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バーのマスターに語られる恋

林伸次さんの「恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。」を読む。

プロローグ、21話のショートストーリー、エピローグからなる連作短編集だ。

物語の語り手である「私」はひとりでバーを営むマスター。バーにやってくるさまざまなお客様の恋の話に耳を傾け、ときにはささやかに祝福し、ときにはささやかに励ます。

21人の、21通りの恋が描かれている。最終話だけ、お客様ではなくマスター自身の昔の恋の話だ。

この最終話だけが少し異質な作品で、他の20話はすべて同じパターンが踏襲されている。



ある夜、「私」がレコードを流していると、お店に一人のお客様がやってくる(2人連れで来店する話もひとつだけある)。お客様は男性のこともあれば女性のこともあるし、何度か来店している人もいれば、はじめての人もいる。

お客様がお酒を注文し、「私」はお酒を出す。そのお酒についてひととおりの会話があり、そこからお客様が恋を語り始める。

それは、とっくに終わった恋だったり、現在進行形の恋だったりする。ときには自分の恋ではなく、街中で見かけた他人の恋の始まりだったりも(第4話)。

また、恋そのものではなく、そこから派生した思いがメインで語られることもある。家族を持つことの喜びだったり(第2話)、亡き母への思いだったり(第7話)、自分の人生への迷いだったり(第9話)、色々な物語が語られる。

「私」は相槌を打ちながらそれに耳を傾ける。

……といったパターンで20話まで進む。

1話ごとに月が変わり、冒頭で今が何月か示され、季節の描写がある。それも、全ての話に共通している。

ちなみに作中では「第○話」という表記はなく、1話ごとのタイトルもない。話と話の間はワイングラスのイラストで区切られ、淡々と続いていく。

この作品は、1話~20話まで共通した「流れ」を持つことで、様式美が生まれていると思う。

個人的な好みだけど、私はこの一話完結の物語に共通の流れを持たせる手法が好きだ(古畑任三郎とか)。「そろそろ客が来るな」とか「そろそろ物語が終わるな」とか、タイミングがちゃんとわかるので、読み手として呼吸をつかみやすい。

それでいて、毎回ちゃんと味わいが違うので、飽きることもない。

◇◇◇

この「毎回ちゃんと味わいが違う」のは、物語の順番もあるかもしれない。

たとえば、切ない話が続いた後に、自分のことを「ブス」だと言う桃子さんが登場し、同僚に告白した話を始める。読んでいる途中「桃子さん、ふられちゃうのかな……」と思いきや、なんとハッピーエンド。

読者はいい意味で拍子抜けする。マスターも拍子抜けしているらしく、「なんだ。告白、成功したんじゃないですか」などと言っている。

(後述するが、この作品ではマスターの心理描写が省かれている。そのため「私は拍子抜けした」などと書かれることはない。読者はお客様同様に、マスターのせりふや行動から気持ちを読み取る。)

話を戻すが、この作品はこういったいい意味での「拍子抜け」が随所に潜んでいる。

人の恋の話を聞くってそういうことだよなぁ、と思う。

人の恋の話はときに想定をはずれてくる。私も、友人の話を聞いていて「そこで告白しなかったんかーい!」「冷めたんかーい!」と思うことがよくある。

◇◇◇

この小説は「私」の一人称だ。

「私」が見聞きしたこと、思ったこと、知っていることしか書けないので、他の登場人物の感情はせりふでしか語られない。

だけど、「私」の感情もまた、せりふでしか語られない。

お客様の恋の話を聞いて「私」がどう思ったのかは、せりふとしてお客様に伝えられる。逆に言うと、せりふでしか伝えられない。内心は別のことを思ったとしても、それはお客様にも読者にもわからないのだ。

また、「私」はどのお客様に対しても決して自分の意見を言わない。

そこまで寡黙ではなく、言葉数は意外と多い。だけど、「私」が語るのは音楽とお酒のことだけ。お客様の恋については、質問と相槌に終始する。

自分のことをブスだと言う桃子さんに対してすら、

「桃子さん、ブスでしょうか?」

と言う。決して「桃子さんはブスじゃないと思いますよ」とは言わない。スタンスが徹底している。

この「マスターが自分の意見を言わない」という描き方により、読者はフィルターのないクリアな視界でひとつひとつの物語に向き合えるのだと思う。

マスターが「私はこう思います」と言えば、その感想に引きずられる読者もいるだろう。マスターが余計なことを言わないので、読者は自由に感想を抱ける。

ある人は自分の恋を重ね、ある人は眉をしかめ、ある人は応援する。昔を懐かしむ人もいるだろう。

マスターとお客様の距離感が適切なように、作品と読者の距離感もまた適切なのだ。

また、「私」に関するパーソナルな情報は最終話まで一切語られない。

だからこそ、最終話で語られる「私」の恋に読者は引き込まれるのだろう。

◇◇◇

マスターの心理描写が少ないからといって、マスターが魅力的に描かれていないわけではない。

むしろ心理描写が少ないからこそ、ときたまチラリと見せる感情の人間らしさが際立つ。

マスターは落ち着きと余裕のある大人だ。

たとえば、既婚らしいお客様から

「マスター、私、恋をしてるんです」

と言われても、即座に

「大変失礼ですが、左手の薬指にされているのは結婚指輪ではないのでしょうか」

と返すくらい、落ち着いている。

そんなマスターも、目の前でお客様が告白するとこう思う。

私は冷静にレコードのレーベルの曲名をチェックするフリをしながら、心の中では「突然そんな告白をしてしまって大丈夫なのだろうか」と、あせってしまった。

全編通して、もっともマスターが感情を表した場面だと思う。

必死に無表情を装って、聞こえていないフリでレコードをいじっている姿が浮かぶ。普段落ち着いている人が焦る姿というのは、とてもチャーミングだ。「焦ってんじゃんw」と思う。

もう一箇所、マスターの人間らしさがにじむ好きなシーンがある。

それは、25歳の男性に恋をした40歳の人妻の話を聞く場面。そのお客様(松山さん)は「主人とは弁護士をはさんで離婚を協議中です」と言う。

そう言うと、松山さんはバルバンクールを流し込み、ガトーショコラを少し食べた。

私が何か言おうとすると松山さんはさえぎった。

結局、マスターが「何を言おうとしたのか」は書かれない。

だけど、文脈からだいたいの想像はつく。普段はお客様の恋に意見しないマスターが、ついお客様の心配をしてしまいそうになる。

その気持ちがうっすらにじむ程度に描かれていて、さりげなさがとても良い。

◇◇◇

この小説の世界観は「現実世界のリアリティ」とは乖離したところにある。

現実にある地名や固有名詞、SNSが頻出するわりに、現実にはありえないようなオシャレな会話が交わされる。

私は、「作品世界は必ずしも現実世界を模倣するべき」とは思わない。

ヒリヒリするほどリアルに現実を描いた作品も好きだが、こういった「現実世界と似て非なる世界観」で書かれた作品も好きだ。


個人的なことになるけど、私は作者の林さんがマスターをしているbar bossaに飲みに行ったことがある。

当たり前だけど、この作品世界のようなオシャレな会話はできなかった。

「マスター、こんな注文ちょっと迷惑かもしれませんが、幸せな恋人たちにぴったりのワインって何かあるでしょうか?」

とか、言えなかった。たぶんこれからも一生言えない。言いたい。すごく。

だけど、きっと私がお客さんとしてbar bossaを訪れて恋の話をしたら。

口調も含めて私の話自体はまったく素敵じゃなくても、きっと、素敵な作品に仕立て上げてくれるのだろう。

◇◇◇

ところで、好きな作品に出会うとオマージュを書きたくなる。

私の場合は「山小屋バージョン」を書きたくなった。

そこで、この本の中からひとつの話を書き写し、バーを山小屋に、ジャズをJ-POPに、お酒をコーヒーに、マスターを私に、お客様を後輩に……と置き換えてみた。作中で語られる恋のエピソードも変えた。

すると、文体や構成、作品の雰囲気は林さんのそれなので、自分が書いたとは思えないくらい優しい物語になった。

いつかお披露目できたら、と思う。




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