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18年前の夢が最近叶った話

夢が叶った。その写真を見たとき、そう思った。

私はその夢に無自覚だった。

というか、そんな夢を持っていたことも忘れていた。写真を見てはじめて「これ、昔の私が夢見てたやつだ!」と気づいた。

その夢とは「絵に描いたような青春」を過ごすことだ。

◇◇◇

先月、夫と友人たちと10人で沖縄旅行に行った。

美ら海水族館や斎場御岳などのメジャーな観光地にも行ったし、船で久高島へも行った。

どの景色も色鮮やかで、どの瞬間も楽しかった。出かけていても楽しいし、宿のリビングでみんなでオリンピックを見ていても楽しい。ふと「今すごい楽しい!」と気づいて、泣きそうになることもあった。

家に帰ってから、LINEグループのアルバムに載っている沖縄旅行の写真を見ていたとき、夫が撮影したある写真が目に留まった。

それは、北谷のサンセットビーチで夕日を眺める私たちの後姿を撮影したものだった。

私と友人たちが、防波堤のブロックに横一列に並んで立っている。私たちの奥には、もうすぐ水平線にくっつきそうな太陽。空の下のほうはピンクとオレンジの中間色で、上のほうは暗い水色だ。逆光だから私たちの姿はシルエットだけど、どれが誰なのか、ちゃんとわかる。全員で、肩を並べて夕日を見ている。

これこそ「絵に描いたような青春」じゃないか!

何度もスマホの中の写真を眺めた。胸が締めつけられて、キッチンの床にへたり込みそうになる。

大好きな仲間、心を打つ景色、楽しい思い出。キラキラした、リア充の世界。

これは、昔の私が「ケッ」と吐き捨てていたもの。

昔の私が寝込むほど憧れたもの。

◇◇◇

高校時代、楽しそうな学生生活を送る友達と会うと、羨ましさで胸がつぶれそうになった。

というのも、私は全日制高校に通っていなかった。私は中学で不登校になり、高校は通信制に進学したのだ。

劇団に入っていたので稽古とバイトで忙しく、私なりに充実した生活を送っていた。

なのに、全日制の高校に進学した友人たちの話を聞くたび、泣きたくなった。

友人たちは、グループで花火大会に行ったり、カラオケに行ったりしている。学校行事の打ち上げのたびに、告白したりされたり、友達とけんかしたり男の子といちゃいちゃしたりお酒を飲んだりしている。当時はプリクラ交換が流行っていたけど、友達からもらうプリクラはどれもめちゃくちゃ楽しそうだった。もちろん、エッグポーズだ(若い人は検索してください)。

正直、羨ましかった。羨ましすぎて、家に帰ってから寝込むこともあった。寝込むたびに、こじらせていった。

私もこんな青春を送りたいのに!

そう思っていることを、絶対に認めたくなかった。

必死に「は?別に羨ましくないしw」と思おうとしたし、そのうち「そういうステレオタイプな青春しか過ごせない人ってかわいそうだよねw」とリア充を見下すことで心の平穏を保つようになった。それが高じて「私はその辺の高校生とは違う」と妙な選民意識を抱くようになり、個性的な自分を演出しているうちに躁状態になってたくさんの人に迷惑をかけてしまった。

◇◇◇

私は理想の青春を送れないまま大人になった。

大人になると、躁うつ病の治療や結婚、仕事、自己実現などが頭の中を占めるようになり、「絵に描いたような青春」を夢見たことはすっかり忘れていた。

そこに、冒頭の沖縄の写真だ。

写真を見たとき、「夢が叶った」と思った。

けれど同時に、「こんなものか」とも思った。もっと、誰かれかまわず写真を見せまくって自慢しまくりたい気持ちになるかと思ったけど、ならなかった。

単純に、年をとって青春コンプレックスへの熱量が低下したんだと思う。

「私は私。人と比べなくなりました」とか「嫉妬や劣等感を乗り越えました」とか、そんなたいそうなことではない。

単純に、10代の頃より感受性が鈍くなって、コンプレックスや羨望も、昔ほど「アッツアツ」ではなくなったのだ。消えたのではなく、ぬるくなったのだ。


16歳の私が撮りたかった写真に、34歳の私が写ってしまった。

さすがにエッグポーズではないけれど、16歳の私も納得してくれたと思う。

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