見出し画像

先生の「伴走」支援(コーチング)による、ぼくの現在地とこれから

3月といえば別れの季節ですね。ぼく自身も6年担任として先日卒業生を送り出したところです。
3年間の関わりがあった学年。子どもたちへの感謝と、それを上回る申し訳なさと…いろんな思い出や感情が湧いてきて、思わず涙が。
これからの人生でも絶対に忘れることのないであろう、思い出に残る卒業式となりました。

さて、前回の記事ではリフレクションにおける「伴走」の価値について取りあげました。
今回の記事では、その「伴走」について、より詳しくお伝えできればと思っています。(この記事の前提として、ぼくは昨年の8月頃から2人の方に「伴走」をお願いしてきました。今回はあくまでその半年ちょっとの経験を通して感じたこを記事にしています。)

1.「伴走」について

ばん‐そう【伴走】
[名](スル)マラソンや自転車のロードレースなどで、競技者のそばについて走ること。「自動車でランナーに伴走する」「伴走車」                 

出典:goo国語辞書より

一般的に「伴走」といえば、上記のようなものが思い浮かびますよね。
個人的にも「伴走」と聞いて、なんとなくイメージはわかるような気もするけど、実際のところ何をしてるんだろうという気持ちでいました。


今回は「伴走」についてのnoteですが、「なぜ、近年教育業界で取りあげられるそれが、伴走という言葉で語られるようになったのか。」とか、「いわゆるコーチングやコンサルとはどのように違うのか。」という、背景や文脈的な質問には答えられないことを初めに断っておきたいと思います。

2.「伴走」を通した自己の変容

これまでの「伴走」について振り返ってみたときに、自分を少しずつ変えてくれているのは次の二つの負荷だと感じたので、まとめてみます。

・「問い」による思考への負荷

伴走の時間では、伴走者からの問いによって思考が働きます。日々のリフレクションでは、自分なりに問いが生まれることもありますが、それって自分にとって心地よい問いであることが多いんですよね。だからあまり負荷がかかっていません。
人によって思考の癖は必ずあるので、そこで他者の存在が必要になってきます。

特にこれまでのぼくは「信念を言語化する」みたいなことに時間を使ってきたような気がします。
比較的大きく、抽象的な問いが多いので、負荷を感じる時もありますが、信念が定まることによって自分の行動に意味付けがなされる感覚が大事だと感じています。

特に教員はこの辺りを言語化する機会ってほとんどありませんよね。職員室でそんな話をしている人を自分は見たことがありません。
もちろん自分もその一人で、初めての伴走の時間では、これまでの自分がいかになんとなくでやってきていたのかを思い知らされました…

伴走の時間を例えるとするならば、「問い」という名の鏡を手渡してもらっているような感覚でしょうか。自分自身と向き合うことを助けてくれます。
基本的にZoomで行うことがほとんどなので、画面の向こうに伴走者がいる状況です。でも、「問い」をもらったぼくは、その方に答えているというよりは、与えられた鏡を覗き込み、もう一人の自分と話しているような感覚になる時があります。

「あ、こんなところにホクロがあったんだなぁ」というように、「ぼくってこんなことを考えていたんだなぁ」と思うこともしばしば。
問いを繰り返し与えてもらうことで、借り物の言葉だけでは表現できなくなり、自分の言葉で語る必要が出てきます。

また、沈黙を恐れなくなったことも一つの変化だと感じています。
これは伴走者との関係性や、どれだけでも待ってくれるという伴走者の姿勢もあると思いますが、「すぐに答えないと」と思うことが少なくなりました。
「沈黙」の解釈が自分の中で変わったことで、子どもへの関わりにもプラスの影響を与えていると感じています。(待つの苦手だよね。と散々言われてきました…)

・「宿題」による行動への負荷

宿題と聞くと、ん?と思われる方も言われると思いますが、要するに自分の取るべきアクションと期限を決めていきます。
宿題が強要されることはなく、あくまで自分が次回の日程などをもとにできる範囲を考えて宣言します。「考えて」と書きましたが、基本的には話しているうちに自然とアクションが浮かび上がってきている感じです。

宿題ってよくも悪くも「やらなきゃ」と思うことができるんですよね。
我ながら責任感は強い方だと思うので、他者と約束してしまうということは自分にとっていい負荷の掛け方なんだと感じています。
自分自身が選択し、宣言することって子どもたちの学びにおいても大事だよなぁと身をもって経験しました。

3.「伴走」のこれから

お一人はもともと12月までの予定でしたが、自分の余裕のなさと時間的な都合からずるずると伸ばしていただき、この3月で一区切りとなりました。
リフレクションを毎日読んで、コメントをしてもらったことには本当に感謝しかないです。自分もリフレクショングループなどで他者のリフレクションにコメントする機会もありますが、コメントするって結構な労力なんですよね。

もうひと方には、今後も引き続き伴走をお願いする予定です。
新年度に向けて、自分の頭の中を整理しながらアクションプランを立てていきたいと思っています。
ゆくゆくは「自走」できることが目標ですが、どれだけ人間的に成長し、個人でやれることが多くなっても、この伴走者的な存在は必要なんだろうなと感じているところです。

以上、長々とぼくの経験をもとに書いてきました。
このnoteを通して、「教員には伴走者が必要だ」ということを主張する気はさらさらありません。
でも、この「伴走」という体験を通して、自分が変容していく実感を感じることができたというサンプルの一つとしてお伝えすることはできるかと思います。

この「伴走」という文化が少しでも広まり、一人でも多くの人が自分なりの豊かな教員人生を送ることで、子どもたちにも還元されていけば幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?