと、その次にいきなりコンセプトを話し始める。「プレイヤーと敵の戦闘をバトルだけではなくコミュニケーションと捉え……」 ながながコンセプトとシステムの話をするのだ。

おそらくプレゼンの授業か何かで、「最初にコンセプトを話しなさい」と教わっている。それを鵜呑みにしている。いきなり核心の、しかも抽象的なところにグッとカメラが寄るので、聞く側には何のことだかさっぱりわからない。
まったくどんなゲームなのか(そもそも2Dなのか3Dなのか、いやコンピュータゲームなのかアナログゲームなのかすら)分かってない相手にコンセプトを話してもイメージできないのだ。

クイズ番組で、何かのドアップからじょじょにカメラが引いていって、それが何か当てるゲームがある。そのドアップのカメラ位置で、えんえんと細かく説明している状況だ。

いちどゲーム画面を見せておけば解決する問題なのだ。ゲーム画面を見れば、「コンピューターゲームで3Dで、あれがプレイヤーで、敵があんなふうに出てくるんだな」とわかる。プレゼンのタイトルにゲーム画面を一枚入れておけばすむのだ。
どんなゲームなのか伝われば、そのゲームでどのようなコンセプトを実現するのかという説明が伝わりやすくなる。

文章でも同じようなことが起きる。自分の言いたいことを近視眼的にいきなり書き連ねると、全体像がわからず、読み手の理解を阻害する。

これは、「全体像から入りなさい」という教訓ではない。どの焦点距離から入って、次の焦点距離をどうするかを、自在に操るのだ、ということだ。

たとえば、以前書いた焙煎の話。
最初は、「4月に「煎り上手」を買って以来、毎日コーヒーを飲んでいる。」という書き出して、「煎り上手とは何か」の説明をしていいた。
全体像を示してから、ぐっとカメラを寄せていく作戦だ。
でも、書き進めるうちに、最初に書いた全体像のテキストを削除した。
いきなりカメラが寄っているところから始めた。

火の粉が穴から出てくる。カフと呼ばれる豆の皮が燃えながら宙に浮かぶ。コーヒーの香りがひろがる。ぱちっと豆がはぜる。

おそらく最初の一文「火の粉が穴から出てくる。」では、何を書いているか分からない。「なんだろ?」と思う。次の文も、カフとか皮とか「なに?」だろう。このまま焦点距離が近すぎると「なんだか分からないので読むのをやめよう」になってしまう。
そこで、ちょっとカメラを引いて「コーヒーの香りがひろがる」と書く。最初の「火の粉が穴から出てくる」が少し見えてくる。豆が、コーヒー豆だろうな、と推測がつく。ようやくちょっと分かる。ちょっとした謎を示して、解決して、さらに謎を生んでという繰り返しで、先を読んでもらう作戦だ。

このカメラ位置でいいのか? この焦点距離で書くことで読者はどう感じるのか? と、作品ができたあとにチェックしてみるといい。とくに、冒頭とラストシーン。

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