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適応障害で休職中の私が、不登校の子を肯定する

適応障害で休職6ヶ月目の50代男です。

会社を休職中につき、休みの過ごし方や、気付いたことなどを日々ヘニャっと発信しています。

今回は、休職中の自分と、不登校の関連についての考察です。

自分が適応障害と診断され、日常生活は特に問題ないのに、会社には行けない状態となって、子供の不登校を少し理解したような気がしてきた、というような話です。

お断りしておきますが、学術的な内容ではありません。
また、医学的な見解でもなければ、教育分野の話題でもありません。
あくまでも個人的な考えです。

出社拒否と登校拒否、根本は同じような

近年、「不登校」の増加が社会問題の1つとなっていますよね。
2022年度の調査では、10年連続の増加で、過去最多だそうです。
10年前と比較して、小学校は約5倍、中学校は約2倍になっています。
恐ろしく増加していますね。

私の記憶では、以前は「登校拒否」と言われていたと思います。
定義が違うのか、単に言葉が変わっただけなのか、曖昧だったので少し調べてみました。

「不登校」については、文部科学省が定義していました。
以下の3点に当てはまったら「不登校」と認識されるようです。

  • 年間欠席が30日以上経過している(連続でなくても)

  • 断続的、継続的な欠席

  • その理由が怪我や入院、経済的理由ではない

そして、実は「不登校」と「登校拒否」は、ほぼ同じ意味と思っていいみたいです。文部科学省が「不登校」を定義したことで、それ以来はこちらの言葉がよく使われるようになり、登校拒否という言葉を使わなくなっただけだそうです。
学校に行きたいけど、何らかの理由で行けない、という状況ですね。

おっと、本題は不登校について語りたいのではないのでした。

今の私に当てはめて、不登校ならぬ「不出社」・・・こんな言葉は存在しないみたいですが、「出社拒否」という言葉は昔からありますね。
これは、今で言う適応障害の状態と言えるのではないかと思います。

会社に行かなければならないのに「行けない」「行くとしんどい」という状況は、昔から現実に存在していたはずです。

家では大丈夫なのに、会社に行こうとすると体が動かないとか、会社に近づくと気分が悪くなるとか・・。
さらに症状が悪くなると、自宅でも起きられないとか、めまいがしたり、腹痛になったり、というように体調に異変をきたす場合もあると思います。

これって、学校に行けない子供たち(不登校)と、極めて状況が似ているのでは、と気付きました。
なんだ、そうだったのか。

学校に行けないor行きたくない子供たちは、単に学校(学校のシステム、人間関係、存在意義など)に適応できないだけであって、学校という場所から離れれば、普通に日常生活が送れる人も多いのでは、と推測します。

中には、日常生活も難しくなっているケースもあるかもしれませんが、多くの場合は、学校へ行かなければ普通に生活を送れるのではないでしょうか。

さらに言えば、ストレス要因から離れて、自分に合った居場所を見つけることができれば、普通に学校に行っている子以上に、キラキラと輝く生き方ができる可能性もあります。

「学校へ行けるように導く」という違和感

学校へ行けない子=問題を抱えた子、であり「みんなと同じように学校に行けるようになること」が「解決」であるような論調はありませんか?
そういう文脈で語られた記事は見たことあります。

今の私は、それってどうなの?と疑問を感じます。

心療内科の分野では、「不適応」という言葉も使われるようですが、ある場所や、置かれた状況、環境などがストレス因子となって、うまく順応できないだけの状態ですよね。

そこに近づかなければ大丈夫なのであれば、無理矢理その環境に適応すべく努力する必要はなくて、離れればいいだけなのだと思います。
その人間自身が、「問題がある人」ではありませんよね。

私自身、現在は適応障害で休職している身としては、今の状況が救いになっています。
休職という制度がなく、「義務業務」だからみんなと同じように必ず会社へ行かなければならない、というシステムだと、たぶん壊れます。

というわけで、今どき、学校に行きたくない子は行かなくても全然OKと思うし、学校を離れることで元気を保てるならば、そのほうが正しい選択だと思うのです。

イヤな場所からは離れていい

そういえば、私が休職するずいぶん前から、自分の子供たちには、学校が楽しくないなら行かなくてもいいよ、という話をしていました。

親「学校に行きたくなければ、行かなくてもいいんだぞ-」
子「中学校までは義務教育なんだよ」
親「なにっ、マジかw!?(知ってた)」

みたいな会話がなされたことはあります。
今のところ、特に嫌がっていないし、そこそこ楽しく通っているようなので、そのままにしています。

それでも、聞くところによると、1学年の人数が40~50人程度の田舎の小さな学校なのに、不登校の子は複数いるようです。

不登校だったからといって、不幸な人生になるかというと、決してそんなことはないですよね。
現在、活躍している有名人で、かつて不登校だった人もたくさんいます。
※「不登校 有名人」で検索すると出てきます。

むしろ、無理に合わない環境にいないといけないことこそ、不幸です。

「学校へ行けるようになること=正常」とは言えない、というのが私の考えであり、同じく「会社に行けるようになること=正常」でもない、という考えにもつながります。

まとめ

不登校児=問題を抱えた子、でもなければ、休職社員=問題を抱えた社会人、でもないってことです。
身を置く場所さえマッチすれば、「幸せな生き方」はできるはず。

子供だろうが大人だろうが、ストレス要因があるなら、そこから離れて、自分の居心地のいい環境に身を置くことが何よりも大切ですよね。

今の私はサラリーマンには向いていない、と思っているのですが、「いやいや30年も会社員を続けててそれはないでしょ」とツッコまれそうです。
でも、「その当時は向いていたが、今は違う」ということは起こりえると思います。

不登校も似たようなもので、明らかないじめや暴力などのきっかけがなくても、些細な違和感や心境の変化などで「合わない」と感じて行きたくなくなる、ってことはあるかもしれません。
それを、「おかしくなった」と判断して「正常に戻そう」とする行為は、本当に正しいのかは慎重になる必要があると思います。

私は不登校の専門家でもなければ、十分に文献等で勉強したわけではないので、的外れなことを言っているかもしれません。
不登校問題について議論したいわけでもありません。

合わない環境に置かれ、「不適応」を感じたとき、無理に合わせようとすると摩擦が生じて苦痛が増す場合があります。
そこから離れて、ストレスが少ない居場所を見つけるほうが大事、という意味で、大人も子供も共通点があるのかな、という気付きについて書きました。

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