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ジョン・ル・カレの「スパイはいまも謀略の地に」を読む

高齢だったので懸念はしておりましたが、ル・カレは去年12月に亡くなってしまいました。世相を斬る、問題の核心をえぐりだす鋭く熱い内容の本を最後まで執筆しつづけその筆致は寧ろ冴えわたってきておりその努力にはただ頭が下がるばかりでした。

僕は、ル・カレの本によって世の中で起こっている事の本質に気づかされた。ル・カレの本で世界観が大きく変わって見えるような読書体験をしました。彼に教えられた方々が書いた本を読めば読む程、調べれば調べる程、今のこの世の中がおかしくなっていることがわかってきた。
そして事態はますます酷くなるばかりだ。

価値観や信条が国民のなかで複雑多肢に分断され、大多数とはとても言えないような偏った意見が登用されていく。国が特殊な信条価値観を持った少数集団によってハイジャックされ得る、いやされている世界に僕らは暮らしているのだ。

今三度目の緊急事態宣言に入った日本も例外ではない。疑惑にまみれた安倍政権も菅政権も反省の色もなく国民を犠牲にして利権獲得に走り、コロナもフクイチの汚染水も解決するどころか事態を悪化させていることがその査証だ。

以下の文章は去年の8月に書いたものです。

イギリスがEU離脱に大きく揺れているなかナットは40代後半に差し掛かりこれまでSISの要員運用者として現場で一匹狼としての仕事からいよいよ引退の時期を迎えていた。彼は大使館詰めの外交官であると思いこんでいる一人娘がいる家庭と、またもう一つ別の顔があった。それはロンドンで自らが会長を務めるバトミントンクラブでの活動だった。時間があればいつもクラブに出かけてはメンバーと試合に臨み腕を磨き、クラブにおける最強位を長く守っていたのだった。そんな自分が現地から引き離されてとこかわからないが何かの閑職につく事に納得がいかず、いっそ早期退社して別の仕事に移るべきなのか。そんな思いをぶつけるかのようにバトミントンの試合に打ち込むナットの前に現れたのはエドという独りの若者だった。

自分と試合をして欲しい。挨拶もそこそこにぶしつけなお願いをしてくるのだった。ナットがとても強いという噂を聞きつけてクラブに入会したばかりなのだそうだ。せっかちに日程調整を進めるエド。自分に割り振られる新しい仕事は何なのか、それを受けるにしても異動の合間に休暇を取って家族でスキーに行こうと考えていたナットは少し先の日程で試合をするスケジュールを作る。

ナットに提案された新しい仕事はロンドンにあって忘れ去られて久しい、どうしてそこが未だに残っているのか誰も知らないと言われているロシア支局通称「ヘイブン」の立て直しというものだった。

ここは再定住させた無価値な政治亡命者と落ち目で五流の情報提供者をまとめて捨てる廃棄処分場という評判であった。ここの支局長が定年引退することからナットへ後任人事の案が作られたのだった。少なくとも情報部には残れるし対象がロシアである。ナットはしぶしぶこれに応じるのだった。

ヘイブンに着任するとそこには配属二年目というフローレンスがいた。彼女は期待の新人であると同時に若干未熟な点があるということからロシア課ではなく、このヘイブンの所属になっているのだという。

彼女は<ローズバッド>という作戦名のプロジェクトを進めていた。これはロシアのオルガルヒ<新興財団>のウクライナ人の男暗号名<オルソン>がモスクワ・センターやウクライナ政府の新ロシア分子と繋がりをもち大規模な資金洗浄にも手を出しているのではないかという調査を行っているもので<オルソン>の愛人<アストラ>をリクルートして決定的な情報を入手する糸口を模索していた。

時に感情を報告書にたたきつけるように書き込んでしまうフローレンスと作戦<ローズバット>は磨けば一級品になる可能性があることを見抜いたナットはフローレンスに協力し支局のリソースを<ローズバッド>へ注ぎ始める。

エドは寡黙でフェアなプレイヤーだった。一戦目はナットの勝ち。負けた時は毒づいたりもしたが、直ぐに平静を取り戻してナットにビールを奢り、懲りた様子もなく次の試合の日程を要求してくるのだった。<ローズバッド>の仕事の都合で予定は再三変更されることになるが、辛抱強く待ち続けるエドと二度目の試合を行い、負けた方がビールを奢る。二人はお互いのバトミントンの腕を認め合い、以後予定が合う限り一緒に試合をする仲になっていく。

調査員をしている?広告業界?の仕事をしている?らしいエドは殆どプライベートのことを話さないが、ビールを飲んでいる間に時折、トランプ大統領の暴政のことやブレグジットに対する憂いをぶつけてくることがあった。

曰く「ドナルド・トランプの時代にイギリスがEUから離脱し、結果として根深い人種主義とネオファシズムにまっすぐに向かっているアメリカに全面的に依存することは、紛れもなく、最低最悪の大くそ災害だ」、ナットあなたはどう考えますか?どう答えろというのか、SISに努め女王陛下に忠誠を誓っている身分を隠している立場としてのナットはこれに当たり障りのない回答をするしかないではないか。

この痛々しいほど若いエドとの新たな友情。愛すべき家族、ヘイブンで推進していく<ローズバッド>は思いがけないところで複雑に絡み合い、予想外の結末へと結実していく。ページをめくる手がもどかししい、その一方で彼らの行く末が心配で読み進むのが辛いと感じるような複雑な思いは、ただ単に登場人物がみな愛すべきキャラクターであるだけではないだろう。まるで本物の、実在の人物かと思えるような深い人物描写とストーリ展開が我々を物語に引き込み当事者としてともに悩み悶絶していくことを強いられるからなのだろう。

自分なら果たしてどうするのか。EUから離脱すべきなのかすべきではないのか。忠誠を誓った女王陛下や所属する組織の決定や命令にどこまで従うのか、自分たちの国や組織や仕事を自分たちのものとして運命をともにするのか訣別するのか。その境界線はどこにあるのか。

アメリカ人たちが今直面している民主党か共和党なのか、トランプなのかトランプ以外なのかと同様に、日本でも安倍政権なのか自民党なのかをはじめ様々な価値観に深い分断が縦横無尽に走っている。

イギリスはかつてない迷走ぶりを延々と続けた挙句にEU離脱が決定された。傍からみている僕らからするとどっちが正しいのか、どうして決められないのか、まるで文脈が読めないくらい混迷してしまった感がある。ル・カレは果たしてこの事態をどうみているのかと思っていたのだが、このエドの発言で明らかなように正にくそ大災害だということなのだろう。

しかしイギリス政府はそっちへ進む道を選んだ。EUは確かに素晴らしい理想のもとでかなりのことを実現した成果はあるんだろうと思う。しかし、イギリスやフランスやドイツといった国体を解体して一つになるということは難しかった。その越えられない壁がEUとしての制度・運営に無理が生じているように思える。僕は無知が故にこのような合理的な判断のなかで離脱か残留かが問われているのかと思っていたのだが、当時のニュースにも繰り返されていたように、イングランドやアイルランドなどとの境界線をはじめとする国粋主義や人種主義の価値観に押されて離脱が決まったのだとするならばそれは正に大災害としか言いようがないかもだ。

国が政府が政治家がもしかりにこのような信条・主義主張に基づき行動しようと考えている国民を誘導しようとしている場合、正しいのはその方針に沿って活動する組織なのか反政府勢力なのか、そしてその境界線はどこにあるのか。

トランプ大統領を後押ししていたスティーブ・バノンは国境の壁建設の寄付に関する詐欺容疑で逮捕・起訴された。逮捕したのはバノンが政権運営側にいたときからトランプ政権が一貫して攻撃してきた郵政公社の捜査機関だったそうだ。日本も検察が河井議員の逮捕に踏み切るなど安倍政権に対する切り崩しに動きとみれなくもない動きがあるが、どちらの国も遅いし手ぬるいと思う。こんな風に政府や政治家のやりたいようにやらせていたら、金をどぶに捨てるばかりか国民の命がどんどん失われていく。本書ル・カレのこの新作は正にこのような事態に直球ストレートで剛球を投げ込んでくる一品なのでありました。ご本人89歳だそうです。すごいなこと人はほんと。

ジョン・ル・カレのご冥福を心よりお祈りします。

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