合理主義を突き詰めるとイギリスになる

 イギリスと言えば、産業革命の発祥地で有名ですよね。その国民性はとても合理主義的で、義理・人情・心地よさよりも「いかに最小のコストで最大の利益を得ることができるか」というのが価値判断基準になっているように感じます。

「イギリスの飯はくそまずい!」っていうのはよく聞きますが、最近はそんなにまずくないんです。なぜなら、

  ”冷凍食品がすごく発達してるから”

なに食べたいか家族に聞いて、材料を買って、調理して、食器洗って、、、ってするより、食べたいもの勝手に解凍して食べれば良くない??っていうのが最近のイギリスの主流です。これはイギリスだけではなくて、フランスとかもそうらしい。

 「イギリス人は傘をささない」っていうのもよく聞きます。現地の人はほんとにさしませんし、なんなら傘もほとんど売ってません(街でさしてるのはほぼ外国人です笑)。なぜなら、

”降ったり止んだりな天気に合わせていちいち傘をさすより、一日中レインコート着ててフードかぶるほうが早いから”

 それからお風呂や食器洗いも独特で、水を張った桶に洗剤を溶いてもこもこにして、そのなかでスポンジで擦って終わりです。水で泡を流したりもしません。えっ、きたな!!!って未だに許せないけど、別に乾いちゃえばなんにも変わらないんですよね、、、。

 この辺は諸外国とも共通しますが、バスは停留所に人がいなければ素通りするし、店員さんはもちろん座って接客します。店は週一でしか夜まで営業しないし、語学学校の質問窓口も明日でいいことは明日にしてなるべく電話しないでねと言われます。もし30%の人がそれで嫌な思いをしたり、隙を突いて悪いことをしたりしても別にいいんです。その30%をカバーするための労力は費やしません。

 例えば、イギリスの田舎町には改札が常時あきっぱなしで駅員もいない駅が多くあります。要するに切符を買って乗るかは乗客の良心に委ねられているのですが、抜き打ちで車掌が切符の確認に回ってきます。もし無賃乗車だった場合はその場で罰金として二倍くらいの運賃を取られます。

さて計算してみましょう。時々車掌が回るのと、時々改札が作動するので、70%の人は普通に切符を購入するとします。残り30%の人が日常的に無賃乗車をしても、2本に1本の割合で車掌が点検し、二倍の運賃を取ればそれでトントン。結果的に運賃はほぼ100%回収できるのですから、別に毎日駅員をすべての駅に待機させる必要なんてありません。

 対数関数のグラフの形(思い出せない人は、かまぼこの断面の左半分で大丈夫です)を思い浮かべてください。努力に対する成果はだいたいあの比率で現れるといいます。70%完璧にするまでの労力と、それを100%にあげるのに必要な労力はだいたい同じくらいです。日本人はその100%にするのにすごく労力をかけますよね。でも、70%を100%にするのに、0%から70%にした方法と同じ方法を取るからそうなるのであって、発想を転換してしまえばもっと楽に生きられるかもしれません。改札と車掌を2つ設けるか、時には諦めてしまえばいいのです。

 結局の所、わたしは毎日冷食は耐えられないし、雨が降れば傘をさしたいし、食器はキュッキュッと音がするまで水で流すし、Suicaで改札を通るほうが好きです。でも、そういう考え方もあってもいいのかもしれません。数パーセントを合理的に許してしまう究極の合理主義イギリス、あまりにも日本と対極なその考え方、ぜひ「そういう考え方もあるのか」とそれだけの話です。

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