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「キレイゴトぬきの農業論」を読んで

久松達央さんの「キレイゴトぬきの農業論」という本を読みました。

読んだのは結構前なのですが、書かねば…と思いつつ、なかなか書けていなかったものです。

時期的には、以前に投稿した自然栽培について感じたモヤモヤの草稿を温め終わったときくらいに読んで、「うわ~言いたかったことがほとんど、そしてより明快に書かれてる!」と感じたことを覚えています。

読書メモ

※ 引用形式で書いていますが、引用部分は本からの完全な引用ではなく、私なりに切り取ったり短縮したりしている部分があります。


おいしさの三要素 は栽培時期(旬)、品種、鮮度、これで8割決まる

ここに養分管理や剪定管理が入っていないのは少し驚きでしたが、なるほどなぁと思いました。こうやってみると、有機・慣行などの栽培方法の違いはさらに割合が小さい要素となるので、おいしさのためには先に他にやるべきことがたくさんある、ということなのかなと感じました。


米づくりで一番問題になるのは初期の雑草です。ほとんどの農業者は雑草対策として除草剤を使用しています。(途中略)実用化されている技術の一つに紙マルチ栽培があります。これは最初のたんぼを紙で覆ってしまい、そこに苗を植えていくとうものです。光がとおらないのでイネとイネの間には草は生えませんし、紙ですから栽培後期には水に溶けてなくなってしまう、とう便利な技術です。除草剤をゼロにできるこの技術は環境にやさしそうですよね。
ところが、(途中略)、この紙マルチ栽培は突出して二酸化炭素の排出量が高かったのです。これは紙の製造工程で大量の二酸化炭素を出すためです。いくら田んぼでは「環境にいい」と言っても、その分のツケをよそに回しているのでは、この方法そのもの「環境にいい」とは言いづらいものがあります。この方法が悪い、と言いたいわけではありません。除草剤を使わないという要素を評価するのか、二酸化炭素を出さないとう要素を評価するのかによって選択は変わってきます。紙マルチ栽培が一概に環境負荷が低い、とは言えない難しさがここにあります。

直感では有機農業の取り組みは何でも環境によさそうと思ってしまいますが、最初から最後まで含めて総合的にどうなのか?を考えることが大事だなと思いますし、有機・慣行という大きな括りで良し悪しを考えてしまうことへの危うさを改めて感じます。


あえて厳しい環境に晒すことで健康でないものを淘汰させ、「健康な野菜」だけを選別する。これが有機農業の選別機能です。(途中略)
有機野菜がおいしいと言われる理由にはこの選別機能も影響していると僕は考えています。つまり農薬や化学肥料を使う栽培の場合、本来は「健康な」野菜にならないものを無理やり出荷まで持って行ったものが混じってしまう可能性がある。有機だとそういう野菜は淘汰されるので「健康な野菜」だけが出荷にまでたどり着ける。そうなれば、平均で見たときに有機のほうがおいしい野菜が残っている確率は高いに決まっています。

久松さんが農薬を使わない理由として紹介している一節。あぁ、良い理由だなぁとうならされました。この話を妻としたら、妻は「健康だからおいしいとは限らなくない?」と言っていました。それも確かになぁと思いました。植物が健康であるかどうかと人間の口に合うかどうかは別の話ではある。概ね「健康であればおいしい」になりそうな気はしてしまいますが。


「雑草」と呼ばれている植物の多くは、ヒトには食べられないか、食べてもおいしくないものです。食べにくいものが多い中、食べられる数少ないものを選び、長い年月をかけて栽培しやすく改良し、苦みやえぐみを少なく、やわらかく、大きくしたものが現在の「野菜」と呼ばれるものです。品種改良によって、毒を作るエネルギーを栄養や食味成分の生産に振り向けさせているのが野菜なのです。当然、病害虫に対しては非常に弱く、人間の保護なしでは生存し得ません。「自然に育てれば野菜は病害虫にやられない」という人もいますが、そもそも野菜は自然なものではありません。野菜は人が手をかけなければ自然界では生きていけない、いわば植物の奇形です。

自然栽培について感じたモヤモヤでも似たことを書きましたが、やはりそうだよなぁ、となりました。


おいしい野菜を作る方法は一つではありません。ここで紹介した有機栽培以外にもやり方はたくさんあります。自動車メーカーがそれぞれ独自の生産方式や哲学を持っているのと同様に、農業生産においても数ある手法のどれを選択するかは考え方や好みの問題で、いい悪いではありません。(途中略)僕自身は生き物の仕組みを利用する有機農業の技術は工夫に満ちた実に面白い試みだと思っています。特に、そのローテクな部分に惹かれます。大量のエネルギーを使うのではなく、もともと生き物が持っている力を上手に利用するところに美しさを感じます。余計なものをそぎ落したシンプルな機能美が好きなのです。(途中略)生き物を扱っている以上、最後のところは生命力を直接感じる環境の中で仕事をしたい、という思いがあります。地下足袋で土を踏みしめる感覚や、畑全体に色とりどりに広がる作物を吹き抜ける風のにおい。そういう身体的な感覚が、農業を続けるうえで僕には重要な要素なのです。手触り感のある技術に美しさを感じるのが、僕の個性なのだと思います。

素敵な言語化の仕方だと感じます。そして僕もこれと結構近い感覚を持っている気がすると思って読みました。僕は「あれこれと取り寄せる必要なく、手元にあるもので何かを作り上げることができる」ことに魅力を感じるのかもしれないなと感じることがあります。僕がソフトウェアエンジニアリングに興味を持ったのも似た点があったのかもしれないです(現職ソフトウェアエンジニアです)。


「農薬は悪で有機野菜は安全」は事実に反するし、消費者の多くには通用しない。「僕は安全だけで有機野菜を売る人たちを”2週遅れ”だと思っています」

ちょっと言葉は強めだと感じますが、内容には僕も同意です。


2011年3月の東日本大震災に伴う原発事故で、茨城の農家も甚大な影響を被りました。(途中略)
実は、僕は3月末に一度真剣に廃業を覚悟しました。忘れもしない、初夏に収穫予定のズッキーニの植え付けを準備していた3月28日のことです。その時のペースで顧客が離れていくと4月末にはゼロになる計算でした。
「こんなに好きな仕事なのに、もう農業はできないんだ。これまで、良い夢を見させてもらったなぁ」そう思うと涙があふれてきました。悲しいというよりも、失恋のような気持ちです。楽しかった日々が思い出に変わってしまう寂しさを感じました。どういう段取りで廃業して転職するか、までつらつら考えました。何十分か考えても悶々とした気持ちが収まらなかったので、とりあえず作業を続けることにしました。
集中できたおかげで、ズッキーニを植えるポリマルチがいつになく上手に張れました。すると驚くほどうれしく、気持ちが落ち着いたのです。その時に気付きました。
そうか、自分はアホなんだ、と。
そのズッキーニが採れる頃には、お客さんはいないかもしれないのです。でも楽しい。普段はお客さんに尽くすのが仕事だの、経営合理性だの言っているのに、根本のところでは、ただ農作業がしたいだけだったのです。自分で笑ってしまいました。
(途中略)
農業生産者というよりも芸人やミュージシャンに近い感覚かもしれません。まずは自分がやりたくてやっている。しかし、喜んでくれる相手がいないと成立しないので、自分と自分の野菜を指示してくれるお客さんを探している。

久松さんを怖い人だと思っていたので、こんな一面もあったんだ、と少し安心しました。笑 この部分は読んでいてじーんときましたし、日々の作業にこんな風に向き合えるとなんて素敵なんだろう。やはり僕も農業をやってみたいな、と感じる一節でした。

妻の感想

すぐ読める本ですし、参考になることが多いと思ったので、妻に読んでもらいました。妻からもらった感想を簡単に書いてみます。


人間として見習うべき部分が多くある。
言語化能力が高く、自分の足りないところ、足りてるところをきちんと表現できていてすごい。
他の人を自分の中に飼っているという感じがある。
フラットな価値観、オープンマインドで、垣根を作らない人間関係を築くのが上手だなと感じられる。自分の考えをフラットに伝え、相手の意見もフラットに聞く、その姿勢によって得られたものが多くあるように感じる。

有機農業をできそうと思わせてくれる。背中をおしてくれる。
だいたい農業をやりたいと言うと、農家の方も行政の方も「本当にすごい厳しいけど本当にやるの?」とおっしゃることが多い印象があり、悲しい気持ちになることが多かった。「厳しいけど一緒にやろう」と言ってくれてもよくない?と感じていたので、そのように思わせてくれてうれしかった。

ただ、作るだけじゃなくて売るのも重要ということも改めて認識した。
その点についてもしっかり学ばなきゃ。

余談

久松達夫さんの著作では、先に(しかも結構前に)「農家はもっと減っていい~農業の「常識」はウソだらけ~」という本を読んでいました。

これを読んで、合理主義、ひんやりとして怖いイメージ、コンポーネント思考とかエンジニアみたいなことを言うなぁ…というイメージが強くついていました。

今回の「キレイゴトぬきの農業論」を読んで、久松さんの農業に対する個人的な感情を知ることができて新鮮でした。そして、この本を読んで久松農園の野菜を取り寄せてみたくなりました。
(術中にはまってしまった…)

また、この本を読んでみようと思ったきっかけは、小農ラジオというpodcastでのユウちゃんさんと久松さんの対談を聞いたことでした。このpodcastでこの本のことが少し紹介されていました。このpodcasetも刺激的な話がたくさんあって、出会えてよかったなと感じています。

このpodcastの中で、お二方が「土壌医検定の教科書がすごいよくできている」とすごい勢いで熱弁されていました。それを聞いた私は、コロッと影響を受けて、その日のうちに土壌医3級、2級の本を購入していました。笑
2級はまだ今の自分には早そうだと感じたので、まずは3級の内容を深く理解し、自分の骨肉とできるように勉強してみています。

このところ、本ばかり読んでいて頭でっかちになってしまっている…と感じていますが、今は冬なので仕方ないと思うことにしています。雪が解けたら、近くの地域で農業をされている方のお手伝いをさせていただけることになっているので、それまでは勉強先行で、できることをしようという思いでまた頑張ります。


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