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学校の常識は社会の非常識?

「教員は世間知らず」

学校現場にいる人もそうでない人も一度はそんな言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。

私自身、大学卒業後に教員としてしか働いた経験がありません。直接言われたことはありませんが、教員経験しかない自分にとって、「教員は世間知らず」という言葉は常に付き纏います。
「一度社会に出て(一般企業で働いて)から教員になった方がいいのではないか」と考えたことのある人は、進路を考える学生だけでなく、現職の方にも多いのではないでしょうか。

今回、記事を書き始めたきっかけは、今年(2021年)の3月から参加しているLearning Creator'sLab というプログラム。
探究学習について半年以上をかけて学んでいくのですが、8月からはチームでのプロジェクトがスタートし、「常識を変える地図」というテーマで取り組んでいるところです。

教育界、学校現場で常識となっている(と感じている)ことを取り上げ、「変えたいと思っているはずなのに変わらない(変えられない)のはなぜか」という問いを起点にプロジェクトがスタートしました。

今回(から)の記事では、その辺りにいるごく一般的な公立小学校の教員として、「常識を変える地図」づくりの過程やプロジェクトを進める中で感じていること、考えたことを少しずつお伝えできればと思います。
みなさんのお役に立つ記事というよりは自分自身の思考の整理という側面が強いのですが、もし宜しければ一緒に考えていただけると嬉しいなぁと思います。


1.常識とは

常識(じょうしき)は、社会を構成する上で当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと。また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。社会通念ともいう。対義語は非常識(ひじょうしき)。社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。これは文化摩擦などとして表面化することもある。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

”ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。”

まさに今回の記事で取り扱う内容ですね。
ただ、多くの職業があるにも関わらず、なぜ教員だけが世間知らず・非常識と言われることが多いのでしょうか。

2.学校の常識とは? 

私たちが進めているプロジェクトでは、まず学校現場や教育界の常識を出し合うところから始まりました。

テストや成績をはじめ、学級という枠組み、行事、先生の働き方、人事異動、学校と保護者・行政の分断など、様々なことが挙げられました。

近年の学校現場において、そんな常識と向き合っていると感じるのが、『学校の「当たり前」をやめた。』(工藤勇一 現:横浜創英中学・高等学校校長)などで話題となった千代田区立麹町中学校。
宿題廃止、定期テスト廃止、固定担任制廃止など、従来「当たり前」とされてきたことを覆してきた工藤校長の改革はご存知の方も多いかもしれません。

「目的と手段を取り違えない」「上位目標は何か」「自律のための教育」 「進取の気性」という言葉で説明されるこれらの改革。
宿題をする(させる)こと、定期テストで学力を測り、順位付けすることが手段ではなく、目的となってしまっているように、学校の中には「〇〇させること」が目的となることが少なくありません。
そして、一旦それらが常識となると、本来の目的が完全に姿を消し、手段だけがいつまでも残り続けるということが起きているのではないでしょうか。

3.社会の常識とのずれ

みなさんは「社会の常識とのずれ」という点で考えると、何が思い浮かぶでしょうか。

私がまず思い浮かんだのは教員の働き方に関すること。

この辺りは大学の卒論テーマとして扱ったことも大きく影響されています。大学時代は「部活動の顧問教員」に絞って卒論を書いていましたが、部活のない小学校で働くようになった今、改めて教員の働き方には問題意識を感じています。

学生の頃は「諸悪の根元は給特法だろう」と考えていましたが、実際に現場に出てみると、そんな簡単な話でもなさそうだということに気づきます。
そもそも勤務時間内におわらない業務量や勤務時間外でないと連絡のつかない家庭など。(そういったご家庭自体を悪く言うつもりはないとお断りした上で、そのようなことがあると残らざるを得ないのも現実。)

働き方については職場環境も関わってくるので一概には言えないと思いますが、4%の残業代で定額働かせ放題の教員は、社会の常識とずれているように感じます。

次に学校の校則について。

最近、「ブラック校則」という言葉を耳にします。
主に中学、高校で聞かれる言葉かと思いますが、スカート丈から下着の色の指定、髪を染めさせることなど、理不尽な校則に声が上がっているということです。
小学校でも体育着の下に肌着を着てはいけないという決まりがあったことが問題となるなど、学校独自のルールに対しておかしいという声が上げられることが増えていると感じます。

他にも挙げるとキリがないのかもしれませんが、これらを中心に「学校は異常だ」という認識が生まれ、声が上がっていると感じます。

この辺りについては以下の記事などが参考になると思ったので、興味のある方はぜひ読まれてみてください。

※近年では、そういった校則に対して声を上げ、生徒主体となって見直そうとする動きが出てきていることも、合わせて紹介しておきます。

4.常識のずれを無くすには?

「教員は世間知らず」という課題と向き合い、企業インターンをされた先生がいました。自分もBeYond Labo My Challenge Salon(習慣化サロン)を含め(一方的に)お世話になっている二川佳祐先生。二川先生はその内容をまとめられた記事で以下のような仮説をもたれていました。

③なぜ「先生は世間知らず」なのか?への仮説
どうしてこうも先生は「世間知らず」と言われるのか?というのが僕の今回の命題の一つでした。昔、師匠の先生には「先生は名刺交換もできない」とか「コートを脱いで挨拶に行けない」とかそんなことを散々言われていたから、なんだか僕はここに対してやたらとアンテナが高いのです。
どうしてこうも言われるのかということを、エッセンスの皆さんと話しながら考えた仮説が二つ。

 ⑴学校というのは誰もが1度(児童として)ないし2度(保護者として)経験している
 ⑵そしてどのグレードでも、どの地域でもほぼ同じ教材で同じ形の教室で、同じような先生が授業をして、その教育を受けて来ているから、共感性が高い

個人的にも仮説(1)が非常に大きな要素であると感じています。経験している(知っている)からこそ、(無意識的にも)自分の経験と比べ、不満が出やすいのではないでしょうか。

そう考えると、常識を変えにくい構図が理解できるような気もしてきます。これまでの行事がなくなる、宿題がなくなるといった大きな変化はそれらを経験した人々からすると大きな不安を生むのでしょう。

とはいえ、学校の主体はあくまで児童・生徒たち。
教員や保護者といった大人たちが、学校に通う子どもたちの将来を考え、「常識(当たり前)」を押し付けるのではなく、学校と社会の壁を無くし、これからの社会を生き抜く上で必要な力を育ててあげることが大事だと感じます。

5.おわりに

今回の記事では、学校の常識と社会の常識のずれについてまとめてきました。
分断されたそれぞれの過ごす社会から、互いに石を投げ合うのではなく、橋を架け歩み寄り、一緒に常識をつくっていくことが理想なんだろうと、記事を書いていて思いました。

そのために公立小学校の内側にいる人間として何ができるのか。
一人ではとてもじゃないけど変えられない大きな課題ですが、今回はとても心強いチームのメンバーがいます。そのメンバーと共につくる「常識を変える地図」。
どんなものができていくのか、自分自身も楽しみです。

皆さんもこの記事を読んで感じたことや学校の気になる常識があれば教えていただけると嬉しいです。最後までお読みいただき、ありがとうございました!


(2024年4月追記)

公立小学校から、通信制高校のサポート校である「ゼロ高等学院」へと転職しました。
公立小学校でしかできないこともたくさんあったと思いますが、今の立場だからこそできることも多いと信じて、学校の「常識」と向き合っていきたいと思います。

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