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途上国ベンチャーで働いてみた:検査室、武装警備に至る

「なにがあったんですか」

病院側のマネジャー層と日本人経営メンバーがかけつけてくれた時、殴り込みをかけてきた5-6人グループのリーダーはあわや医師Aを殴らんとするばかりの姿勢で、私の執務スペースには殺気立った不穏な空気が満ちていた。
殴りこんできた側は猛烈な勢いで自身の行動の正当性を口角泡飛ばして主張し始めたが、医師Aは最後まで冷静さを維持しながら静かに主張した。
「この人たちが急に押しかけてきて、暴力を振るわれました。見てください、シャツのボタンがちぎれてしまいました」

私は、彼らが押しかけてきた時点で先方マネジャー層に連絡を入れたが、その後は暴力はやめてくれなどとぼそぼそつぶやきながら、医師Aの隣であわあわと成り行きを見守っているしかなかった。ただ、事の次第をあとで証明しなければならない事態になることを想定し、動画と音声録音をしていたので、医師Aのシャツの生地が破れるに至る証拠はしっかり残っていた。

「どのような理由にせよ、同じ建物内とはいえ、異なる事業者の執務スペースに無断で押し入り、院内でそれなりの要職にある人間が検査室の主任である私に暴力をふるうというのはいったいどういう了見でしょうか」

別の部屋に移り、仲裁に入ってくれた病院側メンバーとの対話の場でも、医師Aは感情的にはならなかった。ただ、相手を許すことはできないという断固とした強い怒りを放っていた。私は、状況を止められずにいた間、ずっと身体が震えていたが、病院側に次第を説明しようと口を開いた瞬間、こんどは堰を切ったように涙が止まらなくなってしまった。そして、そんな行動をとるつもりはなかったのだが、気がついたら病院側に頭を下げて訴えていた。

「私は、医師Aに、無理を言ってこの新検査室の主任の役を引き受けていただきました。一緒に質の良い検査室をつくろうと、仲間になっていただきました。彼をこんな、ひどい目に遭わせるためにここに連れてきたわけではありません。こんな環境で、私は彼を守りきることができません。お願いします、お願いですから、彼をこんな目に遭わせないでください。。」

仲裁に入ってくれた病院側の医師は、とても優しい目をした高齢の小児外科医だった。彼は私を諭すように宥め、医師Aは私を抱きしめてくれた。
(後日、その場にいた病院側の日本人から、私という人間に対する認識が変わったと打ち明けられた。それまで、私のことを人間味を理解しない冷徹な合理主義者だと思っていたらしい。。。私は相手方を恫喝系のヤ◯ザ組織かと思っていたけれど。。。(じつは人情型なのだろうか…))

それから一週間後、私たちに殴り込みをかけてきたメンバーのリーダーは要職の任を解かれ、私たちの検査室の入口にはなんと武装警備が敷かれることになった(!!)。

医師Aは、自身の身だけでなく、家族の身の安全についても危惧していた。大袈裟に聞こえるかもしれないが、バングラでは政治的な影響力を有する者はたいてい警察にコネクションがあり、人を一人殺したところで殺人に問われないケースがごろごろしている。裁判所も機能しているとは言えず、民事裁判を起こして勝てる見込も低い(なので、医療事故などの疑いに対しては、患者家族側から病院に対する暴動や関係医師への個人的な復讐が行われやすい)。
そして、私たちが対峙している相手は政治的な影響力とコネクションを有する相手だった。
今回の件でそういった個人攻撃がなされる可能性を、本人もご家族も憂慮していた。

しかし、最終的に医師Aは私たちのもとに留まってくれた。
日本人や日本政府関係の資金も絡んでいるプロジェクトで、先方がそこまでの政治リスクを負ってこれ以上攻撃してくる可能性は低いだろうという判断もあったようだが、最後は困っている私を放っていけないという優しさからだったように思う。

そう、医師Aがいてくれなければ、新検査室の運営は始められなかった。
受託する検査と外注する検査の仕分け、試薬と設定単価の見直し、導入機材の選定・見直し、院内営業、システム改修、、病院は仮オープン日をむかえすべてが仮の状態で動き始めてはいたものの、なにもかもがまだまだこれからという時期だった。

(続)



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