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高橋杉雄の詭弁 - アメリカの大統領は核の意思決定で合理的判断ができる指導者なのか?

8/6 の広島市長の演説、8/9 の長崎市長の演説は、核抑止論の破綻を正面から言い、核抑止への依存を批判し、核抑止からの脱却を唱えるものだった。二人の市長の「平和宣言」は、核抑止論を肯定したG7サミットの「広島ビジョン」を認めず、それに抵抗し抗議する被爆者たちを代弁していた。そうした核廃絶の声に対して、マスコミの位置から反駁のメッセージを返したのが高橋杉雄で、8/9 の報道1930に出演して持論を展開する場面があった。御用メディアであるTBSの松原耕二と堤伸輔が、日本政府とG7による「広島ビジョン」の核抑止政策を正当化するべく、恰も広島・長崎両市長に瞬時にカウンターの一発を入れるように、核廃絶論の世論の盛り上がりに打撃を与える政治に出ていた。昔のTBSからは信じられない 8/9 の放送だ。

高橋杉雄の反動の言説は、ABEMAが 8/15 に配信した記事でテキストになっている。

高橋氏は「ロシアの思うようにいっていない中で核兵器が使われていないことを考えると、核抑止論が機能していない、破綻しているというのはあまり正しくないと思う」とした上で、「核兵器をめぐる立場は3つある。1つが、“廃絶させねばならない”と絶対悪として捉えるもの。もう1つは、脅威が存在する以上は抑止力になるという必要悪として捉えるものだ。この2つは “核が悪である” という点で共通しているが、第3の立場は “核兵器は悪ではない” 。自分たちの国益を追求するために威嚇を含めて使ってもいいという考え方で、例えば北朝鮮や今のロシアがそうだ。批判すべきはこの第3の立場であって、核抑止力ではないと思う」と述べた。

このように「3つの立場」を設定し、ロシアと北朝鮮を「第3の立場」にカテゴライズして悪魔化し、一方で、第1の立場(核廃絶)と第2の立場(核抑止)とは、核兵器を悪とする点で共通し、第3の立場と隔絶する地平に立つのだから、仲良く共闘すべきで対立すべきでないという言い分だ。何とも珍妙であり狡知な、粗製開発の理屈である。痴呆化した日本の愚衆を騙して頷かせるのには、この程度の詭弁で十分と高を括ったのだろうか。苦笑させられる。反論を返すのも煩わしいが、当然ながら、高橋杉雄の言う「第2の立場」と「第3の立場」に違いはない。プーチンもまた、核兵器は必要悪と捉えていて、核使用を悪魔の所業と考えている。また、核を「自分たちの国益を追求するために威嚇を含めて使ってもいいと」考えているのは、アメリカも同じだ。

実際にアメリカは2度も使用した。広島と長崎に投下した。国益の追求と正義の実現のために原爆を落として数十万の民間人を殺戮した。その後も核兵器についての認識と戦略を変えることなく、開発と実験と配備を続け、常に実戦使用できる態勢を整えている。小型化の改良を加え、核戦力の向上に余念がない。アメリカに敵対する、あるいは不服従の勢力に対して、不断に核の脅しをかけ、核の恐怖を与え続けている。最近の最も典型的な事例を挙げれば、6年前にトランプが国連総会で北朝鮮に向けて行った警告と恫喝の演説がある。「北朝鮮を完全に破壊する」と言い、ニュースを聞く世界の市民を戦慄させた。アメリカの世界支配のヘゲモニーは、圧倒的な核戦力によって担保されているのであり、アメリカの指導者と外交軍事当局はその戦略方針を隠さない。

高橋杉雄の子供騙しの詐術に引っ掛かる者は多くないだろうが、プーチン悪魔化のプロパガンダが、全マスコミ総動員で1年半も延々とシャワーされ、右も左もロシア叩きで「束」になり、国民の観念の地盤が固められているため、「第3の立場」論を肯定してしまう迂闊な衆も一部に出るかもしれない。が、理性を取り戻して考えれば、NATOもまたロシアに核の脅しをかけている。同じ穴の貉だ。NATOは核シェアリングを敷き、5か国の空軍基地に100発の核を配備させている。先月、この核共有にポーランドが参加の意向を表明した。この25年間、ロシアとプーチンが最も恐れていたのは、NATOの東方拡大と核の脅威の接近だった。欧州大陸は、冷戦後もなお、NATOとロシアとが核の脅しを相互にかけ合う軍事体制にあった事実を再確認する必要がある。

もう一つの論点として、核保有国の指導者が合理的判断のできる人間かどうかという問題がある。合理的判断のできない指導者が核保有国の指導者になった場合は、核抑止のセオリーが機能しなくなるのではないかという懸念で、8/9 の報道1930でもテーマになった。ウクライナ戦争が始まって以降、マスコミで何度も聞く言説だ。定番で出演する御用論者の話は、要するに、北朝鮮やロシアや中国で核のボタンを握る最高権力者は合理的判断ができる指導者かどうか怪しく、いつ核の先制攻撃を行うか分からないぞという不安と警戒の扇動がポイントで、だからアメリカの核に守ってもらう必要があるという結論に落ちる。何度も同じ話が刷り込まれた。この言説には陥穽がある。それは、アメリカの指導者は常に合理的判断のできる指導者だという前提だ。この前提は不問である。

その前提の裏側には、西側諸国は「自由と民主主義の価値観」を体制化した国家であり、そうした普遍的価値観を戴く国家組織においては、合理的判断のできない指導者は存在し得ないという、これまたアプリオリに真理とされる認識がある。それならば、高橋杉雄に問いたいが、来年の大統領選で共和党候補として有力視されているトランプはどうなのだ。トランプは、核戦略について合理的判断を期待できる指導者なのか。トランプとプーチンを比較したとき、果たして、どちらが窮極の選択において合理的な判断をすると評価できる指導者なのか。どちらが、合理的判断の基礎となるべき知性や教養の高い人格で、どちらが低いと客観的に査定される人格なのか。答えは明らかだろう。指導者の合理的判断能力の低さが核のリスクだと言うのなら、トランプが指導者となったアメリカ以上に人類の脅威はない。

そのトランプは、民主主義の政治制度によって選ばれる指導者である。「自由と民主主義の価値観」の体制の国だから、指導者は必ず合理的判断ができるという理論ほど、ナンセンスで空想的な虚構はあるまい。然らば、バイデンならば合理的判断の資質を信頼できるのか。これまた愚かな話である。堤伸輔は、8/9 の番組の中で、プーチンの70歳の高齢を合理的判断の欠如を疑う理由に挙げていた。堤伸輔に問いたい。それならば80歳のバイデンはどうなのだ。認知症が進んでいると言われている。物忘れが多く重度の失言ばかり繰り返している。アメリカの男性の平均寿命は73.5歳。年齢を合理的判断力の有無の基準にするのなら、プーチン以上にバイデンが不適格ではないか。副大統領は58歳のハリスだが、アメリカ国民は、バイデン以上にハリスの判断能力を疑問視している。それがアメリカ政治の現実だ。

否、どれほどバイデンが高齢で認知機能に不具合があっても、周囲のスタッフが優秀なら政策決定の合理的判断能力に問題はないだろう、それが民主主義国家アメリカの強みだと、堤伸輔や高橋杉雄は言うかもしれない。防衛研陣笠族や元自衛隊幹部団や田中俊郎門下、マスコミ出ずっぱりの戦争プロパガンダ・オールスターズは言うかもしれない。だが、最後の決定は大統領が自らの判断と責任で下すのである。誰にも預けられない。キューバ危機の際のケネディがそうだった。スタッフの意見が二つ三つに割れたときは、国家トップで最高司令官の大統領が決めないといけない。大統領が決断を下したら、スタッフは従って実行しないといけない。核の最終決定とはそういう問題である。バイデンの認知機能に問題があっても大丈夫という議論は、この場合、いささか政治音痴の幼稚な楽観論と言わざるを得ない。

この問題に関連して、北朝鮮の核と金正恩について私の見解を示したい。6年前、トランプが北朝鮮への核攻撃を公言し、世界が緊張の極みに達したとき、朝鮮大学校准教授の李柄輝が屡々テレビに登場した。北朝鮮側の主張を代弁する論者として、報道1930やプライムニュースに出演して喋った。世界最強の超大国から核の脅しを受けているのは北朝鮮であること、国家の独立存続のために核の防衛はやむを得ないこと、アメリカは挑発をやめて北朝鮮と不可侵条約を結ぶべきこと、などを説明していた。非常に論理的で説得力があった。正確な弁論内容を再現整理できないが、李柄輝の話を一人の視聴者として聞いて、北朝鮮の核戦略のイメージが変わったのは事実である。日本のテレビが、金正恩をカリカチュア化して放送すると、悪玉としての北朝鮮の表象と観念がセメント化され、敵意と憎悪の感情がメンテナンスされる。

その意識の影響で、北朝鮮の核戦略など、およそ合理的な範疇のものとして受け止められない。意味が理解できない。最初から論外と拒絶する。そして、マスコミ論者が言うとおりに、北朝鮮の核戦略など不毛な妄想の産物で、専制君主の金正恩に合理的判断など不可能だと確信してしまう。だが、李柄輝が説明を始めると、一つ一つが思考の回路に入って行き、合理的な中身をもって組み立てられて行く。腑に落ちる。不思議なものであり、イメージとは恐ろしいものだと思う。要するに、アメリカべったりのマスコミ論者の言う「合理性」だの「合理的」だのは、ただのレトリックであり、アメリカの政策と戦略を正当化するための道具の形容詞であり、耳に響かせるイメージ情報でしかないことが分かる。それが政治的真実だ。北朝鮮に核放棄とNPT再加盟を要求するのなら、その前に米軍による威嚇と挑発をやめる必要がある。

北朝鮮は「自由と民主主義」の「普遍的価値観」に基づかない異形の国で、いわゆる「国際社会」からアウトロー視される軍事独裁国家である。だが、核の最終決定を最高指導者がするときは、それはアメリカと同じであり、キューバ危機のときのケネディと同じである。違いはないのだ。関連して、三点目の問題を取り上げたい。NHKやTBSなどマスコミとオールスターズは、口を開けば、ウクライナは核を持っていないから侵略されたと言い、ロシアは核を持っていたから侵略できたと言う。このナラティブを批判したい。一つ目の反証例は、8/9 の番組内で小泉悠が紹介していた、アルゼンチンと英国のフォークランド紛争が当て嵌まる。核を持たざる国が核保有国に武力で戦いを挑んだ。侵攻したのはアルゼンチンで、英国の反撃は国際法上正当防衛である。紛争は通常兵器の戦闘で決着がつき、核は問題にならなかった。

もう一つ、もっと決定的で重要な最近の事例がある。2008年に起きた南オセチア紛争だ。このロシアとグルジア(当時の国名)との戦争は、今では歴史認識が変わり、ロシアがグルジアを侵略したという「定説」になっている。が、当時の報道は逆で、サーカシビリが無謀にも南オセチア領に軍を侵攻させ、激怒したプーチンが撃退に成功、ロシア軍戦車部隊が首都トビリシまで迫るという情勢が招かれた。戦闘はグルジア軍の敗北で終わり、この事件を契機にしてサーカシビリは失脚、グルジアからウクライナに逃亡、亡命する。核を持たないグルジアが核を持つ大国ロシアによく戦争を仕掛けたものだと、普通は不思議に思うが、実はこの動きは2014年のマイダン革命と同じカラー革命の対ロ戦争で、裏でアメリカのネオコンが暗躍していた。アメリカが後ろ盾という思惑の下で、サーカシビリは博打に出られたのである。

サーカシビリの暴走は、NATOをグルジア紛争に呼び込み、アメリカの軍事的関与を引き出す企図の作戦であり、今回のウクライナ戦争の前哨戦的な位置づけにあったと言うことができる。結局、アメリカは介入せず、サーカシビリの謀略は火遊びに終わった。サーカシビリの行動はウクライナに繋がり、今度はポーランドに飛び火しそうな気配になっている。グルジアにせよ、ウクライナにせよ、ポーランドにせよ、ロシア周辺でロシアに敵対する小勢力は、核戦争や第三次世界大戦のリスクを考慮せずに、それを過小評価してロシアに牙を剥く傾向がある。つまり「親方アメリカ」の甘えの下に、安易に対ロ戦争に奔る性癖がある。最終責任をとるのはアメリカで、自分たちではないから、無責任にアメリカを戦争に巻き込み、アメリカを利用し、自分たちの対ロ安保上の地政学的国益を得ようとする。歴史的民族的な怨恨を晴らそうとする。

私にはそう見える。いずれにせよ、核を持っている国だからとか、核を持たない国だからとか、その視角からの言説は必ずしも当を得ていない。単にロシア叩きの目的でマスコミ散布用に細工した見方のように感じる。


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