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おの湯の仙太郎

『おの湯』はまもなく廃業となる。
 戦後まもなく仙台市原町に先代が開業してから七十年。オーナーの小野寺諭吉は、奥さんの父親である先代から引き継いだその暖簾をひたすら守り続けてきた。今や市内で営業している五軒の銭湯のうちの貴重な一軒だ。
 しかし、さすがに今年八十歳を迎え、また小野寺夫婦は子宝に恵まれず後継者がいないこともあって、店をたたむことにした。
『おの湯』は伝統的な銭湯特有の神社仏閣を模した宮造りだ。
屋根は、上部が丸い山形の唐(から)破風(はふ)で、浴室正面に富士山のペンキ絵があって歴史を感じさせる。
 脱衣所は天井が高く格子状に区切られ、その四隅に曲線があしらわれた折り上げ格(ごう)天井(てんじょう)となっており、宮大工の手仕事で見事だ。
 脱衣所の壁には大きな柱時計がかかり建築を手がけた工務店の名前が入っている。開店記念に贈られたものだ。
 塗料がはげて錆の目立つ体重計に乗り、瓶の牛乳を飲みながら、脱衣所でくつろぐ常連客。そして煙突からもくもくと立ち上る煙。それらは懐かしい昭和の趣を残す。ぜいたくな空間にゆったりした時間が流れる。
 夜十一時の閉店後に湯をいったん全部落としてから、井戸水をくみ上げて薪で次の日の湯を沸かし始める。湯沸かしと並行して掃除を始めるので、諭吉が寝るのは夜明けの四時だ。定休日は毎週水曜日のみ。休みの少ないきつい仕事だ。
 諭吉は、こんな生活を数十年続けてきた。二〇一一年三月の東日本大震災のときには三日間休んだが、店を閉めたのはそのときと、一年ほど前に奥さんが脳梗塞で帰らぬ人となった、そのときくらいだ。
 この一年、諭吉は埋めることのできない寂しさに耐えながら、なんとかひとりで『おの湯』を切り盛りしてきた。しかし、もともと心臓に持病があり、身体がいうことをきかなくなってきたこの頃は、引退、廃業を考え始めていた。
 ある夏の日。午後十一時を回り、諭吉が表の暖簾を仕舞いかけていると、
「あのう」
 と声をかけてきた青年がいた。青年は、タオルと自前の洗面器をかかえていた。よれよれのジャージ姿だ。
「ああ、毎晩来てくれてありがとな」
「ここを今年いっぱいで閉めると聞いたんですけど」
「ああ、そうだが。誰に聞いた? 誰にも言ってないんだけどな」
「みんな知ってますよ。ぼくはそこの中華屋で聞きました」
「来々軒の寛治か。こないだ飲みに行ったときに、ここだけの話だぞ、って念押ししたのにな」
「あの……ぼくは鈴木仙太郎と言います。今は東北大学の四年で、就職活動中で、大学で銭湯研究会をやってまして、その……」
「継いでくれるのか?」
「できれば」
「ちょっと奥へ来いよ」
「はい」
『おの湯』の男湯は右側にあり、女湯が左側にある。特に決まりはないが、なぜかそうなっている。男湯の入り口の右横に引き戸があり、そこを抜けると廊下が続き、突き当りに小野寺夫婦の住まいがあった。二階建ての日本家屋で、一階の廊下へつながっていた。
 仏間へ通された。小ぶりな仏壇の上に先代夫婦と奥さんの写真が飾ってあった。先代夫婦は肖像画のような白黒写真だった。奥さんのカラー写真は笑顔でこちらを見下ろしていた。
 仙太郎には奥さんの記憶がある。
「ご飯ちゃんと食べてる?」
 番台からよく声をかけられた。気さくで優しい人だった。
「まあ、座れ」
 仙太郎は座布団の上に座った。だいぶ座りつくされて、くたびれたせんべいのような座布団だった。
 諭吉がお茶を淹れてくれた。
「まあ、安いお茶だが飲んでくれ」
 出されたお茶はぬるくて苦かった。
「仙太郎っていうのか?」
「ええ、仙台の仙、です。サークルの芸名みたいなもので、本名は」
「仙太郎でいいよ」
 仙太郎は、諭吉に気に入られたらしく、『おの湯』を継ぐために修行を始めることになった。歩いて五分ほどのところに住んでいるので、土日は朝の仕込みから参加した。
 諭吉は、ガスや重油で湯を沸かすことはせず、近くの解体業者から廃材を安く分けてもらって薪にして燃やした。廃材は大きさがまちまちなので、銭湯の裏庭に積み上げてチェーンソーで適度な大きさにカットする。やってみてかなりハードな作業だったので仙太郎はため息をもらした。湯を沸かすのにガスの何倍も時間がかかるらしいが、それでも薪で沸かした湯につかった後は、湯冷めしにくくお湯がやわらかい、というのが、常連のじいさん、ばあさんたちの間での評判だ。
 仙太郎は、この四年近くの間に、全国の銭湯におそらく三百軒近くつかってきたが、お湯を沸かす体験はしたことがなかった。お客さんの経験はたっぷりだが、いわゆる裏方仕事は初めてだ。
 夜十一時に銭湯を閉めて、それから掃除の時間になる。
 掃除と並行して、湯をいったん全部落としてから、薪で次の日の湯を沸かし始める。湯沸かしのボイラー室をときどきのぞいて薪を足しては、浴場に戻って掃除を行う。デッキブラシで、タイルの目地を痛めないように気をつけながら磨き、壁のタイルは大きめのスポンジでこする。掃除の後は冷たい井戸水をかけておく。これがカビの抑制となる。次はゴム手袋をはめて排水口の毛やごみを拾う。石鹸とからんでぬるぬるしている。
「うっ、気持ち悪い」
 仙太郎は思わず声が出てしまった。
 ケロリンの黄色のオケやイスは、今はやりの銀は入っていないのでカビが出やすく、一個一個よく洗う。石鹸カスがつくとカビやすいのでスポンジで丁寧におとす。手がかかるが大切な作業だ。続いて、脱衣所の床を業務用のモップで拭きまくり、ロッカーの中もタオルで水拭きしながら忘れ物のチェックをする。
 男湯と女湯の掃除がひと通り終わると、夜中の二時近くになる。
 ボイラーの湯が沸く夜明けを待つ諭吉を横目に、仙太郎はしばらく休憩。コンビニで買っておいたおにぎりをほおばり、あとは諭吉に任せてアパートに帰って寝る。
 平日の昼の時間は一コマか二コマ大学の授業に出て、午後三時半に出勤。四時から番台に立つ。といっても昔と違って番台は脱衣所の中にはなく、八年前に改装して玄関入ってすぐのところにあるフロントタイプなので、女性客がいやがることもない。料金を受け取ったりするだけだ。
 昔と比べると少し味気ないが、飲み物は中の自動販売機で売っている。
 番台の左右に小さなカーテンがかかっていて、脱衣所から両替を頼まれたり、カミソリや石鹸がほしいお客には、カーテン越しに販売する。
「あんた、跡継ぎだって。がんばってね」
「ええ、はい」
「嫁さんも世話しよかね。うちの孫娘はどうかね」
 常連のおばさんに冷やかされる。美容院のゆう子さんだ。七十五歳だそうだが、五つくらい若く見える。若い頃は美人だった面影がある。カラオケでは、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」を歌うらしい。
 番台では、夜八時台は客が少ない。雨の日はとくに暇だ。その間は、仙太郎は経営の本を読んだりして勉強する。たまにスマホでゲームをやることもあるが。
 八月に修行を始めて、ちょうど半年がたった。仙太郎は銭湯の作業にだいぶ慣れてきた。
 最後の春休みも終わり、仙太郎は無事に大学を卒業した。経済学部だが、おの湯に就職(?)するまでの大学生活のほとんどを全国の銭湯を訪ね歩くことに使った。夏休みと春休みはおおかた旅をしていた。銭湯研究会に所属していたが、後輩の部員が二名だけだったので、研究会はほぼ消滅の可能性が大である。
 授業料とアパートの家賃は両親が払ってくれていた。したがって、学生時代のバイト代はほぼ全国の銭湯めぐりの旅費に消えた。
 愛知の実家には年末に帰省して『おの湯』を継ぐ決心を伝えた。仙太郎は次男だから、実家を継がなくてよいので気楽だったが、二つ上の兄が、地元の国立大学を出たものの、就職せずに二年ほど部屋にこもりっきりでいまだにプー太郎をやっているので、両親は仙太郎に帰ってきてほしかったみたいだ。母親は納得してくれたが、父親とは正月から会話がない。
 三月の卒業式が終わったその日だった。
 諭吉が倒れた。心臓病が悪化したのだ。諭吉が定期的に病院へ通っていることは、仙太郎は寛治から聞いて知っていた。
 深夜、仙太郎が浴槽の掃除を終えて帰宅しようとしたとき、うめき声が聞こえた。
 諭吉が番台ちかくでかがみこんで苦しそうにしていた。仙太郎が救急車を呼んだ。連絡がもう少し遅れたら危ないところだったそうだ。
 諭吉は銀杏町の病院に入院した。ふだんからかかりつけの病院だった。奥さんもここで亡くなった。
 翌日、仙太郎が見舞いに行くと、
「悪いな、こんなことになっちゃって」
「おの湯は俺が何とかやっていきますから、安心してゆっくり養生してください」
 諭吉は横浜出身だが、兄弟との音信はとだえていて、とくに身寄りもなく、見舞いにはもっぱら近所の八百屋の登美子さんや来々軒の寛治さんやら仲間うちが訪れた。
 仙太郎は連日ひとりで『おの湯』を切り盛りした。『おの湯』に就職したので当然と言えば当然だったが、思いのほか独り立ちが早くやってきた。
 夜中の掃除からボイラーでの湯沸かし、近所の解体屋へ廃材を取りにリヤカーで二往復、午後四時に暖簾を出して、さあ、本日の開店。四時には表で待っている常連客が三、四名はいる。
「一分遅れたよ」と常連客の幸之助じいさん。近所で車の修理工場を営んでいる。今年、七十五歳を迎えて引退したので、息子が後をやっている。家に風呂はあるが銭湯につかるのを楽しみにしている。
「あんたもひとりで大変ね」と八百屋の登美子さん。登美子さんも息子夫婦に店を任せているので、銭湯だけが日々の楽しみと言っている。もちろん家に風呂はある。あとは喫茶店でやっている昼のカラオケが楽しみらしい。麻雀もやるのでけっこう楽しみはあるほうだ。
 半月ほどして、人がいないと不用心だというので、仙太郎は諭吉に頼まれて『おの湯』の裏の諭吉の家で寝泊まりすることになった。
 近所の自分の部屋は解約して荷物を小野寺家に運び入れた。服や勉強道具やこたつくらいしかなかったので、『おの湯』のリヤカーを借りて二往復で運び込んだ。
 諭吉は退院のめどが立たない。
 一日おきに仙太郎は見舞いに行ったが、行くたびに弱っていくような印象を受けていた。
 そんなころ、ボイラーが故障した。思うように湯の温度が上がっていかないのだ。
「ぬるいぞ」
 常連客から文句が出た。
「伊達っ子がぬるい湯につかれるか」
 背中に大きな刺青をした老人だった。
 刺青はしわがよって、昔はもう少し立派な彫り物だったろうが、今は精彩を欠いて弱弱しかった。じいさんが若い頃に若気の至りで彫ったやつだろう。
 絵としてはいまいちかな。風神雷神のデッサンが少し狂っている。仙太郎の感想だが。
「すみません。ボイラーが故障みたいです」
「あっそ。あとで見てやるわ」
 老人は純次さん。八十歳過ぎの近所の水道工事屋だった。本人はまだ現役だと言っているが、実のところは娘婿が後をやっているので引退も同然だ。
純次さんは深夜に道具一式をもってやってきた。額に鉢巻き、カーキ色の作業服のいでたちで、いかにも水道工事のおじさんらしく変身していた。裏の機械室へまわった。
「ここをこうやって、こうしてああして」
 ボイラーのあちこちのねじが緩んでいたらしい。蒸気が漏れていた。
 一時間くらいで直してくれた。
「このボイラーも年季が入って古いからな。俺の親父の代にうちで取り替えたやつだ。
 おめんとこはもうかってなさそうだし、当面このまま使えばいいさ。壊れたらまた俺が修理してやるからさ」
 修理代は風呂代を一週間ただにすることで純次さんと話がついた。
 数日たったある夜。十一時過ぎに仙太郎が暖簾をおろしていると、
「あのう」
 と声をかけてきた女の子がいた。目がくりくりした二十歳くらいに見える丸顔のショートカットの女性だった。いまどきめずらしい赤系チェックの長そでシャツにジーンズ姿だった。小さなリュックを背負い白いガーゼのマスクをしていた。口元は隠れているが鼻の先が出ていた。
「何か?」
「あの……私は信子といいます。
『宮学』の四年で、銭湯同好会に所属してまして、その……」
「悪いけど、バイトは使ってないんだ。給料が払えないし」
「給料はいいんです。掃除でも何でもしますし」
「本当に給料なくていいの?」
「はい」
 銭湯に関する卒論を書くのでしばらく働かせてほしいというのだ。
 信子は次の日から『おの湯』で働くことになった。
 夕方、四時にやってきて、番台に座ってお金の管理をやったり、滑って転ばないように脱衣所の床をモップでこすったり。雑用の数々をこなしてもらった。
 信子は、あいかわらず白いマスクをしていた。数年前に流行ったコロナ以来、マスクが手放せなくなったそうだ。
 初日から結構手馴れていた。
「おじさん、だめですよ。牛乳のふたはこのゴミ箱にいれてください。冷蔵庫の上に置きっぱなしはだめですよ」
「はいはい」
 おじさんのあしらいもうまいもんだ。
「どこかの銭湯で働いたことあるの?」
「いえ、他ではとくに」
 数日後の夜八時。小雨が降っている。少し客がすいている時間帯である。といっても一日平均、六十人来ればいいとこ。採算を割っている。
 仙太郎が番台で経済の本を片手にこっくりこっくり船を漕いでいると、信子がお茶を淹れてくれた。
「あっちー」
 でも口の中が大喜びのお茶だった。
 お茶っ葉も急須も同じなのに、お湯の温度、淹れ方の違いかな。
「おいしい」
 仙太郎は、毎晩、信子がこの時間に淹れてくれるお茶が楽しみになった。
 目が覚める。この温度、苦み。
 住所はとくに聞いていないが、アパートまで徒歩で二十分くらいかかるという信子には、暖簾を下ろしたら十一時過ぎに帰ってもらう。
「雨が強くなってきたね」
 仙太郎は信子の顔と表の雨を見比べる。
「これから浴槽の掃除をするから、いっしょにやる? よかったら泊まっていったら。二階の部屋が空いているし」
「はい」素直な返事だった。
 仙太郎から掃除の仕方をひととおり教えてもらい、信子はデッキブラシやスポンジを使って段取りよく女湯の掃除を終えた。しかも仙太郎の男湯の掃除より早く。
「やっぱりどこかでやったことあるでしょ」
「そんなことないです。見よう見まねです」
「筋がいいのかな」
 その晩は、小野寺家の二階に布団をしいて信子に泊まってもらった。
 朝七時。起きてきた仙太郎は、ちゃぶ台を見て驚いた。
 ご飯とみそ汁と卵焼きと、そしておしんこが、並んでいた。二人分。
「え、どうしたの」
「ご飯ちゃんと食べてます?」
 聞き覚えのあるフレーズだった。
「食べてるよ、ほとんどコンビニだけど」
 この日から、信子が小野寺家の二階に居ついてしまった。
 仙太郎も初めは、恋人でもないのに同居はまずいよな、とか思ってみたが、最近は結婚前に同居するカップルも多いというし、一階と二階に分かれているし、仕事をしてもらうんだし、住み込みの従業員ということで、ま、いいよな、いろいろ言い訳を考えたりした。それに、ご飯も作ってくれるし、そのほうが健康にいいし、諭吉さんもわかってくれるよ、とか良い方に考えたりもした。
 近所の人たちには、妹だよ、ということにした。しかし、来々軒の寛治さんには早々に見抜かれてしまった。
 来々軒の寛治さんが湯につかりに来た時に、
「いい娘、見つけたんだって」
「え?」
「みんな知ってるよ。諭吉さんもこれで安心だな」
「ち、違いますよ」
 と言いながらも、仙太郎は否定する気持ちもなかった。
「荷物はこれだけ?」
 仙太郎がたまたま二階に上がったとき、襖が少し開いていたのでついついのぞいてしまった。 
 チェックの長そでシャツとジーンズがハンガーにかかっていた。チェックのシャツは、赤系と青系の二枚だけ。物干しハンガーには、洗った白マスクが二枚かかって窓からのすき間風に揺れていた。化粧道具はなさそうだった。
「女の子なのに、地味だな」
 信子は近所で評判になった。仙太郎の嫁さんだ、という噂もとびかった。
 番台に座っていると、水道工事屋の純次さんがすりよってきて、
「嫁さんもらったんだって」
「ち、違いますよ」
「みんな知ってるよ。俺は来々軒で聞いたぞ」
「あのオヤジめ」
 このころになると、諭吉に意識障害が出始めた。
 一週間ぶりに仙太郎が見舞いに行くと、
「親切にしていただいてすみません」
 仙太郎と認識していなかった。先週は僕とわかっていたのに。仙太郎は悲しくなった。
 看護師さんが分厚い封筒を持ってきた。
「諭吉さんから預かりました」
 仙太郎が中を見ると、相続の書類だった。銭湯及び家の権利を譲ってくれるというのだ。諭吉は意識がしっかりしているときに司法書士に頼んでいた。
 ある日、男湯の浴槽で水漏れが見つかった。
 そういえば以前から湯の量が減っていることに感づいてはいたが、今週になってかなりひどくなり、一時間前に足した湯が半分になっていた。大きな浴槽の方でそれが起こっている。これは一大事だ。
 水道工事屋の純次さんを呼んで閉店後に見てもらったが、配管からやり直さないとあかんということだったので、とてもお金がないのでどうしたものかと思案していると。
 奥から信子がやってきて、
「長町の好古堂さんに頼んでみたら」と言った。
「ああ、好古堂さんか。昔、来てもらったことがあったよな」
水道工事屋の純次さんは好古堂のことを覚えていた。
 銭湯業界では有名な修理屋だそうだ。
「でもなあ、俺が若い頃の人だからな、きっと死んでるぞ」
 念のため、番台に置いてあった電話帳で仙太郎が調べると、
「あった」
 翌日、仙太郎が好古堂に電話した。
「はい、もしもし好古堂です」
 つながった。
 さっそく、その日の午後一番に来てもらった。好古堂のおやじは、意外と若かった。小太りで角刈りで眉毛の濃い五十歳くらいの男だった。
「ああ、俺は二代目です。親父は三年前に死にました。俺は子供のころ、親父と一緒にここに来たような記憶があります。さあ、どこから漏れてるかな。かな、かな」
 好古堂は楽しそうだった。ここをああしてこうしてそうやって。
 好古堂はお湯を張った問題の浴槽に、持参したキッコーマンの醤油さしを差し出し、そして数滴、醤油を垂らした。
 ぽっとん、ぽとぽと……
 すると、醤油のしずくが筋となって吸い込まれていくではないか。浴槽の隅の奥深く。
「ここだね。きっと震災で弱ってたんだね」
 好古堂は、湯を抜いてから、浴槽の漏れているらしい隅に、手慣れた様子でパテをこねてヘラで押し込んだ。
「応急処置ではあるけど。これで一年はいけるよ。また一年後見てあげるね」
 修理代は出張費込みで二万円だった。
 それにしても信子は何で好古堂を知っていたんだろうか。
 もうすぐ四時だな。開店の支度を急いでしなくては。信子は何してるんだ。いつもこの時間には番台に出ている信子がいないので、仙太郎は小野寺家に呼びに行った。
 一階にはいない。二階に上がる。
 襖が少し開いていて、
「信子」
 返事がない。
 中をのぞく。誰もいない。どこへ行ったんだ。
 壁のハンガーにチェックのシャツもジーンズもかかっていない。
 部屋に入った。ぷーんとカビ臭いにおいが鼻をつく。
 一階に下りる。流し台はきれいに片付いて、まるで使っていないようだ。「信子……」
 ボーンボーンと廊下の柱時計が四時を告げた。
 その日、信子は銭湯に現れなかった。
「そういえば携帯聞いてたな」
 仙太郎は番台から信子の携帯に電話してみた。
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません』
 つながらない。
 ……信子が消えた。
 その日の深夜。
 掃除を終えて一服している仙太郎の携帯へ電話が入った。銀杏町の病院からだった。
 諭吉が死んだ。
 数日後。
 寛治さん、純次さん、登美子さんら、町内の友人たちが近所のホールに集まって内輪だけの葬式を行った。
 この日、おの湯は臨時休業となった。
葬儀を終えて小野寺家にみんな集まり、賑やかな送る会となった。
 夜遅く、みんな帰った。仙太郎が、小ぶりな仏壇に骨壺と写真を置いた。諭吉はおだやかに笑っていた。せんべいのような座布団に座って見上げると、先代夫婦の写真があり、そのとなりで奥さんの写真が微笑んでいた。
 仏壇のろうそくに火をともす。おりんを鳴らし、手を合わせる。傍らには相続の書類が。
「諭吉さん、俺やっていけそうな気がする」
 仏壇の薄明りの中、先代夫婦の位牌があり、その横に奥さんの位牌が見えた。
『小野寺信子之霊位』とあった。
 信子がそこにいた。                 〈了〉

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