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毒特な教育方法

約40年前、父21歳、母20歳の元に私は第一子として産まれました。
想像すると、なんと恐ろしい環境に私は産まれてしまったんだろぅと思います。


父と母はディスコで出会ったと聞きました。
(チャライーチャラ過ぎるよー勘弁してくれよー🤮)


〈良くない状況を改善しない親〉


父は仕事に就いても直ぐに辞め、毎晩酒を飲み暴れて母に暴力を振るい、私にも当たりチラシたり、何か理由を付けて殴って来る事もありました。よく母親と私と妹は夜外に逃げ出していました。


今思えば、プライドが高い父は職場の人と上手く付き合えず、仕事が長続きしないので、その事を母に愚痴を言いたかったのに、母の態度が気にないらず、更にエスカレートしていたんじゃないかなと思います。


母も毎回同じ流れになるのに、その状況を回避する方法を取らずに、DVの被害者と自分で思ってどうする事も出来ずにいました。

父の実家が歩いて5分位のところにあるので、助けを求めにいくなり、策はいくらでもあったと思います。

(ちなみに私は子供のころの策は、神社やお仏壇や、七夕の短冊にまで、「お父さんがお酒を飲みません様に」とお願いしていました。 )


母は日中父が居ない時間、私が言う事をきかないと、直ぐに手をあげてきました。
そして、やり過ぎたと後で思った母は「お母さんを殴っていいよ」と言ってきました。

母も苛立ちから小さな事で怒り、弱い子供を殴って、罵声を浴びせ、子供に当たって鬱憤をはらしているようでした。

でも、自分がやり過ぎたと思うと、反省した素ぶりを見せて私に自分を殴らせたんです。
そして、何も無かったように振る舞ってきました。


私は小学校3年生の頃には、なんて馬鹿な大人達なんだろぅ、私が大人になって親なったら絶対にこういう状況を作らないと思うと考えていました。


私が高校生になり、母はまだ不幸の真っ最中でした。私はやはり、母が不幸の中にいるのは、母自身の問題だと考える様になりました。


**そんな母を見て私は絶対に母の様な人生は歩まないと決めました。 **


そしてまず、自分自身が社会で自立する為の武器が必要だと考えて手に職をつける事を決めました。

毒親に育てられた私は、人が苦労しない所で良くつまずく事や理解出来ない事が多々あったり、元々厳しい職だとは知っていましたが、なかなかの激務でした。


しかし、意地でも母の様に自立出来ない人間にだけにはなりたくなかったので、必死にやり遂げました。

毒親の姿を見て、私はこうなるまいと強く思うなんて、なんて可笑しな教育方法でしょう。

幸せな人生は自分で作るもので、人から与えられるものでは無いし、自分次第で色々と道は拓けると実感しました。

私の人生の中にも、きちんと幸運が用意されている事に気づきました。




#教育 #家族 #コラム #自立 #毒親 #ネグレクト #幸せ #幸運


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