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どさくさまぎれ #シロクマ文芸部

 わたくし日和見ひよりみな態度に、あの方は業を煮やしているんですわ。でもどうにもならないんですの。あの方のことはお慕い申し上げています、ええ、お父様のように。でも私の心の中にいるのは、いつもいるのは、あなたなんですわ。
 そう云ってしなれかかる女の、じっとりと湿ったような肉の感触が、薄い浴衣の木綿の隙間から伝わってくる。
 女のしたいようにさせたまま、安宿の頼りないような柱に寄り掛かって薄く障子を開け、シャツの胸ポケットから煙草を取り出した。進駐軍から闇に流れたラッキーストライク。ついさっき女から受け取ったものだ。わずかな夜気がおれのくゆらせた煙を散らしていく。

 元新華族の娘はむにまれず新しい世界へ飛び込んだ。生来恵まれた美貌と肢体でナイトクラブの華となった。覚えたてのジルバで進駐軍の米兵を夢中にさせ、今は戦後のどさくさに紛れて成り上がった実業家の後妻の話が持ち上がっているらしい。
 煙草の煙を吐き出しておれは、関係ないねとうそぶいた。お前の好きにすればいいだろう。
 女の言葉遣いは鼻につく。いまだに女学生みたいに話しやがる。公家華族でも武家華族でもない、維新で勲功を上げたとかでこれもどさくさに紛れて爵位をもらった祖父は娘と孫に散々贅沢をさせたが、財産税ですべてを失い没落した。

 戦争中、華族の男子は全員軍人にならなければならなかった。財産税の前にすでに免除を頼む金がなかった彼女の身内はほとんどが戦死した。母親は海千山千の渡世人に易々と騙され文字通り一文無しになった。自由になりたくて飛び出したのよと彼女は言うが、実のところ売られたのだろう。山の手言葉の残滓を残した品の良い言葉遣いが彼女の売りで、言い換えればそれしか売るものがなかった。生きていくためになんでもする彼女の野性と裏腹なその言葉はコケティッシュな魅力となり、男たちは彼女の肉体に群がり争奪した。

 おれは駐屯地から玉音を聴く直前に軍部の物資を盗んで脱走した。情報通の男と一緒だった。戦後各地の駐屯地で終戦直前に脱走した話はよく聞いたが、成功したのは一握りで、あの男は成功の部類だった。山分けしたがおれは物資をうまくさばけず、さばいた金は使い果たした。それからは闇に紛れて生きている。
 あらいやだわ、とおれの胸毛を弄んでいた女の手が硬いものに触れた。おれは浴衣の袖から出る白い手の中にある黒い銃身を奪い返す。
 何をするおつもりですのと彼女はおののいた。べつに護身用さとおれはまた嘘を吐く。おれのラッキーストライクは根元近くまで短くなっていたが、普段シケモクばかり吸っているおれはめったに手に入らない高級煙草に執着した。指をやけどしそうになりながら、ほら花火をみたかったんだろうと障子をあけ放つ。女は今夜隅田川で花火をみたいのといい、どこぞの男に貢がせた小粋な藍色の浴衣を着ていた。地味に見えるが彼女の白い肌を一層引きたてる藍だった。
 花火なんておれは見たくもない。戦場の音にしか聞こえない。

 そのとき部屋の襖が勢いよく開いた。着流しの若い男が立っている。意表を突かれた隙に、女はおれからハジキを奪った。どうせ使えまいからそのままにして男と対峙する。男は短刀ドスを持っていた。
 女は怯えて銃口を男に向けた。恥知らずだわ、何しに来たんですのとこんな時まで口だけは品がいい。男は無言でおれに向かってきた。例の実業家が差し向けたのだと直感した。脅すだけだ、殺す気はない。男の目を見ればわかる。おれはまあ待て、話せばわかるといつかの首相のようなことを言った。男はドスを構えたままじりじりと間合いを詰めたが、脅すつもりのチンピラが短銃を携帯しているとは思わなかったのだろう、その指は血の気を失い、素人なのが明白だった。
 おれは、なにちょっとこの煙草をいただいただけでねと男に言った。わかるだろう。おれもわかった。この女とは別れるさ、だから帰りなと云ったら、男は女を見た。女が頷き、男はことが収まるとみたのだろう、少し余裕を取り戻して部屋を間違えたようだ邪魔したねと出て行った。
 やれやれと隣を見ると、女は少しも緊張を解かないままで今度は俺に銃口を向けている。
 背後でしゅるしゅると音がした。
 おれが背を向けた花火が音もなく開いたのだろう、その後どんと音が響いた。
 胸に響くような音だった。
 女の銃口から、薄く硝煙があがっているのをおれは見た。
 悪く思わないでくださいましッと女は叫んだ。だッてこうしなければ、あなたは私を。そうでございましょう。最初からそのつもりだったのでございましょう。
 おれは膝からくずおれた。
 女は泣きながらにじりより、おれの頭をかき抱いた。
 女の藍地の浴衣の白抜きの百合が赤く染まっていく。
 
 今夜はふたりとも、どうやら最初から同じことを考えていたらしい。
 おれの焦げた指から、ラッキーストライクがぽとりと落ちた。


七夕だっていうのに、なんだか急にハードボイルドな感じのものが書きたくなってしまったんです。

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