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SMよ、人生をひっくり返してくれ㉑ この子を解放してあげたいと思った(後編)

Mは、鞭の当たり方でSの気持ちを読む

ほんのちょっとのつもりで飲んだ広島のSMバー「Club Mazan(マザン)」で、男性のお尻連続斬りをすることになった私。

一仕事やり終えたような気持ちになり、席に戻るとすっかり顔を真っ赤にした先輩が「お疲れさま」と迎えてくれた。
「私・・・大丈夫だったですかね?」
「え、いい感じだったよ」
「どのへんがですか?」
採点を求める生徒のように、ちょっぴり先輩を質問攻めにしてしまった。
そのやりとりを見ていた誰かが
「Mってね、Sの顔を見ていなくても鞭の当たり方だけで相手が自分を見ているのかがわかるもんなんですよ」
と教えてくれた。たしかツバキさんだったと思う。
グラスを傾けながら、先輩も同意する。
「Sの意識が自分に集中しているか、それとも別のこと考えているかが伝わるんだよねー」

それは不思議な現象だなと思ったけど、後日読んだ伊藤亜紗の『手の倫理』にも似たようなことが書いてあった。

美学者である伊藤亜紗さんは、「人間は身体からどう刺激を受けて、どんなことを感じるか」ということを研究されている。その刺激の受け方は、肉体の個性によっても十人十色であることから、例えば障がい者と呼ばれる人たち――目の見えない人がどのように地図空間を認識しているかとか、そんなことも調査されている。

私は伊藤さんの「他者のことはわからない」という壁を大事にした距離の保ち方とか、それでいてなおかつ他者に興味を持って入りこんでいく感じが好きで、何冊か本も読んで対談も見た。
先ほど挙げた『手の倫理』を読んだのは、「人を殴る手と撫でる手は同じ手なのに、受ける感覚はどうしてこんなに違うのだろう?」という自分なりの問いがあったからだ。暴力と愛撫の違いが知りたかった。私を殴っていた母の手と、私の髪を撫でて結ってくれていた手は、同じ手。その手の狭間で私はまだ迷子だ。

この本の中で、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)で行われたデモンストレーションが紹介されていた。
それはある振付家・ダンサーと脳性麻痺の当事者でもある小児科医が、2mほどの棒の両端を持って、お互いに押したり引いたりして、そこで感じたことを語り合うというもの。二人は間接的に棒で触れ合う形となり、伊藤さんによれば『「綱引き」ならぬ「棒押し」をしているかのように見えた』とのことだった。
かたや身体の繊細な動きを必要とされる職種の人、かたや身体が思うように動かない人、二人の身体の動かし方はずいぶん違うだろう。その違いをダイレクトに肌や肉に受けたときに、二人の心の中で何が起きるのか。

「棒押し」後にダンサーさんの語った感想が、SMの鞭の話に共通するように思えたので、ここに引用したい。

棒を使って接触することによって、その人の関わろうという気持ちというか、手の表面の奥側にあるものが、もっと露わになったという感じですね。熊谷さん(脳性麻痺の小児科医)の押し方が、あの棒を使って僕を揺らしながら、僕がいったいどういう風に関わってくるのかというのを非常にまさぐっていました。それはビジュアルからは分からない手つきでした。

伊藤亜紗『手の倫理』(講談社選書メチエ)

人間が情報を得るのは視覚が8割ともいわれるが、触覚にもすごい可能性が眠っているのかもしれない。SMが研ぎ澄まされた精神的・肉体的コミュニケーションであるならば、鞭や縄、鎖、蝋燭、性具などを介して「相手の本意を知りたい」というアンテナが発達し、この二人以上に受け取れるようになっているのかもしれない。

それはある意味怖いことだ。
肌から感じてしまうことは、表情や言葉のようには包み隠せないから。
心の中を知られるのは怖い。周りの人は思いやりのある人ばかりなのに、私は自分のことしか考えていないし、嘘もつく。たまに腹の中で変な匂いを発する臓物がくすぶっているような気がして、人に見られたら落胆し悲しませてしまう気がするのだ。一言でいうと、結構やましい気持ちで生きている。

臓物ゾンビ……じゃなかった??

だから、怖い。怖いけど――。
「じゃあ、私の鞭からは何を感じました?」
思い切って先輩に聞いてみる。
「うーん、何を感じたってワケじゃないけど……」
答えを探すように、宙を見つめる先輩。
「俺はなんだか、この子を解放してあげたいって思ったんだよねぇ。自由にしてあげたいっていうか」

そうか。私はそんな風に「見えて」いたのか。
不思議な気持ちだった。
自分は臭い臓物を引きずっているゾンビだと思っていたけど、いざ鏡を見せられたら映っていたのはただ泣いてる女の子だった……みたいな。美化しすぎか。でも、そのぐらいのギャップがあったのだ。

先輩の目はやさしかった。さっきまで尻を貸してくれていた皆さんもそうかもしれない。私はもしかしたら、知らないところで色々な人から心配され、見守られていたのではないか。孤独なゾンビを気取っていたのは、自分だけだったりして。世の中って自分が思っているより、3割増しぐらいで優しいものかもしれない。

たかが、鞭でぶったりぶたれたりした行きずりの間柄じゃないか。そんなんで何がわかると言われたらそれまでなんだけど、M男さんたちはすごい嗅覚を持っていると思う。悲しみが香るところ、喜びが香るところ、そういうのをすごく知っているのかもしれない。

お客の気持ちも風営法も守るのだ

時計が12時になり、オーナーが解散命令を出して店内にいた人が一斉に席を立った。お客さんの気持ちと風営法をしっかり守るのが、ここClub Mazanだ。
BGMには、ジョン・コルトレーンのMY FAVORITE THINGSが流れていて「好きなんです」と褒めたら、マスターが顔をほころばせてレコードのコレクションを見せてくれた。「今度また来るときは、ウチの空き部屋に泊まっていいよ」とLINEの交換もした。もちろん客に手を出す趣味はないらしい。

ツバキさんはツバキさんで、「これからお客さんたちと大阪の女王様に会いに行くんですけど、一緒に行きます?」と誘ってくれた。深夜に「これから」ということは、夜行バスにでも乗って明日お店に行くのだろうか。
実はツバキさんはカウンター越しに私のSM相談にも乗ってくれていた。「今後、どんなSMをしていけばよいか」という私の疑問に「そももそも、どんなSになりたいかを決めないと何もはじまらない。お姉さんはどうしたいんですか?」と諭されていた話の続きでもある。まったくビジョンの描けない私に、先輩Sの事例を見せてくれようとしたのだろう。

お店の人たちは、みんな親切で温かかった。
私はツバキさんにありがたくお礼を伝えてから、
「でも明日は、別のSMバーで予約してるんですよ」
と断った。
「あ……、Zさん(仮称)でしたよね」
ツバキさんがお店の名前を出すと、周囲のお客さんの動きが止まって何か言いたそうな顔になった。しかし、このときは理由まではわからなかった。

不安になろうがなるまいが、朝は来る。
翌日、私は2軒目のSMバー「Z」の扉をくぐったのだった。

(続く)



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