新しい自分
新しい自分が来た。
ひどく憂鬱そうな面持ちをしている。こんな自分を発注していたのか。まるで思い出せないが確かに私がオーダーしたのだろう。スマホのアルバムには申込画面をスクショしたものが残っている。
気に入らなければ返品交換もできるらしい。私は目の前にたたずむ女を仔細に観察した。
女はうつむいていた顔をあげた。少し口元に皺が寄っているし、眉は薄くなり離れ、眉間には皺が刻まれている。髪に混じる白髪も到底ごまかしようのない感じで、ハリもコシもなく頭頂部の毛量は頼りない。二重顎から続く首には括られたような皺があり、ストレートネックなのか内巻きになった肩が年寄り臭い。胴回りはだらしなく緩んでいて、それを隠そうと着ている長い丈のセーターが野暮ったい。
いやだなぁ、と思わず声が出た。目の前の女は無反応だ。私なのだがまだ私ではない。私と同化するまでは、魂があってないような茫洋とした存在だ。
スマホで説明書を確認すると、現在の年齢より若くはできないらしい。もちろん承知で注文したのだが、それにしてもこうして外側から現実的すぎる自分を眺めるのはあまり気持ちのいいものではない。そもそも何のために新しい私が必要なのか。臓器の廃れ具合も骨の脆さも取り戻せるわけではない。ただただ、気分を刷新したいが故。清々しさが大切なのだ。
「もう少し溌溂とした感じが良かった」、と私は「ご意見・ご要望」という欄に書きこんだ。「あと、服が変」。
申込段階では文字による細かな設定をすることができない。その時イメージした姿を念写してアップロードする方式だ。申込時の精神状態に左右されるという注意書きが小さな字で書いてある。
シンクロ時に実際の自分とほどよく融合するので、念写の際は鏡を見ながら、美化・修正気味にイメージすると良いでしょう、というアドバイスもついている。もちろん、しっかりイメージトレーニングをしてから念写したはずだった。
確かに申し込み当時の私は、なにかとても草臥れていたのだ。だから新しい自分が欲しくて、このサービスに申し込んだ。目の前の女が、当時にしてみればまだマシな自分だったのだろうか。
玄関先で思案したが、どうにも気に入らないので、手元のスマホからアプリの中にある「お問い合わせ」の欄のチャットにつないだ。AIボットで埒があかなければ、オペレーターが対応してくれるらしい。いくつかの選択肢を選んで行って「商品について」というところから、チャットに繋がった。
とりあえず③を選んで、その後いくつかの選択肢に進んだが、結局オペレーター対応を頼んだ。入力しています、という画面をしばらく見つめていると、オペレーターの入力画面が出た。
オペレーターの名前は何と読むのだろうということと、③のその他というのは何だろうということが気になりつつも、①の交換を選ぶ。
念写に自信がなかったので、②を選んだ。
私は「表情が暗いので、もう少し活き活きと元気な感じでお願いします。それと、服装はキレイめのキャリア系で」と書き込んだ。
しばらく入力画面が続いたので、こういう要望も「不可」なのかなと考えていると、そのうちにようやく、何と読むのかわからないSho-pusさんが入力を完了した。
ありがとうございます、と打ち込んで、チャットは終了した。
私は目の前の女を、再びしげしげと見て、うん、やっぱり表情がね、と呟いた。女はつと顔を上げ、そうでしょうと言うようにうなずいた。彼女にも自覚があったらしい。
それじゃあ、と私は、目の前に立つ陰鬱な顔の女に電車賃を入れたポチ袋を渡した。お正月だし、少し多めにしたから、なんか食べて帰って、というと、女は少しだけ、ふふと笑った。私って寂しい時こんな顔で笑うんだと驚いた。
女は一度だけこくりと頷くと、ふわふわとした足取りで電車に乗って帰っていった。
翌々日、インターフォンが鳴ったので出ると、オートロックの玄関に立つ新しい自分がモニターに映っていた。笑顔で、品のいいスーツを着ている。
ロックを解除すると、彼女は部屋の前まで来て、再びインターフォンを鳴らす。逸る気持ちを抑えてドアを開けると、鏡写しの自分がそこに立っているような気がした。
「今度はいいかも」
つぶやくと、目の前のちょっと素敵な自分もにっこり笑った。髪もちゃんと整っているし、アクセサリーもほどよく、爪には上品な色がのせてある。爽やかでだらしなくない。
それじゃあ、よろしくお願いします。
私はそう言って、女を招き入れた。女は不動産屋さんや保険の外交員みたいに危なげない感じで入ってきて、それから近くで私と向き合うと、そっと手を伸ばした。
私たちはフォークダンスをするように手と手を取り合った。
そのうちに、気分が良くなってきて、鼻歌でも歌いたいような気持になり、玄関脇の鏡を見ると、そこにはさっきの新しい自分がにっこり笑って立っていた。
私は背中側を確認するため、ゆっくりと小刻みに回ってみた。
「うん。いいねぇ。いいじゃぁなぁい?」
新しい自分になって、私はさっそく、部屋を出た。
見るもの聞くものすべてが魅力的にうつる。
新しい自分で街をそぞろ歩き、コーヒーショップでひと息つきながら求人アプリでめぼしい転職先にエントリーした。そして前の夫に「あたし、YouTubeやることにしたの。アータのこと喋ってもいい?」とLINEした後で「うそー」とおどけたアイコンを送った。私の暗い顔が嫌で別れたくなったと言っていたから、このくらいの揶揄いは許容範囲だろう。誰のせいで暗くなったのかと思わなくはないが、私だってあの時の自分は好きじゃなかったのだ。
今の夫に昭和のダジャレをLINEすると、今日のダジャレはキレがいいと褒められた。それが嬉しくて、勢いで土曜のヤマハのピアノ教室とカルチャーセンターの日曜ヨガに、申し込みをする。
新しい自分はなかなかいい。軽やかで、自由で、のびやかで。
私は深呼吸をひとつすると、行き交う振袖の新成人に新しい自分を見せびらかすように、天神様に向かう一本道で青い空を振り仰いだ。