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「正しさなんかない」というのは正しい

世の中には沢山の“正しさ“がある。そして、それがさも絶対的な真実のように扱われている。子供は学校に行くべきだとか。怠けることは悪だとか。みんな“正しく“あることを強制され、他人に“正しく“あることを強制する。“正しくない“者は非難され、グループから排除される。時には本人ですら、「みんなと違う私はダメだ」と自分を非難する。

だが、その“正しさ“は本当に絶対的なのか?皆がそれに従わねばならないものなのか?いや違う。絶対的な“正しさ“なんてない。あるのは都合だけ。全てただの思い込みだ。あなたが“正しい“と思ってるから正しいに過ぎない。

例えば、あなたは今、何もできない自分を嘆いているかもしれない。だけど本来、何かができることと、人間的な価値は無関係のはずだ。にもかかわらず、何もできない自分は価値がないと決めつけているのは、あなた自身なのだ。「能力がある」=「価値がある」という等式は、人間を機械化した見方による思い込みに過ぎない。

だからもし、あなたがある“正しさ“に苦しんでいるのなら、そんなのさっさと捨てればいい。「正しくあれ」と非難する人もいるだろう。それでも、ちゃんと相手の言い分を聞いた上で、やっぱり違うと思うのなら、その非難は無視していい。それがたとえ親や友人であろうと。非難する人にとって、それは“正しくない“のかもしれない。だけど、あなたにとっては、間違いなく“正しい“のだ。

それに、「正しくない自分はダメだ」と自分自身を責める必要もない。あなたがある“正しさ“から外れていたとして、それは少しも、あなたの価値を貶めてはいない。あなたがその“正しさ“には合わなかった、ただそれだけの話。それならば、自分に合う“正しさ“を見つければいいじゃないか。

全ては思い込みなのだから、いつからだって変えられる。コロナによって、どれほど多くの人が、これまでの“正しさ“を一変させただろうか?それもあっという間に。あなたもそれを目撃したばかりではないだろうか。“正しさ“なんてそんなもんだ。

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