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可愛いだけの名前

吉玉サキはペンネームだ。知り合いにバレたくなかったのでペンネームを使ったが、私は自分の本名も気に入っている。

気に入っている理由は、名前で嫌な思いをしたことが一度もないから。私の名前には欠点がない。よくある名前なので「読まれない」ということがないし、古くさくもなければ恥ずかしいということもない。

小さい頃、名前の由来を親に聞いたことがある。

両親は、「響きも漢字もなんか可愛かったから」と言った。特にこれといった由来はないようだ。

「えー、願いとか込められてないのかよ」と拍子抜けする気持ちもあったし、同時に「プレッシャーがなくていいな」と思った。

「こういう人間になってほしい」という期待をされないのは気楽だ。いや、両親なりに私への期待はあるのかもしれないけれど、少なくとも、名乗るたびにそれを感じることはない。

ただ可愛いだけの名前を与えられたことを、嬉しく思う。

父は田舎の貧しい家庭出身だが、父の父(私の祖父)はなかなか読書家で学者肌の人だったらしい。

そのため、父の名は大変めずらしくて難しい。熟語で説明できないし、書いて見せても「そんな漢字あるの!?」と言われる。その漢字を知っている人に、いまだ出会ったことがない。

祖父は自分の名づけセンスに自信を持っていたようで、はじめての女の孫(私のいとこ)が生まれたとき、ものすごく凝った名前を贈った。令和の今ならふつうにある名前だけど、40年以上前の田舎町ではお洒落すぎる名で、いとこは大変だったろうなと思う。

私が生まれたとき、祖父は「律」という名を提案したらしいが、両親は却下した。

規律、法律、律令など、「律」という字はルールを表す言葉が多い。私の両親はルールを重んじるタイプだ。常識やモラルというよりは、自分の内なる美学によるルールを。

だから「律」という名を好みそうなのに、それではなく、もっと意味のない可愛い名前をつけた。

そのことを、ちょっと意外に感じる。

結婚したとき、10代の頃から私を知る男友達に夫を紹介した。

友達は夫に、「こいつ、こう見えてやたら上品な家庭の子じゃないですか。家族づきあい面倒じゃないですか?」と言った。

育った家庭を上品と評されるのは嬉しいけれど、面倒そうと言われるのは心外だ。でも、そう思われていたことが意外ではなかった。

私の両親は勤勉で謙虚で、ある種の潔癖さを持っていて、なんていうかすごく「きちんとしている」のだ。そのせいで、私は子供の頃「お金持ちの子」と誤解されることが多かった(父は中小企業のサラリーマンで、我が家はとくべつ裕福というわけではないのに)。

そういう我が家の生真面目さが一部の人間から敬遠されることは、経験上すでに知っていた。

だけど。

うちの両親、そこまで堅苦しくもないよ。だって、娘に「響きも漢字もなんか可愛かったから」というだけの理由で名前をつけるんだもん。名前に、壮大な思いとか込めてないもん。

彼らが私の名に込めたのは、「可愛さ」なんだよ。正しさとか品格とか、人間としての美しさではなく。

そのことを、両親がそこまでクソ真面目じゃないことの根拠にするのは、無理があるだろうか。私の中では、めちゃくちゃ筋が通っているんだけど。

私は、可愛いだけのこの名前が気に入っている。






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